第9話 親子の光景
レインさんの父。
熱心な信者で、娘の血を売ってでも教団内での出世を目指した人。
その人が今僕達の目の前に立ち、拘束されたライカにナイフをあてがっている。
率直に言って、軽蔑に値する。
人の親だが、それでも人の親かと思う。
「動くな。彼女に触れるな」
レインさんの父はそう言って、ナイフの角度を変えた。一瞬でライカの喉元をかっ捌ける。
ライカは目に涙を溜めてこちらを見ていた。僕とは約2週間ぶりの再会になるが、それを噛みしめ合っている余裕はない。
元々肌の白い女の子だったが、今は最後に見た時よりも更に白く見える。光のせいか、血を抜かれたせいか、あるいはこの状況のせいか。
「そちらに向かう」
耳元で小さく師匠の声がした。地上は制圧し『索敵』の役割は終わった。次にすべきことは1つ、救出。
「父上、無駄な抵抗はやめた方が身のためですよ」
レインさんの口調は意外と冷静だったが、感情を抑えているのが言葉の端々から伝わってきた。
「地上にいる信者達を人質に取りました。こちらから危害を加える気はありませんが、その少女に傷1つつけたら容赦はしません」
レインさんの父は答える。
「レイン。話を聞いてくれ」
「ええ、聞きましょう。彼女を解放してもらえばすぐに」
「いや、このままでいい。聞け」
僕の角度からではレインさんの表情までは確認出来なかった。
「クレシアが死んだ。1年前だ」
突然出てきた名前。僕は自らの記憶を漁ってみたが覚えはない。レインさんは黙っている。
「病気だった。手は尽くしたが駄目だった。最期に、もう1度レインに会って謝りたいと言っていた。『道を誤った。後悔している』とな」
何となく、僕は察してしまった。クレシアとはおそらく、レインさんの……。
「……母上がそう言ったのか?」
「ああ、言っていた。確かに伝えたぞ。それから、預かっている物もある」
ナイフの位置はそのまま、ライカの身体を掴む手を緩めて、懐から何かを出した。
目を凝らして見ると、それは黄色くて大きな宝石がついたペンダントだった。銀翼のそれとは明らかに違う。
「クレシアの家に伝わっている大型の魔石だそうだ。お前には魔術の才能があったから、もしもう1度会って渡す事が出来たら少しでも役に立てて欲しいと言っていた」
そう言うと、レインさんの父は魔石のペンダントを差し出した。それでもナイフは動かさない。
「……何を企んでいる?」
レインさんが尋ねる。至極真っ当な疑問だ。
このタイミングで母の話をするなど、裏があるとしか思えない。
「私はただ、ここを無事に脱出したいだけだ」
「殺す気はない。大人しく人質を全員解放すればな」
「……恨んでないのか?」
ああ。僕は思った。レインさんの父は確かに最低の人間だが、それでもレインさんに対して良心の呵責があったのだろう。次に会った時は自分が殺される時だと、そう思っていたに違いない。
「……恨んでいる。だが殺さない」
レインさんは強くそう言った。真実から出た言葉は見た目よりも重い。
「……分かった。それならこれを受け取れ」
深く一呼吸して、じりじりとレインさんが近づいていく。
「私を初めてここに連れてきた時の事を覚えているか?」
「……ああ。お前はまだ、6歳だった」
「血を抜くために針を刺した時、父上は確かこう言った、『家族が幸せにいつまでも暮らすために必要な事だ』と」
「そうだな。確かに言った」
「今でもその言葉に嘘は無いか?」
「無い。現に神は現れた」
『亀裂』の事を言っているのだろう。向こう側にいるのは、大抵の人間にとっては滅びだがこの教団に所属する信者にとっては救いだ。
「……母は『選ばれた者』なのに生き残れなかった。何故だ?」
「神は試練を与える」
「……そうか。母上は試練に失敗したから死んだのか? それともあんたが試練に失敗したから母上は死んだのか?」
「どちらも違う。神が試練を与えたのはお前にだ」
「何?」
「お前は試練から逃げた。だからクレシアが死んだ」
レインさんの歩みが止まる。熱された感情が、急速に冷えていくのを感じた。
「だがレイン、私はお前を恨まない。どの道『選ばれなかった者』に救いはない」
どうやら会話を成立させるのは不可能なようだ。
レインさんも同じくそう思ったようで、何も答えないまま宝石を受け取った。
「私からも、父上に贈り物がある」
「……何だと?」
深く窪んだ目が、警戒しつつレインさんをじっと見ていた。
レインさんはゆっくりとした動作で、懐から石を取り出す。
先に僕が気づいた。
『閃光』を持った魔石だ。
遅れてレインさんの父がそれに気づき、とっさに目を覆った。ネッドから情報が伝わっていたのだろう。作戦会議の時に説明したのが仇になったか。
だが同時に僕は不思議に思う。
あの距離で『閃光』を使えば、1番近くにいるレインさんの目も無事では済まない。必然、導き出される結論は……。
相手が目を覆った瞬間、レインさんが剣でナイフを叩き落とした。そしてライカを両腕でしっかり抱えると、距離を取る。『閃光』はあえて発動させずに、隙を作るのに使ったという訳だ。
「……くっ」
レインさんの父はナイフを拾うと、それで娘を刺そうと試みた。
刹那。親子の腕が交差する。
結果は明らかだ。僕はレインさんの父の事を詳しくは知らないが、動きの鋭さが違い過ぎる。
レインさんは目にも留まらぬ速さでナイフを奪い、それを自らの父の喉元に躊躇なく刺した。
「……がふっ」
僅かな間の後、肺から漏れた空気が血を噴き上げる音が聞こえ、レインさんの父はうつ伏せに倒れた。
レインさんはそれを見下ろし、ナイフを手から離した。
同じく人を殺害した場面だったが、暗殺者を斬首したあの時とは違って不思議と恐怖は感じなかった。むしろ、行動を持って覚悟を示したレインさんに抱いた感情は、ある種の尊敬だった。
レインさんが僕を見る。
結局、僕は最後まで何も出来なかった。
それを責められるとは思わなかったが、気まずいのは確かだ。
するとレインさんの表情が変わった。
僕ではなく、むしろ僕の向こう側を見ている。
比喩ではない。僕の背後に焦点があっている。
僕は不思議に思い、振り返る。
『捕縛』したはずの女魔術師が、杖を構えて狙っている。何かの呪文を口走る。
杖の先端が光った。
どうやら対象は僕らしい。
僕は咄嗟に身構えたつもりだったが、実の所指1本すら動いていなかった。
なのに頭はやけに冷静で、「ああ、レインさんの父が石を渡して会話で時間を稼いでいたのは、この女魔術師が自力で『捕縛』を抜け出せる事を知っていたからなんだな」とか考えていた。
走馬灯とやらの一種なのだろうか。生き残る為に高速で頭が回転するが、答えがないので別に今考えなくても良い事を考える。師匠に感謝したい。こんな僕に期待してくれた3人に謝りたい。
僕の心の底には、柔らかい後悔が雪のように積もっている。
女魔術師が杖から放った電撃が、僕まで到達しようとしたその瞬間、僕の目の前を何かが遮った。
レインさんだった。あの距離から一瞬でここまで来たらしい。
まさか。
僕を助ける為に?
遅れて落雷のような音が聴こえて、ゆっくりとレインさんは倒れた。
女魔術師が逃げるのが見えた。
胸当ては弾け、服は焦げ、胸元が火傷を負ったように爛れている。
屈んで上半身に耳を当てる。
レインさんの心臓が、止まっていた。
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