第2話 生死

 そうして師匠に連れてこられたのは、旧研究棟内の地下室。


 学園に来てから1ヶ月程が経つが、1度も来た事はなかったしそもそも存在すら知らなかった。でも師匠は慣れた様子でどんどん階段を下っていたので、おそらく僕の知らない間に何度も来ていたのだろう。


「教団を襲撃した際に捕らえた魔術師の事を覚えてるか?」


 ランタンを片手に持った師匠がそう尋ねたので、僕は頷く。


 ネッドと組んで行商人達を襲った犯人の1人で、危うくレインさんを殺しかけた教団の女魔術師。何を質問しても完全に沈黙を貫いていたので、仕方なく学園に引き渡して取り調べしてもらっていた。


「結論から言えば、奴はこの学園の卒業生ではなかった」


「え? そうなんですか? という事は、あれらの魔術は独学という事に……」

「……いや、それもちょっと違う。奴の使っていた魔法陣や魔術は間違いなくこの学園にいないと習得出来ない物だ」


 おかしな話だ。矛盾している。


 師匠の言っている意味は分からないまま、地下室に作られた牢の前に辿り着いた。女魔術師は両手を鎖に繋がれ、俯きながら目だけでこちらを睨んでいた。


「こいつの名前はトレイス。半年前までは何の変哲もないあの教団の信者だった。だが、教団の儀式的魔術に参加している時、ある変化が起きた。3ヶ月前の事だ」


 3ヶ月前。何が起きたのかはまだ分からないが、時期からして何が原因かは分かった。


「そう、『亀裂』が出現した時の事だ」


 儀式的魔術は、本来何の効果も持たないおまじないである。


 だが学園で魔術史を学んで分かったのは、何の意味もない行為を繰り返す事によって、人はその中から意味を見出す事が出来るという事だ。その行為を努力と呼ぶか徒労と呼ぶかは後にならないと分からないが、少なくともトレイスのしていた行為は何かの結果に辿り着いたらしい。


「こいつの行なっていた儀式的魔術は、既に私が解いて分析した」


 そう言うと、師匠は杖を構え、トレイスに向かって呪文を詠唱し始めようとした。僕がそれを慌てて止める。


「ま、待ってください師匠。一体何をするんです?」

「呼び出す」

「……誰をですか?」

「『亀裂』の向こう側にいる者をだ」


 そしてまた詠唱を始めようとしたので、僕がまた止める。


「ま、待って! まだ僕……死にたくないです」


 それは正直な気持ちだったが、師匠は一瞬だけ微笑んで答えた。


「既に何度か呼び出しているから心配はいらない。それに、奴をお前に会わせる約束もした」


 どうやら僕が真面目に勉強している間、師匠は人間の生成に手を出し、生きている人間の脳を弄り、『亀裂』の向こう側にいる存在と交渉をしていたらしい。あまりにも勝手過ぎるが、それが厭世の魔女と呼ばれる所以でもある。


「もう止めるなよ。行くぞ」


 師匠は僕に釘を刺し、詠唱を開始した。

 大丈夫だとは言われたが、30%くらいは死を覚悟しつつ、その様子を見守る。


「……混沌の深く眠る者、死の享楽に浸る者、この肉体を通じ、我が呼びかけに応じよ」


 ただでさえ涼しい地下室の温度が、更に冷え込んだ気がした。誰かのひそひそ声が聞こえた気がした。黒いもやのような物がトレイスの身体を包んだ気がした。それらは全て気のせいだったかもしれないが、事実目の前では口憚る何かが進行していた。


「……くっくっく。またお前か」


 僕はトレイスの声を1度だけ聞いた事がある。レインさんを魔術で撃った時だ。たった1度だけなので確信とまではいかないが、その時の声とは違うと思う。


「要望通り、極上の餌を連れてきたぞ」


 師匠がそう言った。餌、とは何の事を言っているんだろう。


「ほう。これは楽しみだ。名は何と言う」

「ランドだ」


 僕の事だった。終わった。


「だが餌を食わす前にいくつか質問に答えろ」

「ああ、良いだろう」


 不思議な事に、声は確かにトレイスから出ているが、彼女が喋っているようには感じない。確かに今彼女の中には別の存在がいて、こちらを認識して喋っている。


「まず、お前の目的は何だ?」

「極上の餌を喰う事。薄味がいくらあっても駄目だ。そちらの世界では魔力、と言ったか。それが濃ければ濃い程良い」


「ふむ。ならばこのランドを食えば満足するか? 他の者には手を出さないと約束出来るか?」

「そいつの味が濃ければな。私は仲間内でも特にグルメでね。雑魚をいくら食べても満ちる事はない」


「なるほど。それは良かった」


 良かったらしい。


「次の質問だ。お前は今トレイスの肉体を乗っ取って喋っているが、こちらで別の肉体を用意すればそちらに乗り換える事は可能か?」


「可能ではあるが今は不可能だな。私は今、一部の意識のみをこちらの世界に送っている。正確には、『亀裂』の向こう側にある本体を目に見えないくらい薄く薄く引き伸ばしてここまで繋げている。完全に肉体を乗っ取るには、私の本体の近くまで持ってきてもらう必要がある」


 やや威圧感はあるが口調は穏やかだ。話している内容は恐ろしいし、僕はもうすぐ死ぬっぽいが、相手にも会話を成立させるだけの理性はあるらしい。


「最後の質問だ。そちらの世界を消滅させても良いか?」

「私だけ助かり、極上の餌が喰えるなら一向に構わない。が、お前の立てた作戦では不可能だとは言っておこう」


「それは何故だ?」

「くっくっく。こちらに来てからのお楽しみだ」

「……と、いう訳だ」


 どういう訳だ。目の前で繰り広げられたやりとりが、あまりにも人知を超越し過ぎていて、途中から僕は理解を放棄していた。1つだけ気になっていたのは、これから僕がどうやって殺されるのかについてだ。なるべく痛くない方法でお願いしたい。


「さあ、質問には答えたぞ。そろそろその餌を寄越せ」

「……良いだろう。ランド、パンツを脱げ」


 え? まさか男の1番大事な部分から食べるつもりなのだろうか。


「……ああ、説明していなかったな。こいつの餌は男の精液なのだ。だから今からランドには射精をしてもらう」

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