3 リーバー先輩の懸念

 その日、帰宅したレオナちゃんに笑みはなく、ますます思いつめて深刻な表情に変っていた。文字通り、粋をひそめてリビングにやって来たレオナちゃんの一挙手一投足を見つめる、ボクとリーバー先輩。


「もお、森田先生ったら全然役に立たないんだから! どう考えても、あのジャージは川崎先輩が何かの拍子に置き去りにしてしまったものよ。それがたまたま無記名だったんで、自分のものだとばれるのが嫌で自分のものではないと嘘をついている――ってことに決まってるじゃない! どうして、もっとワタシの推理を信じてくれないのかしら。先生にはもっと真剣に、犯人を捜して欲しいものだわっ」


 どうやら、レオナちゃんの捜査内容を聞いた森田先生が川崎君を呼びつけ、スクールジャージについて問い詰めてみたももの、本人は知らぬ存ぜぬの一辺倒で解決には至らなかった、ってことみたいだ。

 怒り収まらない、我らがあるじ、レオナちゃん。

 キッチンの棚の奥の方にあるママさん秘蔵のスナック菓子の袋の数々(ぬいぐるみは何でもお見通しなのだ!)を抱えるようにして持ち出したレオナちゃんは、食卓テーブルの上にこれでもかと並べたてた。

 そして一瞬、野獣のような鋭い眼差しをしたかと思えば、お菓子の包みを惜し気も無くバリバリと破りまくり、甘いチョコレ―ト菓子にしょっぱいスナック菓子、まるでお菓子に八つ当たりするようにガツガツと食べだした。


「えもへえ(でもねえ)、ほへにしてもがっほうれ(それにしても学校で)ふぇんなほとばはり(変なことばかり)ふぶいているみふぁい(続いているみたい)……」


 恐らく、今の彼女の口の中を占拠しているのは「うすしお味のポテチ」だろう。

 それじゃ頬袋ほほぶくろを目一杯ふくらませたシマリスみたいだとボクが思っていると、レオナちゃんは口の中に貯め込んだ食べ物を、ゴクリと一気に飲み込んだのである。


「隣のクラスじゃ、生徒会副会長の神田さつきちゃんが一週間前から学校に来ていないって噂だし、学校のグラウンド横にある誰もいないはずの家で明りがついていたなんていう幽霊屋敷騒ぎもあるみたいだしね……。一体、どうなっちゃてるのかしら」


 その瞬間、レオナちゃんの話を聞いたリーバー先輩が、人目のある時は動いてはいけないというぬいぐるみの掟を破ってピクリと動いてしまった気がした。僕の脇の下から噴き出した、透明な冷や汗。

 こっそり目線だけ先輩の方に合わせてみる。

 すると先輩は、張り詰めたような緊張の面持ちでマンションの天井を見つめていた。もしかしたらぬいぐるみ犬探偵の先輩は、何か思いついたのだろうか。

 そんな風にボクが考えている隙を突くように、レオナちゃんは目にも止まらぬ速さでスナック菓子を平らげてゆく。


「生徒会副会長の神田さんは真面目だし、身に着けていた無記名のジャージを彼女が置き去りにして何処かに姿をくらます、なんてことはないと思うけど……」


 と、そのときレオナちゃんは何か名案を思い付いたらしい。スナックを口に入れるスピードが急に速まったのだ。

 大きく見開いた目を輝かせ、両手をボートのオールを漕ぐときのように回転させながらポップコーンを猛然と口の中へと放り込んでゆく。


「もしかしたら幽霊屋敷とは何か繋がりがあるのかも知れないわね……。例えば、あのジャージはかつてこの学校に在籍してた生徒が着ていたものだったけど、在学中にその生徒が亡くなってしまい、今もそのジャージだけが学校周辺を歩き回ている――とか」


 自分の言葉に怯えたのか、ぶるっと身震いしたレオナちゃん。

 途端、ポップコーンが喉に詰まった。

 激しく咳込んだあと、あらかじめコップに用意してあったオレンジジュースをぐびぐびと喉の奥に流し込む。

 数秒後、何回かの深呼吸をして落ち着いたレオナちゃんが決心したように呟いた。


「ふうう……でも、そんな訳ないか。けど気になるし、明日はその幽霊屋敷をちょっと調べてみようかな」


 どうやら、レオナちゃんのエネルギーは満タンになったようだ。

 満足げにお腹をポンポンと叩くと、大量のお菓子の空袋をぐしゃぐしゃと丸めてゴミ箱に捨て、自分の部屋へと戻って行った。遅い昼寝でもしようというのだろうか。

 人間の誰もいなくなったリビングで、先輩がボクに呟く。


「……レオナちゃんのことが心配だな。明日は、レオナちゃんのスクールバッグにこっそり隠れて、学校についていくぞ。コーハイも一緒に来い」

「えっ、どういうことッスか? 幽霊屋敷には何か危険があるとでも?」

「ああ、多分」

「そもそも、名無しのジャージ事件と、女の子の不登校と幽霊屋敷騒ぎはつながっているんスかね」

「……。オレの推理ではつながっている。とにかく、明日はレオナちゃんに同行だ」


 どういうことッスか、と何度聞いても先輩はそれ以上答えてくれなかった。

 そしてその夜、レオナちゃん一家が寝静まった頃合いを見計らって、ボクと先輩はレオナちゃんが普段学校に持ち歩いているバッグへとこっそり忍び込んだのだった。


  ※


 一日の授業もすべて終わり、放課後になる。

 レオナちゃんは、ボクとリーバー先輩を入れたスクールバッグを右手に持ちながら、ひとりでとぼとぼと校庭の隅にやって来た。


「まったく……どうしてワタシ、ぬいぐるみを二つも学校に持ってきてしまったのかしらね? あやうく先生に没収されかけたし……。昨日の夜、そんなに寝ぼけてたっけ」


 しきりとぼやく、レオナちゃん。

 そうなのだ。ボクとリーバー先輩は、今朝の持ち物検査のときにレオナちゃんの担任の先生に見つかり、あともう少しでレオナちゃんから取りあげられてしまうところだったのだ。

 これにはさすがのリーバー先輩も慌てたらしく、


「あぶなかったあ……。あともうちょっと人間の前で動いてしまうところだったぜ」


 と、レオナちゃんの授業中、こっそりとボクに教えてくれたのだった。


「机の棚から偶然落ちてバッグに入ってしまったみたいです」


 レオナちゃんの苦しい言い訳に、「今回は目をつぶっとく」という先生の一言で何とか没収を逃れたボクたちは今、レオナちゃんと一緒に学校の校庭に来ているのだった。

 考えてみれば、我らの主との初めての外出。

 なんだか少し、心がときめいた。


「ここが、噂の幽霊屋敷ね……」


 歩みを止めたレオナちゃんの声が、バッグ越しに聞こえてくる。

 そこで、ボクと先輩はバッグのチャックの閉まりきっていないほんの少しの隙間から外を覗いてみた。すると、学校の敷地と民家の敷地の間にある金網フェンスの先に、噂の幽霊屋敷らしき古ぼけた一軒家が――。よく見ると、フェンスの下の方に人間一人がかろうじて通れるくらいの、金網がほつれて「穴」になっている部分がある。リーバー先輩にもそれは見えたらしく、「やっぱりな」と耳元でささやいたのが微かに聞こえた。


「あ、ここ、金網が破れてる……」


 当然、レオナちゃんもそれに気付いたらしい。

 フェンスの穴の前までゆっくりと進んだレオナちゃんが、一旦、ボク達の入ったバッグを地面に置いて周りにに人がいないことを確かめる。そして、腰を折り曲げて金網の「穴」を通り抜けると、ボクたちの入ったバッグを体に引き寄せたのである。


 (ああ……やっぱり入っちゃったッス)


 これからどうなってしまうのかとドキドキの止まらないボクがふと横を見れば、いつもとは違う緊張した面持ちのリーバー先輩の横顔が見えた。

 そんなこととは露知らず、音を立てずにそろそろと歩みを進めてゆくレオナちゃん。

 しばらくして、レオナちゃんの足の動きに合わせてゆさゆさと揺れていたスクールバッグの動きがぴたりと停まる。レオナちゃんが立ち止まったのだ。チャックののぞき穴から外を覗くと、そこは幽霊屋敷の裏庭らしき場所だった。

 裏庭の先に、幽霊屋敷が見える。

 さっきよりも近づいたので、建物の様子がよくわかった。

 どう見ても、ここ数年間は人が住んでいないといった感じの木造の建物で、風雨にさらされた窓ガラスはかなり汚れ、屋根の上のテレビアンテナが所々折れていた。

 なにより気になったのは、荒れ放題の庭だった。人の背丈位もありそうな雑草が、あちこちで生い茂っていた。ただ、かろうじて人ひとりが通れるくらいの獣道のような空間が、雑草が倒れるような形でレオナちゃんの眼前にひろがっている。


「うわ、人が住まないと、こうなっちゃうのね……。でも、この道みたいなのは、最近人が通ったことがある証拠よ」


 レオナちゃんの言葉に、リーバー先輩が小さく頷いた。

 先輩の眼には、先ほどよりも更に緊張が高まっているかのように見えた。

 そんなとき、レオナちゃんの足が再び動き出した。

 道らしきものがあるとはいえ、右と左からノッポの雑草たちが次々と襲いかかってきた。それを掻き分け掻き分け、レオナちゃんが遂に空家の裏口へとたどり着いた。

 間髪入れず、錆かけた金属製のドアノブを回してドアを開けようとするレオナちゃん。しかし、それはががちゃがちゃと音を立てただけで、びくともしなかった。どうやら裏口のドアは、鍵がかかっているらしい。


「ま、そりゃそうよね。開かなくて当然よ」


 屋敷には入れない――と観念したレオナちゃんが、辺りを見回す。

 すると彼女の右手に、カーテンの掛かっていない、茶色く汚れた窓があるのを発見した。すぐに近づいてゆき、ぐっと背伸びして中を観察する。


「家の中は真っ暗なようね……。幽霊屋敷だなんて、ただの噂なのかしら?」


 と、その時だった。

 レオナちゃんの背中の方からガサガサと音が聞こえたかと思うと、何かがレオナちゃんの背後に襲いかかったのだ。


「うっううっ……」


 何かで口を塞がれてしまったらしい、レオナちゃん。うめき声しかあげられない。

 じたばたともがいたレオナちゃんだったが、やがてその動きが止まる。今までレオナちゃんが手に持っていたスクールバッグが、ボクと先輩を入れたまま、ぽとりと地面に落ちた。

 ボクと先輩は、当然、しこたま地面へと叩きつけられたのだった。


(イタタタタ……)


 体が軽く、柔らかいぬいぐるみだから、この程度で済んだようなものだ。

 もう少しで人間に聞こえるような大声をあげてしまいそうだったが、何とか我慢したボク。


(……もうっ、痛いッスよね! それにしても、レオナちゃんに一体何が?)

(コーハイ……。きっとレオナちゃんは誘拐されたのだ。恐らくは、名無しのジャージの持ち主で神田さつきさんの誘拐犯人、かつ、この幽霊屋敷の噂を近所にばら撒いた張本人によってな)

(!?)


 どう答えてよいものやら迷っているボクに、ぬいぐるみ犬探偵のリーバー先輩は、いつもは「への字」に開いた口元をきりりと真一文字に結んで、心配そうに外を眺めた。

 と、再び宙に浮き、動き出したスクールバッグ。

 ボクらは、ゆりかごのように揺れるバッグに自分たちの運命を託すことしかできなかった。

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