第5話 2限:術師倫理

 さて、今日も勉強の続きだ。


 学園に来てから1週間。僕はずっと机に噛り付きっぱなしだった。


 師匠は、相変わらずレインさんの魔石心臓を分析している。

 ライカは魔術史を教えてくれて、クラウ様は僕の勉強を手伝っている。


 だがミスティさんは、初日以来僕の前に現れていない。

 あんな感じの人でもこの学園の教授らしいし、色々と忙しいのだろうが、最初から手玉に取られている感じだった師匠やレインさん、別の方向で積極的なライカやクラウ様と違って、連絡すら何も無いというのは逆に新鮮だと思う。

 僕には興味が無いって感じなのか。それならそれで仕方ないが、発言からすると結婚には同意していたみたいなので、真意は気になる所だ。


「なんだか集中出来ていないようね」


 そんな事を考えていると、横からクラウ様が僕の顔を覗き込んだ。


 ライカが教材用の本を学園の図書棟に探しに行っている間、2人きりのタイミングだった。


「何を考えてたのかしら? いえ、誰の事を考えてたのかと尋ねた方が良い?」


「い、いや別に……誰って訳じゃ……」

「ふーん……そう」


 なんか妙な威圧感があって怖い。これが王家の血という物なのだろうか。


「前から気になっていたのだけれど、あなた心の中で私の事を様付けで呼んでるわよね?」


「え?」


 その指摘は確かに、言われてみればそうだが、心の中の敬称を見抜かれたのは初めてだったので狼狽える。クラウ様は僕の心が読めるのか?


「ほら、またクラウ様って呼びましたわ。違う?」

「い、いや、えっと……」


「行き遅れオバさん魔術師は師匠、色黒武力女はレインさんって呼ぶじゃない。まあそれは関係性と年上から考えて分かるわ。でもあの根暗イカれビッチはライカって呼び捨てで呼ぶ」


 この人滅茶苦茶な事言うなあと思うが、仮に本人がいてもうっかりそう呼びそうなのが逆に恐ろしい。


「だから私の事もクラウって呼び捨てにしなさい」


 そんな命令口調で言われたら様をつける方が自然な気がする。


「じゃあ、えっと……クラウ」

「むふ……はい。何ですか? ランド様」


 満足気ににやにやと笑っているクラウ様。じゃない。クラウ。


「さて、そろそろ私の授業も始めましょうか」


 選択科目その2「術師倫理」。


 倫理観が限りなく低いと思われるクラウから教わる科目としては不適格のように思えるが、実はこれにはちょっとした裏技が関係している。


 「術師倫理」は28種類の試験科目の内、唯一ペーパーテストではなく面接による試験が実施される科目なのだ。1時間の問答の中で魔術師としての心得、魔術師を取り巻く環境に対する考え方、魔術師の未来を想像する力などについて質問される。


 倫理と名はついているが、常識的な答えをただ返すだけでは駄目で、哲学的な思慮深さや多種多様な知識が求められる。だが、面接官は学園長と教授資格を持った2人の魔術師。つまり、3人のうち2人はこちらの味方なので、ある程度の手心が加えられるという訳だ。


 とはいえ、試験は試験であるのに変わりはないので、仮に面接時の受け答えを全く想定せずに挑めば落ちるのは間違いない。そこで白羽の矢が立ったのがクラウ様だった。


 基礎教養があり、幼い頃から帝王学も収めている。外面を取り繕う事など簡単だと言い張る彼女に、「術師倫理」の対策を担当してもらうのは合理的だと師匠が判断した。


「さあ、ゆっくりお話しましょうか? ランド様」

「は、はい」


 面接の予行練習にかこつけて会話をしたいという下心を隠す事なく、クラウは続ける。


「今から何個か、過去に面接で出された質問を出しますわね」

「お、お願いします」


「では第1問。

 新たな魔法陣の開発中、実験を監視する立場にあるあなたは、術者の致命的なミスに気づきました。

 このまま詠唱を完了すれば魔法陣の中にいる5人の人間が死亡します。ですが、あなたが今すぐに術者の詠唱を止めれば魔法陣に流れた魔力が逆流し術者が死亡しますが、5人は助かります。さて、あなたは術者を止めるべきでしょうか?」


「……なんでそんな危険な魔術の実験を安全対策なしでしてるんですか?」


「それだと0点ね。この問題の主旨が読めてない。半分出来レースと言っても流石に落ちます」


 ああ、そうだ。これは「術師倫理」の試験だった。前提条件にケチをつけても仕方ない。


 整理すると、この質問の意図は今まさに目の前で死んでしまう5人を助けるか、自分の手を汚してでも差し引き4人の命を救うかという所にある。


 実験の参加者として利益を尊重するのであれば、5人が死ぬより1人が死んだ方が事故としては確かにマシかもしれない。だが、僕の立場はあくまで監視者であり、殺人などそもそも許可されていないし、そもそも単純に術者1人分の命が5人分より軽いとも言い切れる物ではない。

 術者がもし100年に1度レベルの天才だったら、損失は測りきれないだろう。


 功利主義的に考えては駄目だ。おそらく答えは出ない。


 実際にその場に立った者として、僕は想像を膨らませる。


「……その6人の中に、僕の知り合いはいますか?」

「1人もいない。全員赤の他人よ」


 不思議な事に、ただの仮定の話だと言うのに少し心が楽になった気がする。


「……その実験は、人を幸せにしますか?」

「……ふふ、何その質問。なかなか面白いわね。答えはイエスでもありノーでもある。新たに開発された魔法陣は戦争において幾多の犠牲者を出し勝利をもたらすわ」


 実験を継続させる事が必ずしも全体の幸福に繋がらない。が、実験を続ける意味はある。なんだか迷宮の更に奥深くに入ってしまった気がする。


「術者が生き残った場合、自分の失敗をどう思いますか?」

「まあ、悔いはするでしょうね。でも自殺はしないし魔術師を引退もしない。5人の死はあくまでも事故として片付けられる。この実験が継続するかどうかは不明よ」


 まずい。泥沼だ。そもそも正解なんてない問題、太刀打ち出来そうにない。


 もう1度問題に立ち返ってみる。それぞれの立場に、僕を置く。


 もし僕がその術者なら、事故が起きた後、殺してでも止めて欲しかったと思うだろう。

 もし僕が5人の内の1人なら、死の間際に術者を少しは恨むだろうが、監視者を責める気にはなれない。殺せなかった気持ちが分かるからだ。


 でも僕は監視者だ。1つの正解は無くとも問いには必ず何かの答えがある。


「……詠唱を止め、術者を殺します」


「ふう、長い事考えたわね。で、その意図は?」


「殺す事でせめて罪を背負えば、この実験の参加者としての義務だと思うからです」


「……ふーん。なかなか良い答えじゃない? 点数は、まあ75点くらいかしら」


 ようやく肩の荷が降りた気がして、ドッと疲れが出た。横になりたい。


「じゃ、第2問は今の応用問題」


 容赦ないクラウの追撃。


「今すぐ私を殺せばあなたを含むパーティー全員の命が助かります。あなたは私を殺せる?」

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