2 リーバー先輩の焦り
レオナちゃんたち家族が、寝静まる。
そしてこれからが、ボクたちぬいぐるみの時間だ。
人間には聴こえない周波数での会話とはいえ、昼間の事件のこともあってぬいぐるみワールドは、いつにも増して大変な騒ぎだった。
けれど、どんなときにもボクたちは活動の前にまずは“
「はい、集合!」
この家のぬいぐるみの最古参でボクらのリーダー格であるウサギの「ミミ」の掛け声一閃、すぐさまおしゃべりをやめ、ボクらはリビング中央のローテーブルの周りに集合した。
いつものとおり仲良く声を合わせて掟を唱える。
「人間に頼ってはいけない!」
「人間に動くところを見られてはいけない!」
「人間と話してはいけない!」
この三つが、ボクたちぬいぐるみたちの掟だ。
なにせぬいぐるみなんだから、本当はいつでも動くこともできればどこでも話すこともできる。でも、それを人前でやってしまったら掟を破ったことになって、ボクたちぬいぐるみはこの世から消えねばならない決まりなのだ。
噂によれば、消えるというよりは最初からいなかったようなことになるらしい。
存在の痕跡はもちろんの事、関係した人間の記憶からも仲間のボクたちぬいぐるみの記憶からもきれいさっぱりと消えるのだ。考えただけでも恐ろしい、とボクは思う。何故ならこの世に存在した
ということで、ボクたちぬいぐるみはその掟を守り、普段は動けなくて話せないような“フリ”をしているのだ。
人間にとって真っ暗な部屋でも、ボクらには普通に見えていることは、皆さんも既にご存知と思う。
だから今、ミミが“コーハイ”と呼ばれるビーグルの子犬のぬいぐるみであるボクの傍に心配そうな顔して近づいて来る様子だって、ばっちり見えるんだ。
「ねえ、コーハイ……。アンタの先輩、元気ないわよ」
自慢の黒く長い耳をぴんと立て、先輩の声が部屋のどこ辺りにするか探してみた。
だが、どこからも声が聞こえないのだ。
ボクの様子を見たミミが、「リーバーはあそこ」と言って左耳をかくりと曲げ、ボクをその方向に向かせようとする。その方向とはリビング隣のパパさんの書斎に向かう方向だったが、そこにはとぼとぼと四足で歩くリーバー先輩の寂しげな背中があった。
今まで何年も付き合ってきたが、先輩のあの背中の丸まり方は尋常ではない。ボクも急に心配になる。
――あ、一応説明しておくと、リーバー先輩はボクがこの家に来る前にここにやって来たゴールデンレトリーバーの子犬のぬいぐるみで、パタパタと動く
だが特筆すべきは、その推理力だ。
ぬいぐるみ犬探偵として、この家のぬいぐるみの間に起こった怪事件や主のレオナちゃんの身の回りで起こった難事件を、人知れず解決してきたのだ。
まさに人知れず――に。
「なになに? 何を話してるの?」
とそこへ、青いペンギンの「ギン」が興味津々な眼を携えてやって来た。それにつられるようにして、他のぬいぐるみの仲間たちも集まって来る。
ピンクのヒツジの「メメ」、去年オーストラリアからやって来たコアラの「コー」だ。
他にもう一匹、沖縄出身のカメのぬいぐるみでその名も「カメ」がいるのだが、姿が見えない。が、よく目を凝らしてみると、メメとコーの後ろで床を這いながらのそのそとやってくる緑色の姿が見えた。
「いや、これはボクの想像なんスけど……」
リーバー先輩に聞こえないよう、ボクは声をひそめた。
「先輩、きっと自分に怒ってるんスよ」
「自分に怒ってるって、まさか――」
ミミが結論まで言わずに他の仲間の顔をぐるりと見回した。
そのミミの言いたいところは、皆も理解しているようだった。どちらかというとおっとりした性格の他のぬいぐるみたちは、ミミに向かって、あるかないかわからないくらいの短い首を縦に振っている。
「そうッス。つまり先輩は、空き巣が入ったときに何もできなかった自分を責めてるんス」
「その気持ちはわからないでもないわね……。できればあのとき、私も何かしたかったもの。でも私たちはぬいぐるみよ。“掟”がある限り、どうにもできないわ」
ピンクの頬を更に赤らめて、ヒツジのメメが言った。
カメがボクの言いたかったことを代弁するように、のそのそぽそりと呟く。
「リーバーは……きっと……番犬になれなかったことを……悔やんでいる……のさ」
「番犬ですって!?」
番犬という言葉に驚きの表情を隠せないミミ。
ボクはミミのそんな表情に大いに不満を感じた。
何故って、ぬいぐるみとはいえボクたちは犬の端くれ、“番犬”に憧れがあって当然なのだ。リーバー先輩の気持ちが、ボクには良く分かる。
だがそんなとき、いつも明るくリビングを走り回るギンが更にボクの気持ちを掻き乱すように場を茶化した。
「番犬になんて、ぬいぐるみがなれる訳ないじゃん!」
「何だとぉ……そんなことないッス!」
ギンにつっかかろうとしたボクを、ボクらの中では比較的体の大きいコーが前に立ち塞がってケンカになるのを防いでくれた。オーストラリアで習ったという北国訛りがあってそれが恥ずかしいというコーは普段はあまりしゃべらないが、こういうときは実に頼りがいがあるのだ。
お陰で頭を少し冷やせた、ボク。
だが結局のところ、ボクも先輩も番犬になれなかったのだ。
これは
「とにかく……、先輩を励ましてくるッス」
まだ片付け切らずにあちこちに物が散らばった部屋の中を、元々やわらかいフェルト生地の背中をしょんぼりと丸めながらパパさんの書斎のある方向へと歩いて行く先輩の後を追った。
ボクがパパさんの書斎に着いた時には、先輩はまるでカモシカが崖を登るときみたいにひょいひょいと跳び上がって書棚を登っているところだった。
先輩が最終的に落ち着いた場所――そこは、パパさんの所有する本がたくさん並べられた本棚の、一番上の棚だった。空き巣が入って来た窓のある書斎部屋なのに、今回の空き巣騒ぎでも奇跡的に荒らされなかった場所でもある。
最上段の棚の空間にはちょうどぬいぐるみ一体分のスペースが開いていて、偶にそこに一匹で行っては誰にも邪魔されない感じでまったりと時間を過ごすのが、以前からの先輩のお気に入りなのである。
「先輩! 今からボクも、そこに行くッス!」
「ダメだ!」
こちらを振り返ったリーバー先輩の眼が、恐ろしく吊り上がっている。
ぬいぐるみ用のふわふわ素材でできているのに、そうとは思えないほどのすさまじい眼力だ。
「ど、どうしてダメなんスか?」
「とにかくダメだ。コーハイはここに来るな」
「ええっ、そんなあ……」
「いいから、
確かにその場所は二匹が収まるにはかなり狭い。
だがそこまで怒ることに対しては、理解できなかった。怒り方も尋常ではない。
ボクはただ、リーバー先輩を気遣っているだけなのに……。
仕方なく、ちょっと離れた場所から先輩を見上げた。
厚めの辞書みたいな本と薄めの雑誌みたいな本。その間に挟まれたリーバー先輩が、遠い目をして呟くた。
「ちぇっ。犬なのに番犬にもなれないなんて……マジに悔しいぜ」
やっぱりそのことを先輩は気に病んでいたのだ。
一緒に悲しみを分かち合いたいが、先輩は傍に行くのを許してくれない。ボクは孤独に、ガラスが割れて酷い状態の書斎の窓から見える蒼い月を見上げていた。
と、それから数分後のことだった。
リーバー先輩が何かを決心したように突然動き出し、ボクのすぐそばにまで寄って来たのである。
「だがやっぱり……いつまでも悲しんではいられないな、コーハイ」
「先輩、そのとおりッス」
「コーハイ、オレはな――」
そう言った先輩の眼が、いつもの鋭敏さを取り戻していた。
ぬいぐるみ犬探偵――いや、名探偵としての、あの鋭い眼力を。
「どう考えてもやはり、おかしい。通常の空き巣は、“盗み”の意思を持って留守宅に来るものだ。なのに今回は、レオナちゃんたちは何も物品が盗まれていないと言う」
「そうッス」
「だとすれば、答えは次の三つのどれかだと思う。目的の物がなくて何も盗まずに帰ったか、レオナちゃんたち住人にもわからないほど薄い存在感の物品を盗んでいったか、もしくは――」
「もしくは?」
ボクは、先輩には負けないほどの柔らかいフェルトの喉をごくりと鳴らした。
「盗み以外の目的でこの部屋に来たか」
「盗み以外の目的!? そんなことがあるんスかね?」
先輩は完全に元の元気を取り戻していた。
いつもの、ちょっと口角を上げた
「若い男の一人暮らしであるお隣さんも、ほぼ同じ時間帯に空き巣に遭ったという。しかも何も盗まれなかったということまで一緒だ……。これが、謎を解く鍵となる気がするな」
「お隣さんはあんまりきちんと働いてる様子はないし、時々見た目がちょっと怖いお兄さんたちが出入りするくらいであんまり金目のものはないのかもしれないけど――ってレオナちゃんは言ってたッスけど……。とはいえ、二軒とも何も盗まれなかったのは、やっぱりおかしいッスよね」
「うむ、その通りだコーハイ。お前も成長したな……」
「ういッス!」
「ぬいぐるみ犬探偵リーバーとその助手コーハイによる『謎の空き巣事件』の捜査開始だ!」
「ラジャー!」
その言葉を合図に、レオナちゃんたちの寝室を覗いたりマンションの中をあちこち歩き回ったりして、事件の謎を解く犯人の残した“痕跡”を
改めて言うが、ボクらはぬいぐるみ。
人間には真っ暗で全く見えない場所でも普通に見えて、普通に動ける。
――この部屋の何処かに、空き巣の目的を示す何かが必ず残されているはずだ。
そう思って根気よく探し続けたものの、ママさんがそろそろ起き出してくる早朝の時間に近づいた今になっても、ついにそれを発見することはできなかった。
リーバー先輩がその柔らかい口先をきゅっと曲げて、悔しそうに言う。
「コーハイ。残念だが仕方ない……。今日の捜査はここまでだ」
「了解ッス」
ボクらはレオナちゃんやパパさんが就寝する前に居た、それぞれの場所に移動した。
そしてそのまま身動きしないモードに戻り、もうすぐ起床するであろうママさんを待つことにしたのである。
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