第10話 6限:政治

 王都にいた時、会議室で映された『亀裂』周辺の映像はまさにこの世の物とは思えない物だったが、ならば今僕が見ているこの映像は、一体何と表現したら良いのだろう。


 やはり『亀裂』はかなり大きく広がっていた。

 撮影地点はあの時から遥かに後退し、魔術師達もいるにはいるが、魔術防壁は張っておらず、様子を見守っている。


 『亀裂』からは、紫色をした1本の腕が伸びていた。腕は色とその巨大さ以外は人間のようであり、ともすればシュールな光景ではあるが、明らかに敵意のあるそれは非常に禍々しく不気味だった。


 映像の中、腕がゆっくり振り上げられる。大きさゆえにスローに見える。しかしきっと間近にいたら風圧で吹き飛んでしまう程の速さだろう。手前側にいる魔術師達はその挙動を見て杖を構える。


 わずかな間の後、腕が振り下ろされ、地面に叩きつけられた。凄まじい音と衝撃。映像が揺れる。地面が水のように波打ち、黒い光が手のひらを中心に広がっていった。それを見た魔術師達。ある者は以前のように障壁を展開し、ある者は地面に描いた魔法陣を起動した。おそらくは腕から出た黒い光の輪を相殺しているのだろう。


「見ての通り、現在は我が国を中心に各国の魔術師達が協力し、総力を上げて『亀裂』に対応している」


 ローブを着た中年男が、映像の前に立って威厳たっぷりにそう言った。


 そしてその顔に僕は見覚えがある。


 2万人の軍を率いてマーブック魔術学園に来たのは、元王国魔術師筆頭、現首相のダビド氏だった。


「この国の最高責任者の1人として、この学園の卒業生の1人として、そしてこの世界に生きる人間の1人として、学園長には、『亀裂』対策に最大限の助力をお頼み申し上げたい」


 会議室では、ダビド氏の連れてきた軍の幹部達と、学園の理事会メンバー、そしてミスティさんを含む何名かの教授と、何故か僕が卓を囲んで座っていた。


「もちろん、この国に属す最高教育機関としての協力は惜しみません。ですが、まだ資格を得ていない学生を本人の意思を無視して戦場に送り出す事を、学園として許す事は出来ません」


「はっ」ダビド氏が学園長の弁を鼻で笑った。「ならば、あなたはこの世界が滅びようとも構わないと仰るのですか?」

「明日死ぬとしても次の世代に知識を繋げる使命を投げ出す理由にはなりません」


「……結構。では100歩譲って、学生の方は志願制と致しましょう。『亀裂』に対して何か行動を起こしたい学生もいるはずです。その者達に何か特別に資格を与え、研修という形で出動させる事をお許し願いたい」


 意外と簡単に折れるんだな、と思った。学園長は少し考え、その譲歩案に乗った。


「良いでしょう。ですが学園としては強制も募集への協力も致しません。あくまでも軍からの依頼という形でお願いします」


 これは一見責任逃れのようにも見えるが、おそらくは学園に恩義を感じている学生に対する配慮だろう。学園からの募集となれば、そういった人達が応募する可能性がある。


「……ええ、それで構いません」

 早速、ダビド氏が部下に指示を飛ばし、何人か動いた。


「では次に、開発中の魔導兵器を全て教えて頂きたい」

「……開発中の物全てとなると、万はゆうに超えますよ。私でも把握しきれてはおりません」

「では実戦投入が可能な物、全てだ」

「私はあくまでも学者。実戦を知らぬ者にその判断が出来ましょうか」

「そうですかな? 例えばそこにいるミスティ教授の発明した物などは、今すぐにでも使えるのでは?」


 名指しされたミスティさんは、まるで動じずに爪をいじっていた。


「確かに、使用は可能でしょうが、あれは彼女にしか動かせません。魔術師としての出兵は志願制と先ほど決まったはず」


「……フンッ。まあ良いでしょう。あなたが協力出来ないというのであれば、こちらで手分けして使えそうな物を探させて頂きます。いずれにせよ、『亀裂』を何とかせねばこの世界が終わるのです。多少荒っぽい事もさせてもらいますよ」


「『亀裂』を何とか出来る者を殺したのは一体誰です?」

 学園長は静かに、だがはっきりと尋ねた。

「……何だと?」


「問題を解決出来る唯一の人材をあなたは処刑した。あの時はまだ危機感が足りませんでしたか?」


 ダビド氏は強張った表情のまま学園長に近づき、余裕のあるフリをしながら答える。


「いくら師といえど今の侮辱は看過出来ませんな。あのような魔女の言う事は戯事です。我々を騙そうと策略していたのはあやつです。ならば死んで同然、生きていても問題解決の役には立ちません」

「さて、それはどうでしょうね」


 ダビド氏は苦虫を噛み潰した表情で踵を返した。


 その後も会議は進行し、国が学園に突き付けた要求はどれも横暴な物だった。研究に使っている魔術機材の拠出や、物資輸送の中継地点として場所の要求。更には他国にいる卒業生の連絡先を提出させたりと、とにかく学園のありとあらゆるリソースを出すように命令した。

 武力を背景にされればそれらの要求は飲まざるを得ず、会議は途中から一方的な状態になった。それでも学園長は、学園内の自治権を手放さず、学生を守るように譲歩出来るギリギリを見極めていた。


 一通りの決まりが出来、会議は終了した。


「……さて、どうすっかね〜」


 珍しくミスティさんのテンションが下がっていた。絶望的な『亀裂』周辺の状況と、国側のなりふり構わぬ態度を見れば無理もない事だったが、出た結論はやはりこの人ならではだった。


「うし、逃げっか」


 やはりそうなるか。ここでミスティさんを失う訳にはいかないし、御誂え向きに船という移動手段もある。6人くらいだったら船の中で生活も出来るだろう。後始末をしなければならない学園長には悪いが、ここは逃げるのが最善手のように思えた。


 そうと決まればまずは船を確保しなければならない。

 僕達が船を格納してある製造棟に来て、建物内の廊下を歩いていた。その時だった。


「おやおや、探していましたよ」


 ダビド氏だ。会議の後、すぐにここへ来たらしい。という事は、ミスティさんの行動は読まれている。護衛の兵士を2人つけて、自身も武装。決して穏やかな雰囲気ではない。


「会議には同席されていましたから、話の流れはご存知でしょう?」


 ダビド氏は船の存在を知っている。そしてそれを動かせるのがミスティさんだけだという事も。正確には僕も動かせるが、それをダビド氏は知らない。


「どうか志願して頂けませんか? ミスティ教授」

 ミスティさんは答える。

「うるせえハゲ。誰が好んで無駄死にすんだよバーカ」

 どうやら敵を作る上手さは師匠譲りのようだ。


「……ふう、仕方ない。……やれ」


 屈強な兵士2人がこちらに向かって突進してきた。ミスティさんは手を構えて詠唱を開始するが、いかんせん近すぎたし、相手は相当な手練れのようだ。すぐに拘束されてしまった。


「あまり手荒な真似はしたく無かったのですがね……」

「ミ、ミスティさんを離せ!」


 僕は飛び出す。ミスティさんを拘束する兵士に向かって、体当たりをかまそうとするが、あっさりと転ばされ、ミスティさんと同じく手を後ろに縛られてしまった。


 くやしい。まさかこいつらがここまでするとは思っていなかった。


「会議の時から気になってましたが、あなた一体誰なんです?今の身のこなしからして大した使い手では無さそうですが……」


 ダビド氏は詰りながら、僕の仮面を剥ぐ。


「おや? これは……」


 抵抗できず、素顔を晒す事になってしまった。ダビドは僕の顔を見て驚いていた。


「馬鹿な。確かに死んだはず……」


 まずい。非常にまずい事になった。


 ミスティさんは拘束され、僕の顔はばれ、パーティーと師匠の計画が生きている事が知られてしまった。


「あなた、何か知ってますね?」


 そう尋ねられたミスティさんは口を噤んでいたが、目はじっとダビドを睨んでいた。


「……まあいいでしょう。答えないのならば、身体に聞くだけです」


 ダビドの表情が変わった。


「才能に溢れた生意気な女魔術師ほど、屈服させ甲斐のある者はいません」


 兵士から両手を縛られたミスティさんを受け取り、別の部屋に消えていくダビド。


 僕は床に組み伏せられながら、その背中を目で追う事しか出来なかった。

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