エピローグ(ぬいぐるみ犬探偵よ、永遠に)

 あの空き巣事件から、一体何日が過ぎ去ったことだろう。

 季節はあっという間に秋を通り越し、そして北国の辛く長い冬を駆け抜けた。

 その間、レオナちゃんも受験勉強に励んだ。

 そして、人生においてはひとつの壁に過ぎないだろうけど、大学受験という壁も乗り越えたのである。第一志望校の合格という、おまけまでついて。

 今日は人間のいうところの4月1日だった。

 ――晴れてレオナちゃんが大学生になった日である。


 そんな今日。

 この街から海を渡ったところにあるという遠い場所にある学校に通うことになったレオナちゃんは、朝方、この家を巣立って行った。一人暮らしをするのだ。


「ごめんね……みんな。これから暮らす場所、狭いから連れていけないの」


 レオナちゃんはそう言って昨晩ボクたちひとりひとりを胸に抱きしめ、頬擦りしてくれた。一番の古株であるミミなどは感動で震えそうになるのを必死に堪えていたし、先輩は今にも泣きそうな目をしてレオナちゃんをじっと見つめていた。他のぬいぐるみたちも、動かないようにするのが大変だったみたい。

 そう言うボクも、泣き出してしまいそうな自分を抑えるのが本当にきつかった。


「がんばりなさい」

「がんばってね」

「……行ってきます」


 マンションの玄関で行われた、暫しの別れの儀式。

 ボクらだったら10匹くらいは入れるくらいの大きな旅行カバンを手にしたレオナちゃんを送り出したパパさんとママさんは、その玄関の扉が閉まった瞬間、大きな溜息を漏らした。共働きで仕事のある二人は、平日の今日、そこで見送りすることしかできなかったのだ。

 その後、家の中は火が消えたかまどのような雰囲気に――。

 竈って見たことはないけど、なんとなくその言葉が意気消沈した雰囲気だという意味であることくらいは、ぬいぐるみにだってわかる。


 やがて夜になり、パパさんとママさんの二人だけの静かな夕食も終わってぬいぐるみの時間となった。意気消沈したのはパパさんとママさんだけではない。あるじを失ったぬいぐるみたちの動きも、かなり鈍かったのである。


 はあ……。


 リーバー先輩は、朝のパパさんたちと同じように大きな溜息を誰の目も憚らずに漏らすと、背中を丸めてとぼとぼとパパさんの書斎へと向かった。

 その後、本棚を勢いよく駆け上った先輩は、大好きな最上段のスペースに佇んでいる。

 いつもなら「お前、こっちに来るな」と言ってボクを遠ざけようとするのだが、今日は余程ショックだったせいか、ボクが近づいても気づかない。

 そろりそろりと、フェルトの四つ足で先輩に近づく。


「あっ」


 思わず、声を上げてしまったボク。

 何故ならそれは、先輩の横にある本に立て掛けるようにして置かれた写真を見てしまったからなのだ。

 日に焼けて、少し色の薄くなった古めの写真。

 写っているのは、今より少し若いママさんと笑顔の可愛いらしい小さな女の子――レオナちゃんだ。その小さな腕には、たぶんこの家にやって来たばかりであろう、茶色くてふわふわなぬいぐるみ――リーバー先輩が、大切そうに抱かれている。

 なんでこんなところにそんな写真が――と考えた瞬間、ボクはピンと来たのである。


 ――そうか、先輩がいつもボクをここから遠ざけていたのは、あの写真を見られたくなかったからなんだ。


 その写真をじっと見つめる先輩の背中が、わなわなと震えた。そんな姿をボクには見せたくなかっただろうけど……。

 でも、例の空き巣事件の最中でリーバー先輩があちらの世界にいたとき、あそこに登ったボクは辺りの様子を確認したはずなのだ。そのとき、あの写真は見当たらなかった。多分それは、問題の“ガイドマップ”が写真を隠すような形で立てかけられていたせいなのだろうと推測される。


 でもとにかく今は、先輩の写真の秘密は知らなかったことにしておこうと思う。

 こっそりとその場からボクは立ち去った。

 とぼとぼと歩いて、リビングに戻る。

 テーブルの上にちょこんと座りながら、窓の向こうに見える蒼い月を眺めることにした。


「レオナちゃん……元気でね」


 そう言ったボクの目から涙が溢れそうになったとき――。

 不意に、背後から先輩の声がした。


「コーハイ。俺は感無量だ。あの小さかったレオナちゃんが、一人暮らしするまでに成長したのだからな。逆にいつまでたっても成長しない俺たちって何だろうと思ってしまうよ」

「そうッスね……」

「この前の事件のときにも、俺の与えた“コーハイの鼻”のヒントで、すべてをレオナちゃんは読み切ったんだ。もう、俺が――いや、俺たちぬいぐるみ犬探偵がレオナちゃんを手助けするようなことは、ないと思うな」

「……」

「きっと彼女なら、引っ越し先で立派に暮らしていけるさ」


 窓越しに見える深夜の月を眺めながら呟いた先輩に、ボクは頷くことしかできなかった。

 いくら成長しないぬいぐるみとはいえ、永遠とわの存在ではない。つまりは、どんな物事にだって始りがあれば、必ず終わりがあるということ。同様に、レオナちゃんに会えない日々も永遠ではない――はずなのだ。


「でも、またいつかレオナちゃんには会える。きっとな」

「うん、その通りッス!」


 先輩も同じことを考えていたらしい。

 なんだか心がほっとした。


「とりあえず今日はレオナちゃんの前途を祝し、月見会といこうじゃないか」

「良いッスね……。了解ッス」


 やがて朝になり、明るい空にそれが溶け込んでしまうまで――。

 ボクらはテーブルの上で肩を寄せ合いながら、いつまでもいつまでも蒼い月を眺め続けていたのであった。




(ぬいぐるみ犬探偵 リーバーの冒険  FIN.)

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