2 ぬいぐるみ犬探偵「リーバー」

 先輩の突然の捜査宣言の後、暫くはぬいぐるみの面々による沈黙が流れた。言葉には言い表せない、不思議な緊張感も辺りにはただよっている。同じ犬のぬいぐるみ仲間とはいえ先輩の意図が解らないボクも、当然そんな気持ちだった。


「先輩が探偵って……。そんなこと、先輩にできるんスか?」

「ぬいぐるみ犬をなめるな。探偵ぐらいできるぞ。それからコーハイ、お前が探偵の助手をやれ」

「はあ? ボクが助手ッスか? そんなのできるわけ――」


 耳を疑ったボクがそう言いかけたとき、いつもは温厚なヒツジのメメが声を荒げて話に割り込んできた。


「ちょっとリーバー、今何ていったの? 殺ぬいぐるみ事件ですって? これは事故じゃないわけ?」


 ピンクの頬を更に赤らめながら叫ぶメメの横で、ウサギのミミはその大きな瞳を見開きながら、うんうんとうなづいた。カメは会話の内容がわかっているのかいないのか、ぼーっと前を見つめているだけだった(カメは、時折こうなる)。


「これは、殺ぬいぐるみ事件だ。まちがいない」


 足についてしまった水を風呂場マットで拭きながら、リーバー先輩があっさりとそう答えた。

 その自信あふれた顔つきに、ボクはつい、意地悪な気持ちになる。


「先輩、どうしてそんなことがいえるんです? 証拠があるっスか」


 先輩は「そんなこともわからないの」的な目線でボクに一瞥を与えたあと、つぶやくように言った。


「匂いだよ」

「匂い!?」


 ボクとミミとメメの三匹が、同時に叫んだ。

 そのあと暫くして、カメがゆっくりと首を傾けながら「どうして?」という表情をした。どうやら、カメもそれなりに話を理解しているらしい。


「確かにこの状況を見れば、ギンが大好きな魚の匂いにつられて風呂場にやってきて、足を踏み外して浴槽に落ちた事故に思える」


 先輩は、ビシッとしっぽを立てると、キラリと目を光らせた。


「けれど、おかしくないか? この浴室の匂いは、魚は魚でも明らかに『腐った魚』の匂いだ。新鮮な生魚が好きなギンがこんな匂いから逃げることはあっても、それに釣られてここにやって来るなんてことは、ありえないだろ」


(確かに、そのとおりッス)

 ボクら(カメ以外)は、思わず息をのんだ。

 いわれてみれば、ここに来たときに感じた匂いは確かに腐った魚のものだった。風呂に浮いていたサンマは、ぴかぴかと新鮮そうに光っていたのにもかかわらず……!

 カメは、相変わらず首をかしげたままだった。


「それに、もうひとつ不自然なことがある。なぜこんなところにサンマがいるんだ? 人間の一般家庭では、サンマは冷蔵庫の中にしかいないものだろう」

「リーバー、確かにアンタの言うとおりだわ……。でも、だとしたら、なぜここに腐った魚の匂いがしたのかしら?」

「ミミ、これはあくまでも今のところの推理なのだが――」


 冷静な口調で質問的な言葉を言い放ったミミに、一瞬迷ったようにしっぽをゆらゆらとさせたリーバー先輩が、きっぱりとした口調で話し始める。


「恐らく、この殺ぬいぐるみ犯は、この家の生ごみコーナーの中にあった腐った魚肉をビニール袋か何かに入れたまま持ち出し、ギンの背後に近づいたのだろう。そして、素早く袋の口をギンのクチバシに当て、その中身である『魚の匂い』をギンに嗅がせたのだ。ちなみに、鳥の鼻はクチバシにある」


 考えただけでも、おぞましくて目が回りそうだ。

 先輩が話を続けた。


「大好物である魚の、酷く腐った匂い……。それは、ペンギンにとっては、オレたちには想像もできないほどの強烈な衝撃であったに違いない。その衝撃により、ギンは気を失った。殺ぬいぐるみ犯はすぐに気を失ったギンを抱えここむと、風呂場に運び込んだのだ。そして、一匹のサンマとともにギンを風呂に投げ込んで、事故に見せかけた」


 意外にも鋭い先輩の推理に、シーンと静まったボクたち。

 そんなボク等の顔をゆっくりと見渡したリーバー先輩が、余裕たっぷりに微笑んだ。


「わかってくれたようだね……。これは事故じゃない、事件なんだよ」


(さすが先輩ッス!)

 心から感動して先輩に熱い視線を送った、ボク。

 そんなボクに、リーバー先輩は円らな瞳でパチリと目くばせした。


「じゃあ、早速、捜査にとりかかるとするか。いいな、コーハイ!」

「ハイッ、ス!」


 ボクが「ぬいぐるみ犬探偵リーバー」の助手になった瞬間だった。

 新米助手のボクに向かって、先輩がまるで自分を納得させるようにつぶやく。


「探偵の捜査の基本は現場百回。早速だが、まずは現場の確認をしよう」


 くるりと向きを変えた先輩が、また浴槽のある部屋へと向かった。探偵助手であるボクは、当然、そのあとに続く。


「ん? ちょっとここを見てみろ、コーハイ」


 現場を荒らさないよう浴室の隅を忍者のように歩いていた先輩が、像のダンボのような耳をパタパタさせながら、右の前足で目前の床を指し示す。

 そこには、ぽたぽたと水がこぼれたような跡があった。

 浴室の入り口から浴槽まで直線的に続いており、良く見れば肉球のような形をしている。


「先輩、これは動物の足跡のようッスね!」

「ああ、そうだ。そして、恐らくは殺ぬいぐるみ犯が残した足跡に違いない」


 ボクは緊張でドキドキ胸が脈打つのを感じながら、その足跡に見入った。

 ところがそのときだった。

 リーバー先輩が、思いもよらぬことを口走ったのだ。


「……。コーハイ、オマエの前足をこの足跡に押しつけてみてくれ」

「はぁ? どういうことっスか。この足跡がボクの足跡だとでも?」

「いいから、とにかくやってみろ」


 しかたないッスね――

 ボクはブツブツと文句をいいながら、右の前足を風呂場の床に残された足跡に重ねてみた。


(えっ? うそでしょ? 信じられない……)


 ボクはボクの黒くてまん丸い目を疑った。

 だって、おかしなことに――本当におかしなことに――その足跡がボクの前足に、それも肉球の形や大きさまですべてがぴったりと整合してしまったのだから!

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