1 盗まれたものは、何?

 その日――。

 レオナちゃんたちの住居であるマンションの一室は、まさに泥棒が入ったかのように足の踏み場もないくらいごった返していた。

 いや、“かのように”ではない。実際に泥棒が入ったのだ。

 それをボクたちは目の当たりにしたのだから、間違いない。


 でもひとつだけ言わせていただくならば、これは“空き巣”ではないのである。

 なぜならそのときこの部屋に、ボクたち“ぬいぐるみ”は存在していたのだから――。

 でも、人間たちは頻りと空き巣と表現する。これがまた、ボクたちぬいぐるみ――時に犬のぬいぐるみであるボクとリーバー先輩にとっては、歯がゆい思いで一杯なのだ。

 だが人間たちがそう言うのであるならば、仕方ない。

 その“空き巣”という言葉を、断腸の思いでこれからも使っていこうかと思う。



 あ、どうも――。

 申し遅れてしまったね。ボクはこの物語の語り手であり、レオナちゃんやそのご家族、そしてぬいぐるみの仲間たちから“コーハイ”と呼ばれているビーグルの子犬のぬいぐるみだ。短くて黒い尻尾にはちょっとコンプレックスあるけど、長くてパタパタと動く黒い耳は自慢なのである。


 ボクらぬいぐるみたちのあるじは、もちろん、この家の一人娘で現在高校三年生のレオナちゃん。

 だけど残念なことに、レオナちゃんは大学入学のために受験勉強まっしぐらな毎日を送っていた。最近、あまり一緒に遊んでくれないんだ。

 確か同じような状況がちょうど三年前にもあった。

 だけど、そのときは今よりもっと余裕があったような気がする。学歴なんてものとは縁のないぬいぐるみには分かりづらいことだけれど、きっと大学ってところは高校よりもややこしい所なんだろう。


 この家にはレオナちゃんの他、パパさんとママさんの三人が住んでいて……とか色々と説明したいところだけど、とにかく今は目の前のことを説明することに集中するよ。

 ボクたちぬいぐるみの掟のことも、また後ほどということで。



 ――てなわけで、見ず知らずの男がこの部屋を荒らし回ったそんな日も、夕暮れを過ぎて夜になった。

 でも、ここはさすがに北国。

 昼間は暑くても夜になるとそれなりにきちんと涼しくなるのだ。あ、今誰か「ぬいぐるみに感覚があるの?」って思った人いなかった?

 あるよ。ぬいぐるみなんだから、当然ある。

 いやむしろ、人間より敏感といってもいいくらいなのだ。


 そんなひんやりと涼しくなった部屋に家族の中で最初に帰宅してきたのは、共働き夫婦の一人、レオナちゃんのママさんだった。

 ちなみにボクたちぬいぐるみはリビングの床などに並べて置かれているので、そこでの人間たちのやりとりは容易に確認できる。


「こ、これって一体……どういうことなの!?」


 玄関の方からした、ママさんの叫び声。

 こんな悲惨な状況になる様を眺めていることしかできなかった――そんな不甲斐ない気持ちでいっぱいのボクたちのことなど目にも入らないような勢いで部屋に入ってきたママさんが、すぐにパパさんの携帯へ電話する。


 ママさんの口ぶりからすると、パパさんはまだ仕事の真っ最中らしい。

 普段からあまり化粧っ気のない顔の中にある口を動かして必死に状況を説明しようとしているものの、どうにも早口になってしまって上手く伝わらない。「とにかく落ちついて」と諭されたらしいママさんが一言「泥棒に入られた」と告げると、それはパパさんにストレートに伝わったらしい。

 「ママ、すぐに警察に連絡して!」とこちらにまで聞こえるほどの音量で叫んだパパさんとの電話を切ったママさんが、即座に警察へ110番する。

 その後、警察がやって来るのとほぼ同時に高校の制服姿のレオナちゃんが帰宅。

 流石は母娘おやこだ。

 同じような身長と同じようなボブカットの髪型で、まるで双子のようにママさんそっくりの驚きの表情を見せたのである。


「窃盗犯はベランダから窓ガラスを割って鍵を開け、侵入した模様です」


 息せき切って帰宅したパパさんに、山鼻やまはなと名乗る三十代後半くらいのやや荒くれ的風貌の刑事が、見れば誰でもわかるような捜査結果を報告した。

 青色のつなぎを着た大勢の現場捜査員が忙しく働く中、パパさんはサラリーマンの癖でついつい名刺をこの現場のキーマンとなりそうな刑事に差し出そうとする。がしかし、刑事は小さく笑ってやんわりと拒否した。

 その瞬間、まるで夢を見ているかの表情だったパパさんが、ふと我に返る。


「あ、名刺は要りませんか。そりゃあ、そうですよね……。で、何が盗まれた?」


 パパさんが、床にモノが散乱した部屋の中で半べそ状態のママさんに目を向ける。

 けれどその問いに答えたのはママさんではなく、山鼻刑事だった。

 そこかしこに散らばったモノを踏みつけないよう足元に気を配りつつ、白い手袋を外しながらパパさんへと近寄ってゆく。


「それがですね……奥さんが仰るには、何も盗まれていないということなんですよ」

「え!? ほ、本当に?」

「ええ、本当に……。今のところ、そうとしか思えないのよ。ねえ、レオナ?」

「うん……たぶんね」


 母と娘の自信なさげな言葉に少々イラつき気味の山鼻刑事が首を傾げ、黒い警察手帳を持った手とは反対の右手を無精髭の目立つ顎に当てた。


「実は、ここのお隣さん――佐竹さたけさんでしたっけ、そちらも今日同じような被害に遭われてましてね……。それがまた不思議なことに、こちらと同様、部屋中を荒らされているのに何も盗まれてはいないと仰るんですよ。私も警察を二十年近くやってますけどこんなケースは初めてなんで、びっくりですわ」

「え? 佐竹さんのところも? でも、お隣はお若い一人暮らしの男性だから、あまり盗まれるものは無いのかもしれませんけどね……あら、失礼」

「しかし……どう考えても同一犯と思われる犯人は、梯子か何かを使ってマンションの三階に誰にも気づかれることなく忍び込むほどの冷静さを持ってるのに、それでいて何も盗まずに帰るというのは一体どういうことなのか……。見当もつきません」

「も、もしかして、ウチも佐竹さんところも貧乏過ぎて“泥棒さん”のお目当ての品がなかったってこと?」


 レオナちゃんがくりっとした瞳を輝かせ、悲しい推理を披露した。

 それを聞いたパパさんが、ショックで打ちひしがれたような顔をして、首に巻かれたレジメンタルのネクタイを力なく首から外した。

 そこへ、刑事がトドメの一言を投下する。


「うーん。確かにこのお宅には金目の物は少ないし、案外そんな感じだったのかも……っていや、そんなことは無いです、ええ」


 ハンカチを取り出し、刑事が失言を誤魔化すように額に浮かんだ玉のような汗を頻りと拭う。

 パパさんの書斎にリビング、そしてレオナちゃんの部屋までが荒らされているこの状況で、本当に盗難品はないのだろうか――?

 そのときママさんが発したのは、起死回生の一言だった。


「あ、そういえば一箇所、大事な場所を忘れてた! あそこの貴重品は盗まれてるかも」


 何故か喜び勇んでキッチンへと向かうママさん。

 マット下に潜んだキッチン床板の“床下倉庫”の扉を張り切って開けると、「ここに隠してある耐火金庫には通帳やら実印やら、大事な貴重品がたくさんあるのよ!」と胸を張る。

 が、その勢いはすぐに萎んでしまった。


「あら残念……全部あるわね。何も盗まれてはいなかったみたい……」


 しょぼんと肩を落としながらママさんがそう言った。

 それを聞いたパパさんが、複雑な表情をしながらもほっと胸を撫で下ろす。それを見たママさんが、今度は憂さ晴らしに刑事に突っ掛かった。


「しっかし、この犯人はどこに目をつけているのかしら……。ねえ刑事さん、この犯人をひっ捕まえたら、仕事はまじめにやれって説教しておいてくださいね」

「あ、はい。了解です」

「それから、レオナは自分の部屋、パパは書斎をもう一度調べてみてちょうだい。私もクローゼットの中とか、もう一度詳しく調べてみるから」


 いつもの指揮監督官ぶりを取り戻したママさんが、さばさばと皆に向かって指示を飛ばした。早速、写真撮影や指紋検出や遺留品の捜索に励む捜査員の邪魔にはならないようにと忍者のような抜き足差し足で書斎に向かった、パパさん。レオナちゃんも、自分の部屋へと一旦戻る。

 しばらくしてリビングに帰って来た二人は、期待外れな結果とばかり、仲良く同じタイミングで首を振った。


「書斎も荒らされてるけど、盗まれたものは今のところ思い浮かばないな……。本棚は一番上の段だけ奇跡的に何も手を付けられずに無事で、下の段の方はバラバラに散らばってる。けど、そこにあった目ぼしい本は全部あると思う」

「ワタシも、もう一度見たよ……。でもワタシの部屋、物色されてはいるけど被害は特にないわ」


 家族全員による必死の捜索も、盗難品は見つからなかった。

 がっくりと肩を落とした刑事が、弱弱しく呟く。


「それならば、“刑事”の出番はないようですな。もちろんこの状況は、刑法第百三十条 住居侵入罪に問われるケースかとは思いますけどね……。ただこれが、お宅やお隣さんの狂言でなければですが」

「な、なんですってえ! 私たちが嘘をついているとでも?」


 じろり、相手の眼の色を窺うかのような目付きの刑事に対し、気色ばんだママさんの肩を抱きかかえるようにして、パパさんがママさんを抑えた。


「いや、失敬失敬。可能性です。あくまでもそういう可能性がある、と言ったまででして……。この事件の場合、状況的には“嫌がらせ”の線が強そうですし」

「嫌がらせって……ウチにはそんなことをされる覚えのある人なんかいませんよ!」


 今度はパパさんが顔を赤くして怒りだす番だった。

 どうやら刑事はこうやって家族の感情に触れ、その奥底に隠された本音の部分を引き出そうとしているらしい。

 だがここは、我らが主たるレオナちゃん。

 眉毛ひとつ動かさない冷静な表情で、こう言い放ったのだ。


「だけど、よく言うじゃないですか。何でもないように見えることこそが実は重大なことが起きている可能性があるって――。シャーロックホームズの小説なんて、だいたいそんな感じですよ」


 これには流石の刑事も、ほほうと感心した。

 レオナちゃんの目力溢れる視線に正々堂々と自分の視線を合わせながら、頻りと顎の無精髭をいじっている。


「なるほど……。お嬢さん、良いこと言いますね。自分は架空のお話には興味はなく、ミステリも読まないので、シャーロックホームズのことはよく分からないのですが……。ただ、確かに現実の事件にも、色々と複雑な事情は多いですよ、実際。

 さて……部屋中の指紋等の採取は致しましたが、どうやら証拠として特に目ぼしいものは無さそうです。ということで、今日のところはこれで引き上げさせていただきますよ。また何か盗難品が見つかったら、ぜひ、警察までご連絡くださいね」


 何やら怪しげな笑顔を振りまきながら、たくさんの捜査員を引き連れて山鼻刑事は部屋を出て行った。



 それから、数時間が経過した。

 まだ全然片付かない部屋の中で、レオナちゃんたち家族は遅い夕食を取っていた。

 疲れ切った顔で言葉少なに味噌味のインスタントラーメンを啜り上げていたママさんが、急に箸を止めて呟いた。ちなみにそのラーメンは、珍しくパパさんが作ったものだったが。


「それにしても、何か腹立つわね……」

「な、なに? どうしたの、ママ」


 パパさんが、やや怯え気味に声を出す。

 ママさんの不満冷めやらない雰囲気を察したレオナちゃんが、「このラーメン、美味しいね」と食事に集中している振りをする。


「この辺りで最近空き巣が流行ってるっていうのは本当みたいなのよ。ほら、この前なんか、あのお金持ちの伊藤いとうさんちに泥棒が入ったじゃない? そのときも、お金持ちの割にはあんまり盗まれなかったって噂だったわ……。

 でもそれにしたって、何も盗まれなかったってどういうことなの? 確かにウチはそんなにお金持ちじゃないわ。にしたって、少しくらいは盗むものだってあるでしょうに!」

「まあまあ……。ママ、落ち着いて。ここは抑えてよ。ウチだけじゃなくてお隣だって同じような状況だったみたいなんだし、ここは何も盗まれなかったということで良かったと思うことにしようよ」

「まあ、それはそうだけど……」


 不承不承ふしょうぶしょうに頷く、ママさん。

 そこへ最近すっかり大人びた雰囲気を身に纏った感のあるレオナちゃんが、パパさんの意見に加勢する。


「ねえ、ママ。パパの言うとおりよ。これは不幸中の幸いってことだと思うわ」

「まあ、それもそうね……。レオナがそう言うなら、そういうことにしましょう」


 ほっと安堵の溜息を吐いた、パパさんとレオナちゃん。

 その二人を前に、ママさんは伸びかかったラーメンをずずずと盛大に啜ったのであった。

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