6 リーバー後輩の推理

 もしかしたら、新人のリーバー君はリーバー先輩のDNAいでんしを受け継いでいるのかもしれない――。

 そんな思い(願いかもしれない)が脳裏を掠めたのは、昨日の朝のことだった。

 なにせその前の晩から朝までずっと、リーバー先輩の助手として長年活躍してきたボクが現場検証や聞き込みの仕方、そして探偵助手としての心得――まあそれは結局、リーバー先輩の肉球色の脳細胞がいかにすごいかを説明しただけなんだけど――をみっちり仕込んだばかりだった。

 だから夜が明けて辺りが明るくなり始めた頃には、「私には、こんな難しいことは無理です」とかなんとか言って音をあげるだろうと、てっきり思っていたくらいなのだ。

 それが――それが、である。


「コーハイ先輩。私、探偵の仕事が楽しくなってきましたよ」


 朝になり、ボクの後ろをちょこちょこくっついて歩いていた後輩がその柔らかそうなしっぽをパタパタと振りながらそう言った。

 この言葉には、今や“ぬいぐるみ犬探偵”に昇格したボクも感心せざるを得なかった。目をぱちくりさせながらも、先輩の威厳を精一杯に保つことを意識する。


「ほほう……頼もしいな、後輩。その調子なら、立派な探偵助手になれるッスよ」

「本当ですか? ありがとうございます!」


 ボクの褒め言葉に殊勝に喜ぶ後輩。その顔が、思わず綻ぶ。

 思えば、リーバー先輩はボクの事をほとんど褒めることがなかった。犬のぬいぐるみなのに、まるで百獣の王であるライオンのようにいつもいつもボクを崖から突き落とすような感じで楽しんでいた――いや、育ててくれた先輩。

 込み上げてくる憎たらしさを何とか意識の外に追いやり、冷静に考える。

 そう――ボクの教育方針は違うのだ。褒めて伸ばすタイプなのである。どっちが良いとか悪いとか、そういう事ではないのかも知れないが。

 でも、ボクの方針が間違っていないことだけは分かった。

 何故なら、ほら、ボクの言葉を聞いたリーバー後輩の目付きが、かつてのリーバー先輩の“太々ふてぶてしさ”には及ばないものの、まるでいたずらっ子のそれに近い感じで、俄然、やる気を見せたからだ。


「先輩、明日もう一度現場の確認と関係者の聞き込みをしましょう。その泥棒が入った瞬間を見ているのは先輩も含めたぬいぐるみの皆さんなんですから、皆さんの証言にこの事件の謎を紐解く活路を見い出したいです」

「ああ、はい……。まったく、そのとおりッスね」

「先輩には記憶が完全に消えてしまう前にもう一度、改めて前のリーバーさんがいなくなった時の様子を聞かせて欲しいです。そこも、僕の成長にとって重要な気がします」

「うん……そうだね。わかったッス」


 ――何て頼もしいんだ。ボクなんて、もう要らないんじゃないか?


 血はつながっていないが、本当の息子かも――。

 新入りのリーバー君を見ていると、先輩との関係がそんな風に思えてくるから不思議だ。嬉しいような嬉しくないような――妙なバランスの上に成り立った気持ちを保ったまま溜息を漏らしたボクに向かって、リーバー君が呆れ顔を見せる。


「何をいつまでもボーっとつっ立ってるんですか、先輩。そろそろ元の場所に戻らないと、ママさんが起床されて大変なことになりますよ」

「わ、分かってるッスよ。この家のことはボクの方が良く知ってるんスからね!」

「ああ、そうでしたね。それは失礼しました。では、先に行ってますね」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねるようにリビングへと戻っていく後輩の背中を見ながら、ボクは頼もしさを通り越した不思議な冷たさを背筋に感じていた。


 ――末恐ろしいヤツだな。


 このままでは後輩に逆転され、ボクが助手に舞い戻る日も近い気がする。

 だが、まだまだこの後輩の推理力は未知数なのだ。

 たとえ彼が潜在能力としてすごい逸材だったとしても、それがきちんと発揮されるまではリーバー先輩から託された“ぬいぐるみ犬探偵”の座を簡単に譲る訳にはいかない。


 だが――。

 その日は意外と早くにやって来た。


 時間があっという間に過ぎ去って夜になり、訪れたぬいぐるみの時間。

 ボクのことになど目もくれず、後輩のリーバー君はその瞬間を待ちかねたかのように一人で勝手に動き出したのである。

 ミミやメメ、コーやカメに空き巣の入った当時の様子を詳細に聞き取りを始め、遂には忙しなく辺りを動き回って容易に話を聴けないギンまで捕まえ、すべてのぬいぐるみたちの聴き取りをあっという間に終わらせた。

 この間、ボクは一切彼を手助けしなかった。が、彼はそれを難なくやり遂げたのだ。

 そう――既にもう、探偵の役は彼の手の中に渡っていたのである。


 呆気にとられるボクの目の前で、その後は暫くは窓際で蒼い月を眺めつつ物思いに耽っていたリーバー後輩。

 が、意を決したようにボクに近づいて来ると、こう言った。


「コーハイ先輩。申し訳ありませんが、もう一度、リーバーさんが消えてしまったときの事を詳しく教えていただけませんか」

「……ああ、いいッスよ」


 消えかかった記憶を呼び戻すように、ボクは空き巣が二回目に現れたときのことを話し始めた。正直、あの日の事を思い出すのは辛い。涙が溢れそうになる。でもそれを必死に堪えながら、先輩が空き巣に飛びかかる前に叫んだ台詞セリフを話したときだった。

 リーバー君の黒いプラスチックの瞳が、きらり、輝いたのである。

 ボクの話を最後まで訊き終った彼が、話の内容の確認を始める。


「そのとき、前のリーバーさんは“だから犯人はもう一度ここに……。違和感の正体はなるほど、あれだったんだ!”って、確かに言ったんですね?」

「うん、間違いない。そう言ったッス」

「うむう……。違和感、違和感、と……。ん? ちょっと待って……違和感ってもしかしてあの事なのかも」

「え、どういうことッスか!?」


 まだ事件が覆う暗闇の真っ只中にいるボクの質問には答えずに、リーバー先輩にそっくりな後輩はその身を丸めながら、じっと考え込むようにうずくまった。

 が、急に立ち上がったかと思うと、


「そうか、そういうことなのか――分かりました! その空き巣は何も盗んでいません。盗み以外の目的でここに来て、カモフラージュのために部屋を荒らしたんです!」


 と叫んだのだ。

 ちょっと口調は違う。違うけれど、謎解きのときの険しい、でもどこか楽しそうなその目付きはまさに懐かしのリーバー先輩のそれと同じだった。

 そしてボクはこのとき確信したのだ。

 この後輩は、リーバー先輩の再来、つまりは生まれ変わりであると。

 そして、細かい部分の違いには目を瞑ることにしても、この家には“ほぼ同じ”なリーバー先輩が帰還したのだということを!


「おお、謎が解けたんスね。流石、見た目も頭の中身もリーバー先輩とそっくりの後輩! この、ぬいぐるみ犬探偵の“コーハイ”が出る幕は無さそうッス」


 湧き上がるジェラシーをひしひしと感じながらも、それを必死に堪えてボクがそう言った、そのときだった。

 テーブル横のカーテンを閉め忘れたガラス窓の向こう側で、ゆらゆらと動く二つの影が見えた。警戒して、一斉に動きを止めたぬいぐるみたち。

 その影の正体が人間なら大ごとなのだから、その動きは当然だ。


 でもよく見ると、それは二匹の猫さんだった。

 いつかの事件のときにもそこに現れて中を覗いていった、仲の良さそうな黒猫さんと三毛猫さん。確か名前は、ロデムさんとクイーンさんだったと思う。

 隣の一軒家の屋根の上で、青白い満月の光りに照らされ、二匹はその毛並を神々しく光らせていた。


 ――よかった、あの猫さんたちだった。


 ボクは窓の外の二匹に頭を下げて、挨拶をした。

 しかし、新人のリーバー君はその猫さんたちの記憶はない。

 ちょっと驚いた感じの表情で、こちらをじっと見つめる猫さんたちを見遣る。彼女たちはきっとリーバー先輩が入れ替わっていることには気づかず、こちらの様子を見てにこやかに笑っているのだろう。


 でもとにかく、影の正体は人間ではなかったのだ。

 安堵して再び動こうとすると、猫さんたちが窓ガラス越しにこちらに声を掛けてきた。

 もちろんそれは、物理的な音波ではない。

 ボクらはぬいぐるみなのだ。意識を集中すれば、二匹の使う“猫語”もテレパシー的に聞き取ったりこちらから伝えることもできるのだ。


『ちょっと、リーバー! この謎を解けるのはあなただけなのよ。しっかりしなさい!』


 どうやら二匹の猫さんたちはこの家で起きた事件の経緯いきさつを知っていて、リーバー君、いや、我がぬいぐるみ犬探偵を励ましに来てくれたらしい。

 けれど、何だか腑に落ちない。

 だって一応、今の探偵ポジションはボク――コーハイが担っている訳なのだから!


 ――謎が解けるのはリーバーだけって、失礼じゃないッスか!


 流石のボクも気分斜めで後輩の方に振り向いたときだった。

 リーバー君のつぶらな瞳が、流れ星に当ってキラキラ星にでも変化したのかと思うくらいに輝き出し、彼の体を薄紫色の膜のような不思議なオーラが包み込んだのだ。

 体全身が痺れたかのようにがっくりと肩を落とし、うずくまる。


「え? え? リーバー君、大丈夫?」


 こんなこと初めての体験であるボクは(普通、そんな経験ないけど)、大いに慌てた。

 しかし、リーバー君はボクの問いかけに何も答えない。いよいよ大丈夫かと思った矢先、リーバー君がピクリと動き、それからゆっくりと顔をあげた。


「ああ、良かった。大丈夫だったんスね。心配したッスよ!」


 このとき彼がした表情を、ボクは一生忘れることはできないだろう。

 どこか懐かしい、かつてリーバー先輩がよくやっていたものにそっくりな太々しさ満載の表情を!


「当たり前だ、コーハイ。俺はぬいぐるみ犬探偵の、リーバー様だぞ」

「……!?」


 言葉の出ない、ボク。

 ガクガクと震える足で体を支えながらふと窓の外を見ると、もう先程の猫さんたちはその場所からいなくなっていたのだった。

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