4 リーバー先輩の推理

 口をきゅっとつぐんで厳しい表情の先輩の前に、集まったぬいぐるみたち。

 リーバー先輩から向かって右側にボク。その隣にはメメ、次にミミ、最後にカメという順番だ。


「では、犯ぬいぐるみから言ってしまおうか」


 先輩のいきなりの犯人――いや、犯ぬいぐるみ当て宣言に、ソファーの上で並んだボクたちに緊張の波が走り抜けた。たぶん、カメにも。

 そしてすぐさま、ためらいもなく肉球のある右前足を一体のぬいぐるみに向けてビシッと突き出した先輩。その足先は――ウサギのミミを指していた。元々丸くて大きいミミのひとみが剥き出しになり、ますますまん丸になる。


「犯ぬいぐるみは、あんた……ミミだよな」

「……ワタシが犯ぬいぐるみですって? 意味がわからないんですけど」


 一瞬の沈黙の後に、ミミが口を開いた。声ばかりではなく、心なしその長い耳も震えている。リーバー探偵の挑戦的態度に負けじと、ミミが先輩をじろりとにらむ。

 しかし、先輩も負けてはいなかった。

 この家の古参ぬいぐるみの圧力に屈することなく、


「事件は、昨日にまでさかのぼる」


 と言って、そのふわふわで長いしっぽをピンとたてながらボクら一同の顔を見まわしたのだ。


「昨日、コーハイは部屋で散歩しているときに何故か急につまづいて、前のめりに倒れてしうまった。そうだな?」

「そうッス。間違いないッス」

「そのとき、何か足が湿っていた気がすると言っていたな」

「はい、そのとおりッス」


 先輩はボクの言葉に満足そうにうなづくと、その耳をパタパタと波立たせた。


「それは、こう考えると説明がつく――つまりコーハイは、床にこっそりと敷かれていた平べったく伸ばした粘土に、足を踏み入れたのだ。そしてその平たい粘土は、コーハイの足型となった」


 粘土? 足型?

 ボクは昨日の出来事を思い出しながら、ウサギのぬいぐるみのミミの様子をうかがった。確かに昨日――ボクがつまづいて振り返ったとき、ミミは粘土遊びをしていた! ボクは強い疑いの気持ちのこもった視線を、ミミに浴びせた。だが、それでもミミの表情に特別な変化はない。

 思わず鼻息の粗くなった、ボク。

 リーバー先輩は、そんなボクに「落ち着け」と小さな声でなだめるとこう言った。


「コーハイが踏ん付け、肉球と足の輪郭がくっきりと残った粘土の板を目にも止まらぬ速さで素早く片付けたミミは、それを焼売シューマイのように包み込み、そこにできたくぼみに水を注いで冷蔵庫の冷凍室の隙間に放り込んだ。……そうだろ、ミミ?」


 ふわもこな茶色いフェルト布でできた右前足の先を皆の目前に突き出した、リーバー先輩。その先にへばりついていたのは、灰色の小さなかたまりだった。


「これが、冷蔵庫の冷凍室の底の方に付着していたよ。……昨日、ミミが遊んでいた紙粘土がな」


 それを聴いたミミの表情が一瞬こわばったのを、ボクは見逃さなかった。


「すると……こういう事ッスか。ボクの足型を粘土で取ったミミは、そこに水を入れて凍らせ、ボクの足の裏の模型みたいなものを氷で造ったと?」

「ああ。オレの推理が正しければ、そのとおりだ」


 自信ありげにそう答えたリーバー先輩が、右前足をプルプルと勢いよく振った。すると、彼の爪先つまさきについていた粘土がぽたりとボクたち面々の前に落ちた。何事もなかったように、事件の謎解きを進める先輩。


「ギンを誘い出し、腐ったサンマの臭いで気絶させたあとに風呂場に投げ込んだことは、さっき推理したとおりだと思う。そのあと、犯ぬいぐるみであるミミは氷でできたコーハイの足裏の模型を何らかの方法で自分の足裏に取り付け、風呂場を歩いた」


 リーバー先輩が、じっとミミを睨み付けた。

 先程の一瞬のこわばりは何だっただろう――今度は、ミミはちっとも表情を変えなかった。そればかりか、黙ってリーバー先輩を睨み返す始末。

 深呼吸して、リーバー先輩が続ける。


「そのとき、まだ風呂場は暖かかったのだろう。だから、コーハイの氷の足裏模型はそこを歩くだけで表面が溶け、風呂場の床にコーハイの足の形を水で作り上げたという訳だ」


 と、ここで口を挟んだのはヒツジのぬいぐるみであるメメだった。


「なるほど……。そして最後、氷の模型を風呂桶のお湯の中に入れて完全に溶かし、証拠を隠滅してしまったということね?」

「ああ、そうだと思う」


 ゆっくりとうなづいた先輩。

 こんな状況でも、カメは微動だにしない。先ほどからまばたきもせずに、ただ空間を見つめているだけだ。ただそれが、びっくりしているせいなのか、成り行きについていけてないせいなのかは、ボクには判断できなかった。

 そうこうしているうちに、なんだかボクの気持ちが異様にむかむかしてきた。


「なんて姑息こそくな……。どうしてそんなことしたッスか!」


 ミミに跳びかかろうとした、ボク。

 けれど、リーバー先輩がさっと二匹の間に入り、ボクの気持ちをなだめるようにふわふわな腕をこつんとボクの額に当てたのだ。


「そう怒るな、コーハイ。まだ謎解きは終わっていないのだ――。とにかく、こうしてミミは、気を失ったまま水に浮くギンを残してまだ暖気の残る風呂場から立ち去った。もちろん、オレがやったみたいに、自分の足跡が残らないよう、部屋の隅を歩くようにしてな」


 ぬいぐるみ犬探偵による謎解きが更に進む。

 だがここまでのところ、容疑者であるミミの表情を衝き崩すまでには至っていなかった。


「いくら腐った魚の酷い匂いとて、いつまでもギンに気を失わせてはいない。やがて、ギンはハッと意識を取り戻す。そして自分が水の上に浮かんでいる状況を察知し、悲鳴を上げたのだ。が、時すでに遅し……。風呂の水はぬいぐるみの命ともいえる体の『綿わた』の中に、ギンの命を失わさせるのに十分な量が浸み込んでいた。そして、オレたちが駆けつけた時には既に、ペンギンのぬいぐるみであるギンは溺れて絶命していた……」


 リーバー先輩が、残念そうにうつむいた。

 ミミを除くぬいぐるみたちは先輩の推理に納得したのだろう、音にならないほどの細い息を吐いて、同意の意思を示した。


「これが、オレの推理だ。ミミ、何か言いたいことはあるか?」


 意を決っしたように、先輩が強く力のこもった視線をミミにぶつけた。

 それでもミミが狼狽うろたえることはなかった。ふてぶてしく、うすら笑いを浮かべただけだ。


「ふん、あんたの推理にしては、筋が通ってるんじゃない? ……けれど、一番大事なことが欠けてる」

「欠けてる? それって一体、何スか?」


 助手の仕事はこれだとばかりに先輩の代わりにミミに突っ掛かる。だが、ミミは済ました顔でこともなげにこう言い切った――そう、短い言葉で。


「証拠よ」

「証拠……?」


 ボクに向かって、余裕よゆう綽々しゃくしゃくの顔を向けた、ミミ。

 口元はまるでいたずらっ子のようにふてぶてしい。


「その推理だと、ワタシが粘土をいじっていたということだけが、『犯ぬいぐるみ』である理由になってるわよね。でも、粘土はこの部屋にいるぬいぐるみなら誰でもいじれるのよ。論理的に、ワタシが犯人という証拠にはならないわ」

「さすがだな、ミミ。冷静だ。だが、ちゃんと証拠はある」


 それは、ミミにとって思いもよらない言葉だったのだろうか。

 ミミの顔から余裕の笑みが消え、目尻がきりりと鋭く吊り上がったのだ。


「では見せてちょーだいよ、その証拠とやらを。さあ、いますぐに!」


 声の調子まで荒くなったミミ。

 先輩は小さく頷くとゆっくりと歩き出し、ミミの背中に回り込んだ。


「証拠は……ミミの肩の後ろにある」

「えっ!?」


 ミミの動きがフリーズした。

 そんなウサギのぬいぐるみを余所よそに、ボクやメメ、そしてゆっくりとした動きでカメもミミの背後に集まる。


「これだ」


 柔らかそうな肉球を見せながら先輩が右前足で指し示した場所――それはミミの肩の部分だった。そこに、半透明の小さな薄い膜のようなものが付着している。皆にそれを確認させた上で、先輩がその薄い物体を前足で掴みあげた。


「これは、サンマの背びれの一部だ。風呂場に落ちていたサンマの背びれが、欠けていたのを覚えているか? オレの推理では、恐らく、この切れ端はサンマの背びれの欠けた部分にぴったりと一致するはずだ」

「なるほど……。風呂場に浮いていたサンマの背びれが体に付着しているのは、そのぬいぐるみがサンマを運んだ者――つまりは『殺ぬいぐるみ犯』である証拠だということなのね。事件の後、リーバーとコーハイ以外は現場に足を踏み入れてはいなかった訳だし――」


 ひたすら感心する、ヒツジのメメ。

 すると、ボクたちの視線が後ろ向きのミミの姿に集中した。

 途端、ミミの体の硬直が解けたようだった。ゆっくりとした動きで反転して、こちらを向いた。何故か、ミミの表情は穏やかだった。


「ふう……。あんた、思ったよりやるわね。ワタシの負けだわ。そう、ギンはワタシがったのよ」


 遂に、犯ぬいぐるみが自供した瞬間だった。

 どよめく、周囲のぬいぐるみたち。


「ミミ……どうして、こんなことをしたんだ?」


 先輩の落ち着いた声が、マンションのリビングに響く。(人間には聞こえない音だが)

 すると、穏やかだったミミの眸がみるみると厳しくなっていき、茶色い毛で覆われた体から真っ赤な炎のようなオーラが燃え上がったのである。

 流石は古参ぬいぐるみの威厳――その様の恐ろしさと言ったら!

 思わずボクが後ずさってしまうほどだった。


「アイツ――あの青いペンギンが、にんじんをバカにしたのよ。事もあろうに、ウサギのソウルフード、そして私の大好物である赤いにんじんをねッ!」


 先輩が、これ以上ミミの感情を燃え上がらせないよう、落ち着いた様子で訊ねる。


「……で、ギンは何と言ったんだ?」

「今考えても、恐ろしい……。『にんじんなんて、ただの草だし、味も苦いし、食べ物じゃないよ』なんて言ったのよ。アンタたち、信じられる?」

「……」


(どちらかと言えば、ギンの意見に賛成だけどな……)

 表情から察するに、ボクをはじめミミ以外のぬいぐるみは皆、そう思ったらしかった。

 だが、とてもそのことを口にする勇気のあるぬいぐるみなど、ここにはいない。


「ま、まあ、わかった。ギンにも落ち度はあったんだな、たぶん……。だがな、ミミ」


 円らな瞳を鋭く光らせた先輩が、こう続けた。


「――それでも、ギンをあやめた罪は消えないぞ」

「ええ……それは判ってるわ」


 先輩の言葉に、ミミが素直にうなづく。

 それを見た一同の雰囲気から、みるみると緊張の糸がほつれていくのが判った。ほっとした表情をした先輩だったが、それも束の間、窓の外を見るとこう言った。


「ただ、今日はもう時間切れだ。もうすぐ夜が明ける。レオナちゃんのママさんが起きだしてくる時間だし、あとのことは明日考えるとしよう」

「そうね。そうしましょうよ」


 メメが、先輩の意見に同意した。

 他のぬいぐるみも、反対意見はないようだ。


「これは、急いだ方がよさそうッスね」


 確かに先輩の言う通りだった。

 部屋の中がもうずいぶんと明るくなっている。人間のいう暗闇の中でもモノが見えるボクたちにとって、朝の光は眩しいくらいに明るいのだ。


 とりあえずボクたちは、昨晩レオナちゃんたちが寝たときに自分がいた位置にそれぞれ戻り、人間から見れば何事もなかったかのような状態にした。もちろん、動かなくなったギン以外ではあるけれども――。

 魔法使いでもないボクたちに、今の状態のギンはどうにもできないのだ。



 それから数分が経った頃――。

 目覚し時計の音がして、奥の部屋からママさんが起きだしてきた。


「ふああああ」


 毎朝恒例の、ママさんの大あくび。

 いわば、ボクたちの昼間が終わりを告げる声である。

 ところが今日は、ここからがいつもと違っていた。なぜなら、次にママさんの叫び声が家じゅうに響いたからである。


「きゃああ! なんでペンギンのぬいぐるみがこんなところに落ちてるの? それにずぶぬれだし! どうして???」


 てんやわんやとなった、レオナちゃんたち。

 ボクたちは、体を動かさずにじっとしているのが大変だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る