プロローグ β

 北の大地、北海道。

 その中心都市である道都札幌にも、しばらく前にだけど、短い夏がやってきた。けれども、お盆という時期を過ぎた今は、朝晩に吹き抜けるひんやりとした風が、その盛りがとうに過ぎてしまったことを示していた。

 ――なんてカッコよく言いたいところだけど、ボクらぬいぐるみはほとんど家の中にいるので、あんまりその辺の変化については「よくわからない」というのが、本当のところだ。

 特に、我らのあるじ、レオナちゃんが、本州ほんしゅうという北海道より大きな島のどこかの都会にあるという『大学』という場所に通うことになってからというもの、レオナちゃんの着るオーバーのポケットやスクールバッグとかに入り込んで『外出』するという機会がなくなってしまったから外の動きが全然わからなくて……。


 ――あ、自己紹介が遅れたね。

 ボクは、仲間から゛コーハイ゛と呼ばれている、子犬ビーグルのぬいぐるみだ。

 コーハイと呼ばれているからには、分かると思うけど、当然゛センパイ゛がいる。本当は照れ屋さんのくせに、いつもはちょっと難しい顔ばかりしているゴールデンレトリーバーの子犬のぬいぐるみ、゛リーバー゛先輩である。

 愛と勇気と知恵でできた綿がぎっしりとつまったその体の重さは、150グラムほど(ちなみにボクは、100グラム!)。人間からしてみれば吹けば飛ぶような存在のボクたちだけれど、見くびることなかれ、だ。

 どうしてかって?

 なぜってそれは、ボクの尊敬するリーバー先輩が、我が主のレオナちゃんに降りかかったいくつもの事件を解決してきた、正真正銘の名探偵だからだ。そしてこのボクは、名探偵の右腕――いや、右前足である探偵助手。助手といっても推理力も機動力もないボクは、結局のところ、リーバー先輩の推理をレオナちゃんに伝えるのが主な仕事となっていた。その「伝達」のために、今まで本当に苦労の連続だったんだけども……(涙)。

 リーバー先輩が事件のたびにその場でひらめく「伝達手段」については、いろいろと積もりに積もった不満がある。あるのだけれど、今ここでそれに触れるととてつもなく長~い話になってしまうので、ここでは「伝達手段そこ」には触れないでおくことにする……(ごにょごにょ)。


 ――ということで、話を元の自己紹介に戻すとしよう。

 そんなボクたち子犬ぬいぐるみの探偵コンビには、この家で一緒にお世話になっているぬいぐるみの仲間たちがいる。

 もちろんみんな、いまや大学生になったレオナちゃんがあるじであるぬいぐるみたちだ。レオナちゃんが生まれた頃からずっとそばにいたと自慢するぬいぐるみもいれば、数年前にレオナちゃんが海外研修から連れてきた北海道なまりのキツイぬいぐるみもいて……。


 そして今は人間からすれば真夜中であり、人間にとっては暗闇が支配する部屋の中にボクはいる。人間の寝静まる時間帯――つまりはぬいぐるみが支配する時間帯で、我らぬいぐるみにとっての太陽である窓から射す蒼い「月」の光を浴びようと、リビングテーブルにひょいとのぼったときだった。

 ボクに声をかけてきたぬいぐるみがいた。


「コーハイ……あんた、そこにいたの。で、リーバーはどこ?」


 それは、この家で最古参のぬいぐるみで、茶色く長い耳がトレードマークである、ミミだった。「お腹にあるオルゴールで赤ちゃんのレオナちゃんをよく寝かしつけていたものよ」と、何かにつけて自慢する彼女は、自他認める、ボクらのリーダー格だ。


「知らないッスよ。でも多分、パパさんの本棚のところじゃないッスかね?」


 ――そうなのだ。

 リーバー先輩は近頃、レオナちゃんのパパさんの書斎にある本棚の一番上の段で、まったりと過ごしていることが多い。ことに、我らがあるじ、レオナちゃんが本州に行ってしまってからというもの、その傾向は強かった。

 というのも、書棚の一番上の段には、まだ先輩がこの家に来たばかりの頃、小さなレオナちゃんと先輩が一緒に写った写真が収まる写真立てが立て掛けてあるからで……まあ、そのあたりは他のぬいぐるみたちには秘密なんだけどね。


 ――なんてことを考えていると、今度はテーブルの下あたりから、別のぬいぐるみの声がした。もちろんその声は、人間でいえばテレパシーみたいなもので、人間には聞こえないものだったのだが。


「あら。コーハイは、お月見? いいわねぇ……今日はお月様がきれいだし!」


 それは、ピンクのヒツジのぬいぐるみ、メメの優しい声だった。

 まるで、空に浮かぶ雲か綿毛の塊のような、もこもこな姿。

 そんな彼女の背後には、いつも仲良しにしているもう二匹のぬいぐるみの姿もあった。同じオーストラリア出身でボクたちの中では大柄なコアラのぬいぐるみのコー、レオナちゃん家族が沖縄旅行に行ったときに仲間になったという、ウミガメのカメである。この三匹は、いつもまったりのんびりと、レオナちゃんが子供のころによく遊んでいたというボードゲームなどで遊んだりして、ボクらぬいぐるみの時間――深夜を過ごしているのだ。


「ふん……。お月見なんかより、駆けっこの方がダンゼン楽しいんだぞ!」


 そう叫びながら(もちろん、人間には聞こえない周波数だけど)、部屋を駆けずり回っているのは、青いペンギンのぬいぐるみ、ギンだった。このやんちゃさゆえに、今までいろいろな事件に巻き込まれているんだけど……まあ、今はそれもいいとするか。


 と、とにかくそんな感じで、いつもの『ぬいぐるみの時間』を過ごす面々の中、なぜかリーバー先輩だけが、いつもにも増して静かだったのである。その気配を感じないくらいに……だ。急に心配になったボクは、お気に入りのダイニングテーブルの上からぴょんと床に飛び降りると、パパさんの書斎へと向かった。ここは屋外のベランダへと続く窓がある部屋で、とにかくたくさんの本とそれを納める本棚がたくさんあるのだった。


 部屋の主、パパさんが数時間前に寝室へと移動して今は森閑となった書斎。

 音が鳴らないよう、ボクの体の部分では一番固いプラスチックの鼻を使って入口のドアをそっと開けたボクは(ぬいぐるみなのだから、そのくらいのことは当然できる)、忍者のように抜き足差し足で、部屋の中へと侵入した。

 辺りを見回すと――やはり、いた!

 本棚の一番上の段でじっと佇む先輩の姿を認めたボクは、ほっと、ひと安心する。

 何の気なしに先輩に声をかけようとした、そのときだった。ボクの背後に、突然の気配を感じたのである。振り返ると、それはミミだった。


(声をかけるのはやめときなさい、コーハイ。あんたの先輩は、明日のことを考えるとうれしくてうれしくて何も手に――いえ、前足につかないのよ、きっと。今は、そっとしておいてあげなさいな)


 くノ一忍者のように無音でボクに近づいてテレパシー声でボクに話しかけてきたミミは、お城に住むお姫様のように恐ろしいほど威厳のある柔和な笑顔でボクに向かってほほ笑むと、ゆっくりとした足取りで部屋の外へと消えていった。


(な、なんだよ、あの不気味なほどの優しさは……。まあ、それはそれとして、案外、ミミの言ってることが正しいのかもね)


 そう納得したボクは、リーバー先輩に近づくのをやめた。

 だって今頃、先輩は一匹ひとりで、久々にレオナちゃんに会えるという喜びをかみしめているに違いないからね!

 よく考えてみれば、先輩だけでなく、今日はどのぬいぐるみも(もちろんボクも)、ウキウキ気分なことは間違いないのだ。


 だって、そう――。

 明日は、レオナちゃんが4か月半ぶりに帰省する日なんだもの!

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