第2話 神性伝達型魔力増幅呪文

 もうずっと前の事になるが、僕が師匠に弟子入りして間もなくの事だ。


 教えてもらった事が上手く出来ず、自分の不甲斐なさが情けなくなって、涙を乾かす為に夜空を見上げて眺めていた。そんな夜の事。

「月を見ているのか?」

 師匠が現れそう尋ねたので、僕は黙って頷いた。


「それなら月の表面をよく見てみろ。僅かに陰影が見えるだろ?」

 僕は改めて目を凝らし月を覗く。確かに、言われてみればうっすらと影がある。


「月は何もない砂漠のような場所だが、凹凸がある。おそらく、隕石がぶつかった痕だろうと言われているが、実の所は私にも分からない。だが月までの遠さから推察するに、あれは余程大きな凹みになっているだろうな。あの縁は、火山の火口も目じゃないくらいの、断崖絶壁になっているはずだ」


 穏やかな口調で続ける師匠は、最後にこう締めくくった。

「観察から得られる物は自身が考えるよりも大きい。例えお前が今、思い通りに魔術を使えないとしても、きちんと観ている限り成長しているはずだ。だから……あまり泣くな」


 それから数年が経ち、僕は今、再び泣きそうになっている。


 月の表面にある凹凸はきっと、今僕の目の前にある物よりも大きいはずだが、僕のやってしまった事はきっと同じくらいのサイズだ。


 師匠と一旦別れ、僕は訓練場に来ていた。


 付き添いに衛兵の方が1人。一応は僕の護衛を命令されているようだが、その視線の種類はどちらかというと監視だ。

 僕がまたあの魔術を使うのではないかという疑い。これも観察によって分かる事と言える。


 訓練場には、巨大な穴があいていた。


 休憩中だった兵士達は一時臨戦態勢となったが、大規模な演習であるという通達を後から聞いて武装を解いた。だが緊張の方は解けておらず、突如として目の前に開いた大穴を憎しみの篭った目で眺めていた。


「おやおや? これはこれはヘンドリクス殿。陛下直属護衛隊の貴方が何故こんな所に?」


 話しかけられたのは僕ではない。僕についてきた衛兵の人だ。どうやら結構偉い人だったらしい。


「要人の護衛だ」

 ヘンドリクス氏が短く答えると、質問を投げかけてきた若い女性はにっこりと笑って僕を見た。


 年齢は僕よりも半周上だが師匠よりも半周下といった所だろうか。褐色の肌に軽装備を着込んでおり、腰には短い剣を差している。騎士や兵士というよりはむしろ傭兵? いや、僕もあまり詳しくはないので見た目だけでは判断しかねるが、その自由な印象は今日これまでに見てきた衛兵の方達とは少し違う。


「おっと、これは失礼しました。私は師団長のレインです」


 自己紹介をされたら返すのが礼儀だ。田舎暮らしが長いので、咄嗟に言葉が出なかったが、僕は遅れて声を出す。


「僕の名前はランドです。えっと、魔術師見習い……かな?」

 自分の役職というか立場が分からず、最後は疑問形になってしまったが、レインさんは人懐っこい笑顔で僕の言葉を聞いてくれた。


「なるほどなるほど、大体察しました」


 指で自らの顎をくるくると触るレインさん。何を察したのか気になるが、察して欲しくない事もあるので詳しく訊くのは気がひける。


 レインさんは僕とヘンドリクス氏を交互に見た後、ヘンドリクス氏の方に尋ねた。


「それで、今日は訓練場の見学ですか?」

「そんな所だ」


 本当は僕が現場の様子を見たいと言った。死者やけが人が出ていないか、どうしても自分の目で確かめたかったのだ。


「そうですか。ですが残念、先程の『大規模演習』のおかげでこの様です。訓練の見学は出来そうもありませんよ」

 ヘンドリクス氏が周囲を見渡す。「そのようだな」


「ま、日を改めて来ていただければ我が国の優秀な兵士達をお見せ出来ますよ」

 そう言ってレインさんは僕に向かって軽くウィンクした。爽やかな人だ。


「では、私はこの辺で。総動員でこの穴を埋めなければならないのでね」

 向こう側にスコップを大量に抱えた兵士が見えた。


 土の大部分は消滅したようだが、盛り上がってしまった周りの土を降ろして出来るだけ平らにするらしい。

 穴の方は他の場所から土を持って来なければ元には戻らないだろうが、このままだときっと訓練が出来ないのだろう。


「ま、待ってください」

 考えるよりも先に声が出ていた。

「あの、僕にもその作業、手伝わせてください」


 自責の念、といえば聞こえは良いだろうが、正直言うと打算もあった。

 まだバレてはいないようだが目撃者は多く、その内これは僕がやった事だというのが知られてしまうだろう。その時、ほんの少しでも心証が良くなるように、せめて手伝っておきたかった。


「おやおや? ……ふんふん」

 レインさんは納得したように頷いて、視線でヘンドリクス氏に許可を申請した。

 この寡黙な衛兵さんの無言を承認と受け取ったレインさんは、僕にスコップを1本手渡す。

「ではでは、是非とも要人の方にも手伝ってもらいましょう」


 屈強な兵士達に囲まれながら、ひたすら土を掬い、穴に放り投げていく。

 明らかに全体の体積が減っているのでとてつもなく大変な作業なのだが、兵士の方々は文句も言わずに作業を行っていた。


 彼らにとってみればあまりにも突然の事だし、訓練の予定も大幅に狂っているので、愚痴の一つでも零すかと思っていたがそんな事はない。


 重労働によって口を開くのも億劫なのか、あるいはそれだけ統率が取れているという事か、僕は不思議に思いながら身体を動かしていた。


「これ、やったのは君だろ?」


 不意に背後から話しかけられ、僕の身体は跳ねた。振り向くとそこにレインさんがいた。変わらず満面の笑みで、しかし目はじっと僕を見ている。


「いや、あの、その、えっと……はい」

 どうやら、これだけの事をしてバレていないと思っていた僕が浅はかだったらしい。その瞬間に打算は砕かれ、僕は丸腰のままレインさんの前に立っていた。


「『亀裂』の件で来たって所か。厭世の魔女と一緒に。どうやら君には特別な才能があるらしい。興味深いよ」

 柔らかな表情には似合わぬ抑揚のない調子でそう詰めるレインさんに、僕は冷や汗を流した。


 やはり怒られる。というか既にこれは、怒られているのだろうか。助けを求めようにもヘンドリクス氏はむしろ相手側だし、師匠は作戦室で魔術の解説をしている。


「いやいや、君を責めるつもりは無いよ。むしろその逆。期待していると言いたかった。何せこれだけの威力だ。来たる決戦の時には確実に味方で良かったと思える事だろうね。私達が戦う相手が少しでも減る事は喜ばしいよ」


 ぽんぽんと僕の肩を叩くレインさん。僕はへらへらと笑う事しか出来なかった。


 レインさん。

 色々と察しの良い人みたいで、観察力もおそらく僕より優れている。だが、唯一間違えている部分があった。


 あえて指摘はしなかったが、全てが師匠の思惑通りに進めば、「決戦」は一瞬で終わる。兵士達が『亀裂』の向こう側にいる怪物と戦う必要はない。


 ―――時は少し遡り、僕が訓練場に大穴を開けた直後の事。


 作戦室に戻った後、師匠は『亀裂』対策に用意した2つ目の魔術について説明を始めた。


「先程お見せした『蓄積型極大破壊魔法ルイナスカタクリスト』は、もちろん単独でも怪物を倒す程度の威力がありますが、1発を発射するのに3日かかりますし、倒せてもせいぜい1匹か2匹といった所でしょう」


 報告によれば、向こう側の怪物達は「国」と呼べる規模の多さだ。こちら側の人間とまともに衝突すれば多勢に無勢。勝てる見込みは一切ない。


「そこでもう1つの魔術、『神性伝達型魔力増幅呪文ブレスマリアージュ』を使います。いかめしい名前ですが、まあ要するにバフです」


 バフとは他者の腕力や集中力などを一時的に高める魔術の事だ。僕も少しだけ使えるが、「強くなった気がする」程度の効果の割に発動が難しい。


「これは先程の『蓄積型極大破壊魔法ルイナスカタクリスト』とセットで開発された物であり、先程お見せしたあの威力を最大で5倍程度まで高めます」


 また作戦室がどよめく。あの威力の5倍。まともに撃てばこの城、いや王都ごと吹き飛ばす可能性がある。

 師匠のこの発言に、女王陛下はダビド氏に意見を求めた。先程の一件で読みを外したダビド氏は、今度は慎重に言葉を選んだ。


「……ふむ、まあそれがもし事実だとすれば、怪物達に対抗する有力な手段になる可能性が無いとは言い切れませんな」

「いえ? これだけでは全くもって全然勝てません。話にならないと思います」


 返す刀で否定されたダビド氏の顔が更に曇る。師匠が最も得意なのは新たな魔術の開発だが、その次に得意なのは敵を作る事だ。

「このバフの最も重要な所は、重ねがけができるという事です」


 師匠は近くにあった紙に、さらさらと数字を書いていった。


「5×5×5×5×5×5×5=78125」


「最大7人。全員が1度にこのバフを彼にかけ、破壊呪文を唱えれば、これだけの威力が出せます。そしてこれならば、たったの一撃で次元ごと消滅させ、戦争を終わらせる事が出来るという訳です」


 またもどよめきが起こったが、今度は僅かに期待を含む物だった。悲観的な状況に、希望の光が差し込んだような、そんな雰囲気を共有している。


「ただし」

 師匠が続ける。

「このバフの最大5倍というのは、心身共に彼と通じ合い、お互いを知り、愛情によって結ばれた者にしか出せない数字です」


 最初、僕には言っている意味が分からなかった。周囲、女王陛下およびダビド氏も今回は同じだったようだ。流石の師匠もその空気を察したようで、若干だが言いづらそうに、話をこう要約した。


「……まあ、平たく言うと、彼は7人の女性と婚姻関係を結ぶ必要がある訳です」


 7人と……結婚?

 どうやら、僕はこれからお嫁さんを7人も探さなくてはならないらしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る