【特別編1 すべてがωになる】

プロローグ α

 ほんのりと青白く部屋を照らす月の表情は優しく、ぬいぐるみの表情も優しかったが、部屋の空気は甘い匂いで満たされているのに、そのぬいぐるみの気持ちは苦かった。

 薄暗い部屋の中、明かりも点けずに何やら作業をする『その人』を、棚の上から見下ろすぬいぐるみは白ウサギ。

 フリース生地の大きな垂れ耳の間からのぞくプラスチック製の赤い瞳には、そのやさしい表情とは裏腹に、哀しみの成分でできた涙を湛えているようにも見えた。それはもちろん、通常の人間には分からないような、ごくごく小さく、そして限りなく透明なものではあったけれども……。


「いい匂い……。これで『あの子』も、きっと喜んでくれる」


 その人は、ガラス瓶に入ったやや赤みがかった液体を、机の上にあったいくつかのて猫用の玩具おもちゃ――キラキラと光を反射する猫じゃらしや、ふわふわなタオル生地のボール、そして魚型の抱き着き枕のような小型のぬいぐるみ――の上に、たっぷりとぱしゃぱしゃ振り掛けた。

 たちまち、部屋に広がったのはフレグランスな香り。

 その人の口元も、にんまりと横方向に広がった。


 ――月が雲に隠され、影が広がる。

 影に隠されたぬいぐるみの涙は人知れずこぼれ落ち、その頬に染みがほんの少しだけ黒く広がった。


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