4 幽霊屋敷の攻防


 カチャ、ギィ……


 レオナちゃんを誘拐したのであろう犯人は、レオナちゃんが開けようとしても開かなかったドアの鍵を開け、建物の中へと進む。

 合鍵を持っているのだ。

 レオナちゃんは何かの薬で眠らされ、この人物に背負われているらしい。

 ということは、それなりの力がある大人の人物なのだろう。時折、犯人が出す荒い呼吸音が漏れ聞こえてくる。


 ボクらぬいぐるみ二体の入ったバッグは、犯人の右腕にかけられているようだ。

 灯りの点いていない暗い家の中を、犯人が無言で進んでいく。

 と、チャックの隙間の先におぼろげながら二階への階段が現れた。

 犯人が、その階段の一番下の段に足をかける。


 ギイィ、ギイィ

 古い木製階段が、まるで二階にいる人に自分の来訪を知らせているかのように、高い周波数の音をがなりたてた。

 一歩、一歩、踏みしめるように階段を上る、犯人。


 ギイィ、ギイィ

 階段を登り切り、二階の廊下を進んで右に折れる。

 その先にあったのは、かつては温かい家庭の温もりが溢れていたのであろう、やや広めの子供部屋のような空間だった。


 どさっ

 ボクらの入ったスクールバッグが、床に放り投げられた。


(いってええ)


 リーバー先輩とボクが、歯を食いしばって痛さに耐える。ある程度は予想して構えていたけれど、やっぱり凄い衝撃だった。

 そのすぐ後に、レオナちゃんの体が犯人の肩から降ろされた。


 ごろん

 当然、暖房など効いている訳もない。

 制服姿の十四歳の少女が、冷え切った床の上にだらりと伸びている。

 その姿を見おろした犯人が、やれやれといった感じで深い息を吐いた。

 と、そのときだ。レオナちゃんのすぐ横でもぞもぞと動く大きな黒いかたまりをボクは見つけたのだった。


(せ、先輩、大変ッス。やっぱりここは幽霊屋敷ッスよ、もぞもぞ動く物体がっ!)

(ばかっ、あれは先に誘拐されていた神田さつきさんだ)

(えっ、神田さん?)


 確かに、先輩の言うとおりだった。

 明かりの点いてない部屋が薄暗いためにその表情までは見えないけれど、「猿ぐつわ」を咬まされ、手足も自由にならない制服姿の女子がひとり、蚊の鳴くような声を発しながら、必死にレオナちゃんのそばに体を引きずるようにして近づいてくるのが見えた。


「やあ、お元気でしたか、神田さん」


 そのとき、ついに犯人がその声を発した。

 太い、男の声だ――それも、おじさんの。ボクは、先輩の顔を覗き見た。


(じゃあ、犯人って……)

(そうだ。PTA役員の権藤だ)


 リーバー先輩が「想定どおり」といった感じで頷きながら、人間には聞こえない波長の重苦しい声で話し出す。


(恐らくはPTA会費の使い込みか何か、後ろめたいことがあるのだろう。権藤は、それを何かのきっかけで生徒会の神田さんに知られてしまったのだ。まじめな神田さんはそのことを確かめるために、単身で権藤のところに出向いたのだろうな。それで、逆に捕らわれの身となった――と、オレは推測する)


(名無しのジャージとはどういう関係が?)

(神田さんをこの家に閉じ込めた権藤は、自分の家から往復する道として学校の敷地を選んだのだ。早朝とか夕方遅くのぼんやりとしか見えない時間帯に、ジャージを着て部活動の生徒にまぎれて校庭を通り、金網の穴をくぐってこの家に来ていたんだ)

(でも数日前の夕方、ジャージ姿で学校の敷地を抜けようとしていたときに顔見知りの用務員さんとバッタリ会いそうになってしまったんスね?)

(そうだ。そこで権藤はとっさにジャージを脱ぎ、あたかもPTA役員として学校に来ていたように装ったんだ、と思う。オレがおかしいと感じたのはそこだ。いくらPTA役員だって、用務員さんの知らないところで頼まれてもいないのに学校を巡回するなんて、ありえないだろう?)


(なら、幽霊騒ぎはどういう?)

(それは多分、権藤がこの家を以前から何かの用途に使っていて、この部屋で蝋燭ろうそくか何かの明りを点けているところを、たまたま学校に遅くまで残っていた生徒に見られ、幽霊屋敷騒ぎになったんだろうと思う。もしかしたら、PTA会費の裏帳簿のようなものがあるのかもしれぬ)


 ――なるほど。

 確かにそういうことなら、すべてがつながる……。

 腑に落ちたボクが感心していると、権藤が神田さんの猿ぐつわを外すのが見えた。

 ろくな食事を与えられていないのか、神田さんは大きな声をあげられず、ううっ、と小さくうめいただけだった。


「すみませんねぇ、さびしい思いをさせてしまって。その様子だと、もう大声を張り上げる元気もないようですね……。でも、大丈夫です。なにせ、一緒に天国で遊ぶためのお友達を連れてきましたから」


 それを聞いたリーバー先輩は、何とかスクールバッグのチャックのすきまを開けようと、必死にすきまのところにぶつかり始めた。


(おいコーハイ、お前も手伝え。この暗がりなら、オレたちが少しぐらい動いても、人間にはわかるまい)

(えっ? っていうことは、このバッグから出るってことッスか?)

(あたりまえだ。レオナちゃんと神田さんを助けるんだ!)


 先輩とボクの体当たりで、少しづつ、少しづつ、チャックの隙間が広がっていく。

 それとともに、ボクの不安も広がる一方だった。

 どうやったら、たった二体の、それも子犬のぬいぐるみが、動けない中学生女子二人を悪い大人の人間の魔の手から救い出せるというのだろうか!


「このお嬢さん、確か二年生の子でしたよね……。えーっと名前はなんでしたっけ? まあ、この際それはどうでもいいです。先日、この子から無記名のスクールジャージがどうだのこうだのと訊かれましてね……。それがなんとしつこいこと、しつこいこと! 私がこの空き家に業者から取り寄せた見本のジャージを着て往復してましたなんて本当のこと、言うわけないのに!」


 また少し、チャックの隙間が広がった。

 あともう少しで、ボクたちなら外に出られそうだ!


「飛んで火にいる夏の虫、とはこのことですね。向こうから来ていただけましたので、手間が省けましたよ。私の不正会計処理をご存じになってしまった神田さんと、飛んできた夏の虫のお嬢さん、このお二人の『天国への階段を上る儀式』は、明日の未明にとりおこなうこととします。それまで、ごゆるりとお休みください」

「や、やめて……」


 残されたほんの僅かな力で、神田さんが声を絞り出した。

 と、その直後。

 ようやくチャックの隙間が、ボクたちぬいぐるみが通れるほどの大きさに達したのだ。


(隙間が開いたぞ。バッグから出ろ!)


 異例中の異例ながら、ボクたちは起きている人間たちのすぐ横で動き出し、バッグから飛び出した。暗闇に隠れるようにして、音を立てずに犯人の背後に回り込む。


「ふがっ、ふんがああ」


 そのとき部屋に轟いたのは、何かの猛獣のような叫び声だった。

 びくっとなって慌てて周りを見回す、権藤。

 正直言えば、ボクらもびっくりするほどの荒々しい叫び声だ。

 だがそのときボクは気付いたのだ。それが、レオナちゃんが毎朝起きるときにベッドの上であげる雄たけびに、すごくよく似てるってことを――。

 きっと、レオナちゃんが目を覚ましたんだ!


「お、お目覚めですか、お嬢さん。変な声で脅かさないで下さいよ」


 気付けば陽はどっぷりと暮れ、部屋には月明かりが射しこんでいた。

 月の青白い光に照らされ、亡霊の如き不気味な姿を部屋の中で浮きあがらせた権藤。それを見たレオナちゃんが、床の上でジタバタとしだす。


 ふんがっ、うぐぐぬ、ふぬうぅ!


 多分レオナちゃんは「あんたはPTAの権藤!」と言っているのだろうけど、猿ぐつわのせいで、良く聞き取れない。

 自分の横にいる衰弱した神田さんに気付いたレオナちゃんが、彼女に声をかける。


 ふふんがっ、ふんがふふう、うぐあぅ!


 多分レオナちゃんは「あなたは行方不明の神田さん!」と言っているのだろうけど、猿ぐつわのせいで、良く聞き取れない。

 神田さんは、今にも消えそうな笑顔でほんの少しだけ頷いた。

 彼女の聴覚は、人間にはもったいないほどの、そして彼女をぬいぐるみにしたいくらいのすごいものだった。だって、さっきのレオナちゃんの言葉が通じたってことだもの!


「最近では珍しい、元気いっぱいのお譲さんですな……。まあ、冥土めいど土産みやげに、一つだけ教えてさしあげますよ」


 ごくり、という音が部屋にこだました。

 きっと、レオナちゃんがつばを飲み込んだ音なのだろう。


「お二人を眠らせたあの薬ですけど、実はですね……最近開発された、おじさんの足の臭いの成分から作られた麻酔薬なんですよ。かなり効いたでしょう?」


 ぶうげぇぇ(神田)

 ぐぎえぇぇ(レオナ)


 レオナちゃんばかりでなく、精根尽き果てたはずの神田さんまでもが全力で湧きあがる吐き気を抑えていた。


「じょ、冗談ですよ。そんな訳ないでしょ。ジャスト、ジョーク!」


 しーんと静まった、幽霊屋敷。

 こんなひどい状況でも、つまらないおやじギャグには断固とした態度をとる女子中学生たちの態度は素敵だと思う。


「い、いいですよ。つまらないなら、つまらないと言っていただいても……。とにかく、日付が変わった明日の未明です。それまで、ゆっくりとお待ちください。私も家に帰って色々と準備を進めますので。あ、もちろんウチの優秀な息子には知られないよう、細心の注意を払いますけどね」


 自分の息子の話をした、その一瞬。権藤に僅かな隙ができた。

 それを見逃すはずもない、リーバー先輩。

 何を思ったのか力いっぱいの体当たりでボクを突き飛ばした。ボクがひゅるひゅると空中を飛び、ぶつかって着地したのは犯人の足元。――て、ボクぅ!?


(ちょ、ちょっと先輩、何するんスか!)


 その質問には答えない、先輩。

 仕方なくそのままでいたけれど、ボクはただのぬいぐるみだから、犯人をやっつける威力などボクに備わっている訳などない。

 権藤が、はあ?という顔をして足元に転がるボクを見た。


「ん? にんぎょう?」

(ぬいぐるみだ!)


 ボクの、声なきツッコミ。

 そのとき、(今だっ!)とレオナちゃんは考えたに違いない。

 手足を紐で縛られたレオナちゃんが、まるで急に悪に目覚めた巨大な海苔巻が暴れだしたかの如く、ひゅんひゅんと音をたてて横回転をして突っ込んできた。そして、ボクの体半分を下敷きにしながら、権藤の足元へと激しくぶつかったのだ。


 どぅわあぁ!


 隙を突かれた形の権藤が、たまらず前のめりになって倒れた。

 途中、床とは水平な感じで空中に浮かぶほど、おじさんの体は舞い踊っていたが。


 だっどぅーん――


 床に穴が開いたのではないかと思うほどのすごい音。

 権藤は頭を床に思いっきり叩きつけ、そのまま動かなくなった。どうやら、気絶してしまったらしい。

 すかさず闇に隠れてすばやく動いた先輩が、口を使ってレオナちゃんの手を縛っていたロープを解く。


(やった、今のショックで手のロープが緩んでるわッ!)


 自分の手首に巻かれたロープが緩んだことが分かったレオナちゃんは、素早く自分の猿ぐつわと足首のロープを外し、代わりにそのロープで犯人の手と足を縛りあげた。

 その速さは、まるでアスリート。

 中学にそんな部活があれば、きっとレオナちゃんは優勝できるに違いない。


(よっしゃあ)


 ボクと先輩が、心の中で手――いや、前足をたたく。

 すると、レオナちゃんは俯せになってのびている犯人の背中を踏ん付けるようにして右足を載せ、オオカミの遠吠えのような雄叫びをあげたのだ。


「この世に、悪の栄えたためしなしっ」


 十四歳のうら若き乙女レオナちゃんによる、ボクたちの勝利宣言だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る