3 再びのアイツ
それからの数日間。
ボクとリーバー先輩は、レオナちゃんたちが寝静まった夜中や家を留守にする日中に部屋中を歩き回り、現場百回とまではいかないけど“足”で捜査を重ねた。
「犯人の目的って、一体何なんだ……」
遠い
犯人の目的がわからない事件というのは、どうにも捜査がしにくい。
それにもめげず、リーバー先輩は盛んに部屋の中を動き回った。
ボクはその背中を追うようにして、捜査に加わる。
どうやら今日の昼間の時間帯は、今まで先輩がほんのちょっとだけど何かしら違和感を感じた場所をもう一度当たってみよう、ということらしい。
まず最初は、リビング奥の出窓下にある棚だった。
レオナちゃんがまだ小さかった頃に遊んでいた“おままごとグッズ”など、たくさんのおもちゃが詰め込まれた衣装ケースが引き戸を開けた先の空間に置かれていた。その中身を、リーバー先輩がひとつひとつ点検していく。
あの空き巣事件の時には、これらが床に無造作にばら撒かれられ、心が痛んだのを憶えている。こんなおもちゃ箱まで荒らしていくなんて、何てヤツだ……。
プラスチック製の小さなお茶碗と箸や、ボタンを押すと声が出るはずがもう電池が切れてしまってうんともすんともいわない携帯電話のおもちゃなど……前足で触って、何か犯人によって手が加えられていないか、確認していくのだ。
これらおもちゃはレオナちゃんが小さいときに一緒に遊んだ懐かしいものばかりで、ついつい顔がほころんでしまう。
すべてを調べ終っても、先輩は浮かない顔のままだった。
「うーん……次だ」
「了解ッス」
次に向かったのは、ママさんの洋服やアクセサリーがある、寝室の中のクローゼットスペースだった。キッチンの床下倉庫を除けば、この家の“金目”の物の多くがここにある。
いわゆる“へそくり”という名のお金が小物入れの中にしまわれ、こっそりとこのクローゼットに隠されていることをボクたちは知っている。ぬいぐるみだと思って甘く見ないで欲しい。そんなものぐらい、ボクたちぬいぐるみ探偵が探し出すことなど“お茶の子さいさい”なのだ。
早速、空き巣事件の時にはあまり荒らされなかった感のあるクローゼットの中身を、点検する。
ハンガーに掛かった服のポケットの中を確認したり、アクセサリーボックスの中の指輪を鼻にかけてみたり、銀のネックレスを尻尾に巻いてみたり……。
ボクも手伝いながら、リーバー先輩がそこかしこの物品について丹念に調べ上げていく。
もちろん、へそくりについても同様だった。
その金額に変化がなかったか、お札の入った封筒の状態はどうか、封筒から変な匂いがしてこないか――などなど。
だがここでも、先輩の顔色は変わらず仕舞いだ。
「…………」
そして最後の場所、パパさんの書斎にある本棚へと無言で向かう。
このお宅のパパさんは、なかなかの読書家なのである。
本棚はパパさんの机を囲むように、大小二つあった。
ひとつはパパさんの好きな少年マンガとレオナちゃんが小さな頃読んでいた童話や児童文学の本が並べられた小ぶりな本棚。もうひとつの本棚は、人間の背丈ほどの高さの大きなもので、パパさんが趣味としているアイヌ語地名の分厚い本や数えきれないほどたくさんのミステリ関係の文庫本などがずらりと並んでいた。地名研究の参考資料なのか、この地域の観光マップの記載された薄い本もある。
空き巣によって一番荒らされた形跡のある、大きな本棚の下側の棚にあった本について特に詳しく調べることにする。
プラスチックでできた黒い鼻で表紙をこつこつと叩いてみたり、くんかくんかと臭いを嗅いでみたり、破られしまったページがないかとペラペラめくってみたり……。
けれど結局最後まで、先輩の感性に“ぴん”と閃くものとの遭遇はなかった。
「分からない……だが、何かがおかしいとは感じる。小さな違和感といってもいい。その違和感の中身がはっきりしなくて、本当に残念だ」
リーバー先輩が、首を傾げて悔しがる。
だが、ボクはもっと悔しいのだ。
なぜなら、先輩と比べると格段に劣るボクの乏しい推理力や観察力では、ほとんど先輩の力になれないからである。ボクは“人知れず“――いや、“ぬいぐるみ知れず”、唇をぎゅっと噛みしめた。
当然のことながら、時間が経てば経つほど部屋は元の状態に近づいていく。パパさんやママさんが部屋を片付けていくからだ。
なので、犯人の残した痕跡――手掛かり――は消えていくばかり。
事件から四日ほどたったときには、部屋も完全に元に戻ったといっても過言ではなかった。書斎につながるベランダのガラス窓も業者に直してもらい、あの無残にも壊されてしまった窓ガラスの面影は今はない。
こうして、連日の捜査にも関わらず、ボクたちは手がかりを見つけられず仕舞いだった。
「先輩、悔しいッスね……。結局、現場からは何も見つからなかったッス」
今日の夜中の捜査を終えてがっくりと肩を落としたボクが、ボクの横でリビングテーブルの上に佇む先輩に向かって声を絞り出した。
窓のカーテンの隙間から漏れる、薄ぼんやりとした朝焼けの光。
そのやや紫がかった光が、自慢の長いしっぽと大きな耳をだらりと下げて寂しげに視線を落とす先輩の姿を、淡く照らし出す。
「ああ……。コーハイ、本当に残念だ。オレの探偵家業も潮時かもしれぬ」
「そ、そんな……。先輩、元気出してくださいッスよ。それに、事件解明はまだまだできるはずッス。明日も一緒に頑張りましょう」
「うん、そうだよなコーハイ。探偵のオレが弱音を吐いてどうする……スマン、スマン。それにしても助手のコーハイに励まされるとは、嬉しいような悲しいような……」
「ぬいぐるみですからね、たまにはそういう事もあるッスよ。それに、前に比べればボクも少しは成長してるはずッスからね」
「ああ、ありがとうよ……。ところで、だ」
先輩が、やや力の籠った眼をボクに向けた。
「コーハイ……お前、この前空き巣が入って来たあのときに空き巣の顔を見たか?」
「いや、見なかったッス。灰色の帽子を
「そうか。実はオレも、そのくらいしかわからなかったんだ。あのとき、犯人に向かって噛み付いたりしとけば良く見えたのに……」
「何を言ってんスか! そんなことしたら、先輩はぬいぐるみ界の掟により、粉々に分解されて存在そのものがなかったことになってしまうかもしれないんスよ!?」
「まあ、それはそうだが……」
「とにかく明日も捜査頑張るッスよ、先輩!」
ちらり、リビングの壁に掛かった時計を見遣る。
もうすぐぬいぐるみの時間の終わるのを知ったボクたちは、昨晩の活動開始前に居た場所に全く同じ格好になるべく、それぞれの場所に戻ったのだった。
★
そして事件から一週間がたち、正直、ボクらも事件解明を諦めかけていた頃だった。
再び――そう、再び事件が動き出したのである。
またもや、昼間の時間帯だった。
人間が誰もいないことをいいことに、ボクらがリビングで動き回っていたそのとき、またもベランダの窓ガラスの方でカチャカチャと音がしたのである。
――あれは、一週間前に聴いた覚えのある音だ!
一瞬のアイ・コンタクトの後、すべてのぬいぐるみが急いで元居た場所に戻り、身動きひとつしないようポーズをとった。もともと息などしないけれど、息を潜めてぬいぐるみにしか分からない程度の身震いをしながら、事の次第を見つめている。
――あの空き巣が、再びこの家に現れたに違いない!
それはボクの直感だった。
もちろん確証はない。だけど、そんな気がしたのだ。でもボクだけではなく、どのぬいぐるみもそう感じたようだった。皆の顔つきが険しくなる。
なにせぬいぐるみの勘は鋭いのである。決して馬鹿にはできない。
「どうして、もう一度ここに来た!?」
人間には聞こえない周波数ではあるものの、ボクの横に立つリーバー先輩が驚きの声をあげた。
そしてそのとき、ボクにはわかったのだ。
今この瞬間、先輩自慢の「肉球色の脳細胞」が、茶色のフェルト生地の下で全力で働いていることを!
その二秒後のことだった。
窓ガラスをキリキリと音を立てて擦り切ろうとする音が続く中、先輩は“掟”など忘れたようにぴんとしっぽを伸ばし、こう叫んだのである。
「そうか、わかったぞ! だから犯人はもう一度ここに来たんだ……。違和感の正体はなるほど、あれだったんだな。やはり、オレの肉球色の脳細胞が解けない謎はない!」
それからのリーバー先輩の行動は素早かった。
ぬいぐるみの掟からすれば、そこで動きまわることは大変危険である。だが先輩は、掟など忘れてしまったかのようにリビングの床を全力で駆け抜け、ドアが開いたままのパパさんの書斎へと向かったのだ。
「先輩、何してるんスか!」
ボクの声は、先輩のふわふわな耳には届かなかった。
音のする窓ガラスに向かって、先輩が猛然とダッシュする。大きな垂れ耳が風に揺れ、まるで先輩が鳥のように羽ばたいているかのように見えた。
「だめッス。そんなことしたら先輩が!」
ガチャガチャと音のする窓サッシへと飛びあがった、先輩。ガラス越しに、空き巣の目前へと躍り出る。
「うわあっ! ぬ、ぬいぐるみが動いた!?」
マスクと窓ガラスでだいぶ声がくぐもって小さくなっていたものの、余程驚いたらしいその男が素っとん狂な声を出す。お陰でその声は、ボクたちの耳に届いたのである。
一目散に、男がベランダから立ち去ってゆく。
ボクの立ち位置から見えた背恰好は、やはり一週間前のときと同じ男のように見えた。
男が逃げてしまったことを確認したボクたちは、急いで窓に駈け寄った。そして、窓ガラスの前で虫の息で仰向けに横たわっている先輩に声を掛ける。
「せ、先輩!」
「リーバー、しっかりしなさい!」
「大丈夫? しっかりして!」
リーバーに駈け寄ったミミとメメの励ましも、空しく響く。
ぬいぐるみの掟を、とうとう先輩は破ってしまったのだ。
どうやらもう既に、体の力が入らないらしい。茶色のフェルト生地の色つやがどんどんと失われていく中、ぐったりとした眼でボクらを見る。
「ふん……。な、オレの言ったとおりだろ? ぬいぐるみだって、その気になればこんなもんさ。ぬいぐるみ犬探偵なら、番犬……にだって……なれ……る」
「センパイ!!」
「リーバー!!!」
それからあっという間のことだった。
ボクらの目の前で、リーバー先輩はまるで煙のようにどこかへ消えていったのだ。
そう……空き巣の謎を残したまま。
「リ、リーバー先輩が……消えちゃったッス……。消えてしまったぁ!」
目の前の現実を、どうしても受け入れられないボクたち。
しばらくの間、手芸用ボンドか何かで固まってしまったかのように、ただただその場所で立ち尽くしていたのだった。
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