3 容疑者はコーハイ

「あ、あれ? 先輩、これは何かの間違いッス」


 あわてふためくボクに、その柔らかそうな肩をすくめた先輩が冷たくいい放つ。


「コーハイ、まさかオマエが『犯ぬいぐるみ』だったとはな」

「ち、ちがうッスぅぅぅぅ」


 ボクの絶叫が浴室にこだました。

 それを耳にしたらしいメメやミミ、そしてカメがボクらの傍にやってきた。


「一体、どうしたのよ。何か手がかりが見つかったの?」


 メメがそう聞くと、先輩は風呂場に残る水滴でできた足跡を右前足の肉球でさっと指し示した。


「犯ぬいぐるみの残した足跡が、コーハイの足跡にぴったりと合ったんだ……」


 ええっ!

 メメとミミの顔に衝撃が走る。やや遅れて、カメの顔がピクリと動いた。多分、びっくりしたのだろう。


「アンタだったの!」

「ち、違うッスよ、何かの間違いッス」


 ミミの鋭い視線がボクに突き刺さった。

 あわてて否定するボクの横で、先輩が「いや、まてよ」とつぶやく。


「考えてみれば、おかしいな。ギンの悲鳴が聞こえた時、コーハイはオレと一緒にいた。アリバイがある」

「そ、そのとおりッスよ。ボクには立派なアリバイがあるッス」


 でも……

 ミミがうつむき加減でささやくように言った。


「何か、トリックを仕掛けたことも考えられるわね。たとえば、あらかじめボイスレコーダーに録音しておいたギンの悲鳴が犯行のずっと後に再生されるよう、前もって再生ボタンを押したボイスレコーダーを脱衣所のどこかに隠しておいたとか――」

「そ、そんなことボクにできるわけないっス。ボイスレコーダーなんて高級なものは持ってないし、そんなことしたらこの家の皆さんが起きてしまうし……」

「それもそうよね……。それに、そんな用意周到なトリックを使うのに、足跡を風呂場に残すっていうのも変な話だわ」


 メメが、そう言って不思議そうに首を傾げた。

 それに同調するように、かすかにカメの口も動いた。メメの意見に賛成、ということらしい。


「ここは、慎重に捜査しなければならないようだな……」


 浴室に向けていた顔を不意にくるりと回転させた先輩が、皆の顔を見渡した。


「それでは、このぬいぐるみ犬探偵リーバー様による事情聴取を一人づつ行うこととする。なぜなら――」

「なぜなら?」と、ミミ。

「やはり、この中に殺ペンギン犯がいると確信したからだ」

「確信……なんスね」


 重苦しい雰囲気の中、リーバー先輩による個別の事情聴取が始まった。

 皆が集まった、リビングにある白いソファーがこの事件の取り調べ室となる。普段なら、ボクらぬいぐるみが楽しく走り回る場所なのに――。


「でも間違えないでね。リーバー、アンタも容疑者の一匹なのよ」


 きびしい口調でヒツジのメメが先輩に言い放つ。すると先輩は、「そんなことはわかっている」といった感じの風情で、うなずいた。そしてすぐさま、助手であるはずのボクに顔を向けてこう言った。


「まずはコーハイから取り調べる。オマエだけ、ここに残れ。残りのみんなは、少しソファーから離れていてくれないか。順番に呼ぶから」


 渋々、ソファーから離れていくぬいぐるみたち。

 でも一匹だけ、足どりがひどくゆっくりなぬいぐるみがいた。もちろん、カメだ。まるで、砂浜で生まれたばかりのウミガメが海に向かってよたよたと歩いてゆく、そんな感じ。

 その歩みはのんびりだが、その確実に前に進む姿が力強く美しい。

 こんな事件の起きている最中だけど、ボクは思った。この人生――いや、ぬいぐるみ生、早けりゃいいってものじゃない、ってことを。そんなことくらい、子犬のぬいぐるみにだって判ることさ。

 ……といっても、何事にも限界はある。

 ボクと先輩はいらいとしながら、カメがソファーからある程度離れるまで辛抱強く待ち続けた。


「……。さて、皆いなくなったことだし、そこに座ってくれ」


 みんなが離れたことを確認し、人間が腕をのせるソファーのそで》の部分に上った先輩は、ボクを見下ろすような格好で言った。いつも中学生のレオナちゃんがポテチなどのお菓子をもきゅもきゅ食べながらテレビを見ているその場所に、おとなしく腰掛ける。


「先輩、まさかとは思いますけど、ボクのこと疑ってるッスか?」

「まさか……、そんなことはない。今のところはな」

「何スか、その、今のところはっていうのは! やっぱり疑ってるってことッスよね」


 鼻息を荒くしたボクに、先輩は「スマン、スマン」とびるようにして質問を切り出す。


「オレは、コーハイがやったことではないと信じている。けれど、ばっちりと足跡が残っている今の状態では、明らかにオマエに不利だ」

「そうッス、助けてくださいッス」

「論理的に考えると、コーハイが犯ぬいぐるみでないならば、誰か他のぬいぐるみがコーハイに罪を着せようとしたということになるよな」

「そ、そのとおりッスね」

「で、良く思い出してほしい」


 先輩は平たい耳をパタパタさせながら、その風圧でふわふわな肩の毛をを揺らして話を続けた。


「最近、足をどこかに引っかけたとか、つまづいたとか、そんなことなかったか」


 足をひっかけた? つまづいた??

 一瞬、先輩の質問の意味がわからなかった。が、ピンと気付いたことがあって、ボクは口を開いた。


「そういえば昨日、レオナちゃんたちが寝静まった後くらいだったッスかね……、リビングで散歩をしていたら、突然、両方の後ろ足がやわらかいものに突っ込んで抜けないようになって、前のめりに倒れてしまったッス」


 ほほう――

 先輩の瞳の奥が赤く光った気がした。


「それで、どうなった?」

「顔を強く打ったんでしばらく起きあがれなかったんスけど、何かボクの後ろに誰かがいるような気配を感じたッス。それで急いで後ろを振り返ったんスけど、そのときにはもう、誰もいなかったス」


 先輩は、コクリと力強くうなずいた。


「足の裏はどうなっていた?」

「そういえば、少しねっとりと湿っていた気がするッス」

「なるほど……。それで、そのあとに他のぬいぐるみたちの様子を見たか?」

「そうッスねえ……カメは、のんびりと窓際で月を眺めていたッス。ヒツジのメメは、人間界でいう習字っていうんスかね、勝手にレオナちゃんの道具を持ち出して墨汁と小さな筆を使って、紙に絵を描いてましたよ」

「ミミとギンは?」

「たしか……ウサギのミミは、これまたレオナちゃんが小学生のときに使ってた粘土細工セットを持ち出して、粘土遊びをしていたような気がするッス。ペンギンのギンは、どこに行ってたんスかね、見ませんでしたよ。先輩はギンを見なかったスか?」

「オレもギンを見なかった」

「そうッスか……。あれ、そういえば先輩、昨日の夜はどこに行ってたんスか?」


 急に自分に話題を振られた先輩の表情に、暗い影が過ぎった気がした。


「オ、オレか? オレのことは、どーでもいい」


 予期しなかった僕の質問に、先輩は少しあわてただけで簡潔にそう答えた。

 さすがは、探偵と自称することだけのことはある。なかなか本心は見せてくれないようだ。例え相手が助手のボクだったとしても――。

 すぐに元の落ち着いた表情を取り戻した、リーバー先輩。

 考え込むように目をつぶり、そのまましばらく立っていたが、不意にその目をパチリと開けると、


「うん、よくわかった。次の事情聴取は、カメだ。すまんがコーハイ、カメをここに呼んでくれ」

 

 と言って、ボクにカメを呼びに行かせた。

 リーバー探偵の助手とはいえボクは容疑者の一匹だったので、カメの事情聴取に立ち会うことは許されないのだ。


 部屋の隅でぼーっとしていたカメをつかまえ、先輩の用件を伝える。

 カメは「うん……わかった……」と間延びした声で答えた後、のんびりとソファーに向かって歩き出した。正直、らちが明かないので、ボクはカメのお尻をぐいぐいと押してあげた。それで何とかカメを送り届けると、先輩とカメの会話が聞こえないほどの距離に移動して、遠目に彼らを眺めた。

 ぬいぐるみ犬探偵による事情聴取というシチュエーションでも、カメの動きは変わらない。ぼそぼそゆっくりと話すカメに、先輩はちょっとイラついた表情を見せながらも、一生懸命に説明するカメの言葉にうなづいていた。


 次に呼ばれたのは、ヒツジのメメだった。

 カメに呼びに行かせても時間の無駄なので、リーバー先輩がソファーで跳ねるようにしてジャンプし、直接メメを呼んだのだ。

 ちょこまかと短い脚でソファーの場所にやって来たメメは、ひたすらしゃべりまくっていた。人間の女子と同じように、ぬいぐるみの女子だっておしゃべりは大好き。

 先輩は、もこもこの腕を器用に腕組みして目をつぶりながら、ただひたすらにメメの言葉に耳を傾けていた。


 最後の事情聴取は、ウサギのミミだ。

 メメの伝言を聞いてぴょんぴょんと跳ねるようにリーバー先輩の元にやって来たミミは、先輩に聞かれたことを、真剣な表情で答えていた。人間の女子と同じように、ぬいぐるみの女子も真面目まじめである。

 先輩はミミの周りを一回転するように歩き回りながら、意味ありげにミミの言葉にうなづいていた。


 ようやく事情聴取から解放された、ウサギのぬいぐるみのミミ。

 すべてのぬいぐるみの事情聴取が終わったのだからすぐに集合の掛け声が掛かるのかと思いきや、全然違った。リーバー先輩は何を思ったのかソファーから離れると、この家のキッチンの方へと向かったのである。

 遠目でよくわからなかったが、何やらそこで探っていたようだ。

 結局ボクは、この同行も許されなかった。助手という立場で何もできないのは、本当にもどかしい。


 その数分後だった。

 リーバー先輩がリビングのソファーに戻り、人間には聞こえない周波数の声を張り上げたのである。


「今から、今回の事件の謎解きをする。みんな、集まってくれ!」


 謎解きという言葉を聞いてときめいたボクの咽喉のどが、ゴクリと鳴った。

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