第8話 厭世の魔女サニリア

「まずは合格おめでとう、ランド」


 目の前に置かれたグラスに師匠が酒を注ぐ。「君は?」と尋ねられ、最初は年齢を理由に断ろうかと思ったが、今日ぐらいは、という言い訳が浮かんだ。


「いただきます」

「ほう、意外だな。てっきり断ると思ったが」

 師匠は自身のグラスにも酒を注ぎ、それから乾杯を交わした。


 ここは城内、師匠の部屋。客間がいっぱいだったので、ダビドが使っていた研究室をそのまま譲ってもらったらしい。ダビドは城の外に部屋を借りて、今も空虚な目で師匠の命令を待っている。いくら強姦未遂とはいえ、罰としてはやりすぎだったな、と最近思い始めたが、皮肉にも師匠の操り人形になってからというもの、軍での評価はうなぎ上りになっているらしい。


「ふう、なかなかいけるな」


 酒を飲み干し、師匠が一息ついてそう言った。考えてみれば、師匠が酒を飲む所など5年も一緒に暮らしていて1度も見た事がない。紫の液体があまりにも似合うので違和感が無かったが、合格の祝いに酒を選ぶのはちょっと奇妙な気がする。


「……正直言って、緊張している」


 しばらく沈黙が続いた後、師匠が意を決したようにそう切り出した。顔が紅潮しているのは、酒のせいだけとは限らないらしい。


「緊張、ですか?」

「ああ。ミスティから聞いただろう? その、アレについて私は、なんというか、経験がない」

 こんなに歯切れの悪い師匠は初めて見た。


「知識自体はある。他人のを見学した事もある。だが実戦はない。君は既に他の子と経験を積んでいるだろうし、リードしてもらえると助かる」


 こんなにかわいかったかこの人。と内心では思うが、ここでからかってしまうのはかわいそうになったので、僕は旨を張って答える。

「分かりました。師匠」


「あとその、師匠というのもやめてくれ。今は私が教わる立場だ」

「では、何と呼びましょうか」

「……では、名前で頼む」

 僕はこの上ない真剣さで、声を出す。


「サニリア」


 その瞬間、ばたん、とサニリアが机に顔を突っ伏して倒れた。


 酔っ払ってしまったか? と思ったがどうやら違うらしい。

 僕はサニリアの顔を覗き込む。


「こんなに格好良く成長するなんて……ずるいぞ」


 思えば、ライカの家から引き取られた10歳の頃に比べれば、僕も随分と背が高くなった。サニリアからしてみると、弟子であり子供のような存在だった僕と行為を行うなんて、あの時は思っても見なかった事はずだ。


「かわいいよ、サニリア」


 からかうのはかわいそうだと言ったが、気づくと僕は率直な感想を口に出していた。

 サニリアは一瞬目を開いた後、反対側を向き、僕がそれを追跡すると、また顔を反対側に向けた。

 真っ赤になった顔をよっぽど見られたくないらしい。


 普段から無茶振りを繰り返し、いつも毅然とした態度で、冷静かつ合理的な判断を下す師匠としての顔と、酒の力を頼って本音を言い、ちょっとした言葉で恥ずかしがり、その顔を隠すために子供じみた振る舞いをするサニリアの間にあるギャップを、僕は心底愛しく思った。


「……こうなったら言ってやる」


 サニリアは起き上がり、何かを覚悟したようだった。やられっぱなしは性に合わないのだろう。


「ランド、お前の知らない所で女達は協定を組んだぞ」

「え? 協定?」

「ああ、そうだ。それぞれお前を占有出来る時間を曜日で割り振ったのだ。月曜日はルナ、火曜日はライカ、水曜日はレイン、木曜日はミスティ、金曜日はユキ、土曜日はクラウ、そして日曜日は私だ。その曜日は最低でも2時間、2人きりになれる時間を作るように他の女も協力する。そういう協定だ」

 いつのまにか勝手に僕の時間が切り取られてしまっていたらしい。


「そして協定にはもう1つ、大事な決まりがある」

 僕は息を飲み込む。目の前にはいつのも師匠がいた。


「『亀裂』の件が終わった後、もしもランドが7人の内1人を選んだのなら、他の6人は身を引くという事だ」

「それって……」

「そうだ。作戦が成功し、君が望めば、1人だけと改めて婚姻関係を結ぶ事が出来る。通常の結婚と同じで、1人だけと添い遂げる誓いを改めて結ぶのだ」


 実際、僕も作戦が成功した後の事はたまに考えたりしていた。いつまでも7人で暮らせるのだろうか、誰かが僕を嫌いになるのではないか。もし僕の下を離れる決断を誰かがしたなら、笑って見送ってやりたいと思ったが、花嫁達はよりシビアに考えていたらしい。


「もちろん、この協定はランドには秘密にする予定だった。作戦に影響が出るかもしれないからな。だが言ってやった。言ってやったぞ」

 酒が入ったせいか、ちょっとやけっぱち気味になったサニリアが更にグラスに酒を注ごうとしたが、僕はそれを止める。


「あんまり飲みすぎると、この後する事を忘れてしまいますよ」

 サニリアの耳が真っ赤になっているのが髪の毛の隙間に見えた。これからの行為を想像してしまったのだろう。


「ところでその協定、本当に守られると思います?」

 サニリアは少し考えてから言う。


「まあ、ユキとミスティあたりはちゃんと時間を守るかは怪しいな。それに、ライカとクラウはもし最後に自分が選ばれなかったらそれなりに文句を言いそうだ。敵になるかもしれない」

 どうやらまだ頭は働いているらしい。だが、重要なのはそこじゃない。


「サニリア、君が守れるかどうか、と聞いてるんだよ」

「……ああ」

 サニリアは僕を見ずに、空っぽのグラスを見つめていた。


 僕はサニリアの顎に触れて、こちらを向かせた。そして軽く口づけを交わす。酒の香りが香った。


 灯りが消え、夜が始まる。


 サニリア  456%→490%

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