5 コーハイの後輩

 蒼い月に向かって勝利の誓いを立てた、次の日のこと。

 コーハイであるボクに、なんと、ぬいぐるみ犬の後輩ができたのである。

 え、どういうことかって? 

 それを話すと長くなるんだけどね――こういうことなんだ。


 最近は受験勉強のこともあって遅く帰ることの多いレオナちゃんが、昨日は珍しく夕方の早い時間帯に帰宅した。そして、“ファンシーショップ”という場所に寄ったとかで、ほくほくした笑顔とともに、リビングに佇むボクたちぬいぐるみの前に顔を出した。

 あ、ちなみにファンシーショップっていうのは、ボクたちぬいぐるみや可愛らしい小物とかがひしめき合うようにたくさんあるところ、らしいのだ。

 生まれてこのかたUFOキャッチャーの世界しか知らないボクだが(実はボクは、ちっちゃなレオナちゃんにゲームセンターのUFOキャッチャーで吊られてこの家にやって来たのだ!)、可愛らしい子犬や子猫のぬいぐるみが所狭しと並ぶ場所を想像すると心が躍った。


 まあ……それはそれとして、そのとき久しぶりに見たのはこれからいたずらをしかけようとするときのような、子どもっぽい表情をしたレオナちゃんだった。

 刹那、最近辛いことの多かったボクの心が癒される。

 冷たい氷がパリパリと音を立ててら解けていくような、そんな感覚だった。

 その間にも、レオナちゃんの活発な動きは止まらない。

 通学用のリュックから包装紙に包まれたかたまりを取り出したかと思うと、すぐさまその包装紙をべりべりと破りにかかる。


 ――う、嘘だろ?


 ファンシーショップの包み紙の中から現れた“それ”を見たボクは、あまりに驚き過ぎて危くバタバタと動き出してしまいそうだった。

 次に疑ったのは、自分の目。

 夢か現実うつつか、本当はしっぽの先をつねって確かめたいところだった。けれど、レオナちゃんが目の前にいる今は、それはできない相談なのだ。だからもう一度、レオナちゃんの手の中にあるものを穴の開くほど見つめてみた。

 それが夢か幻なら、消えるだろうと思ったから――。


 でも、どう頑張って眺めてみてもそれは消え去らなかった。

 間違いない――包み紙から出てきたのは、紛れもなく“リーバー先輩”だった。

 茶色い毛並みのゴールデンレトリーバーの子犬のぬいぐるみで、パタパタと動く大きな垂れ耳と立派なしっぽが自慢の、あの、ぬいぐるみ犬探偵である。


「みんな、紹介するね! この子はコーハイの後輩の犬のぬいぐるみ――って、どうしてコーハイは先輩もいないのにコーハイなのかしら……。普通、先輩がいるから後輩であって、先輩がいないコーハイにそのまた後輩ができるなんてこと、全くおかしいのにね……。もう、なんだかよくわからいけど、すごくややこしい! と、とにかくこの子は、コーハイの後輩のぬいぐるみ犬なのッ」


 混乱しながらも、レオナちゃんによって今まさにボクの真横に一体のぬいぐるみが並べられた。

 胸が、ジンと熱くなる。

 でも、不思議だ……。

 レオナちゃんは人間だから、掟を破った先輩の事はその記憶から一切が無くなっているはずなのに――。


「なんかよくわからないけど、妙な感じなのよ……。受験勉強の気分転換で入ったお店でこの子をたまたま見つけただけなのに、何故か見覚えがある気がしてならないのよね。それよりなにより、この子の眼が『連れてってください!』って訴えてる気がして……。

 まあそんなわけで、この子は今日から君たちの仲間よ。名前は……そうね……決めた! ゴールデンレトリーバーの子犬だから、“リーバー”にする。それじゃあみんな、よろしくね!」


 そんな風にひとりでしゃべりまくった後、レオナちゃんが受験勉強のために自分の部屋へと戻る。


 ――もしかしたら、ぬいぐるみの掟にも例外はあるのかもしれない。だってこのぬいぐるみ、どう見たって先輩だもの!


 すぐにでも先輩に飛びついて、色々と話をしたいと思った。

 けれど、今はまだ人間の時間なのだ。とにかくしばらくは黙って立っていることにして、夜中のぬいぐるみの時間を心待ちに待つことにした。


 ★


 ついに待ち兼ねた夜になり、ぬいぐるみの時間となる。

 今か今かとそれを待ち侘びていたボクは、直ぐに先輩に飛びかかってほっぺをすりすりしようとした。


「せーんぱーい!」


 けれど新入りのリーバー先輩の態度は、まるで真冬の空気に長時間曝された肉球のように冷たかったのである。

 軽い身のこなしでボクの突進をひょいと避けると、お辞儀してこう言った。


「あ、違います……。私は今日ここに来たばかりの新人ですから、先輩ではなく後輩です。一体、どなたと私をお間違えかは存知ませんが、同じ犬のぬいぐるみとして今後ともよろしくお願いいたします」

「え、え?」


 凡そ不敵な先輩らしからぬ返答に、戸惑うばかりのボク。

 彼は、そんなボクに対して落ち着き払った顔で訊いた。


「それで、先輩のお名前は何ですか?」

「先輩って……もしかしてボクの事?」

「ええ、もちろんそうですよ。この家に犬のぬいぐるみは他にいないじゃないですか」

「あ、そうか……。ええと、コーハイ。ボクの名前は“コーハイ”ッス」

「じゃあ、コーハイ先輩ですね。これから仲良くしてください。よろしくお願いします」

「はい……よろしくお願いするッス」


 思いもよらなかった内容の会話に拍子抜けしたボクは、ただただ目をぱちくりさせることしかできなかった。

 そこに、堰を切ったように、他のぬいぐるみたちがリーバー先輩そっくりなぬいぐるみの周りに押し寄せた。ローテーブルの上に集結した彼らの目は新米のぬいぐるみ犬に集中し、一様にキラキラと輝いている。ガラスのローテーブルの上のスペースは、まるで芸能人の記者会見さながらの熱気を帯びていた。

 彼を質問攻めしようとするぬいぐるみたちの中、そのトップバッターは、いつも忙しない動きをするギンだった。


「ねえねえ、君はリーバーなの?」

「ええ、そうですよ。先程、ご主人のレオナちゃんからそう名付けられましたので、私の名前はリーバーということになります」

「うわっ、何なのそのしゃべり方! リーバーだけど、リーバーじゃない!」


 まるで亡霊でも見るかのような顔をして怖気づいたギンが、後ずさった。他のぬいぐるみもびっくりしてしまったのか、声が出ない。

 そんな状況の中、後ずさったギンの前に出たのはリーダー格のミミだった。


「じゃあ、あなたはリーバーと同じ見た目だけど、リーバーとしての記憶はないのね?」

「はい……。私の名前は確かにリーバーですが、皆さんが知ってらっしゃる“リーバー”さんと私は、全く別の個体なのですよ。当然、前のリーバーさんの記憶などありません」

「そ、そうなんだ……」


 先程までのぬいぐるみたちの熱気はどこへやら。

 時期を過ぎてしまった秋の向日葵ひまわりのように触れただけでがっくりと項垂れしまうほどのそんな重苦しい空気を打ち破ったのは、ピンク色の毛糸で体がもこもこに包まれたヒツジのメメだった。

 その眼は、我が子を見る母のように慈愛に満ちている。


「いきなりこんなことばかり言ってごめんなさいね……。そうよね、あなたにとってみたら全然関係ないことよね。ちょっと説明すると、最近まで私たちの仲間だったあなたそっくりの子犬のぬいぐるみが、この家から急にいなくなっちゃったのよ。それでみんな、あなたを見て彼が帰って来た思い、喜んじゃったってわけ」

「なるほど、そうだったんですか……。もしかして彼は、ぬいぐるみの掟を?」

「……そうなの。本当にあなた、彼にそっくりなのよね。だからついつい、あなたに“彼”の姿を被せてしまうの」

「それは残念でしたね……。でも皆さん、以前のリーバーさんの記憶が未だにあるとは、なんとも不思議ですね」

「ええ、そうなの。私たち、彼を忘れないようにみんなで声を掛け合ったりとか、努力してるのよ」

「そうですか……。前のリーバーさん、よほど皆さんの中で大切な存在だったんですね」

「ええ、もちろん」


 そのとき、申し訳なさそうなか細い声を出したぬいぐるみがいた。

 ――カメだった。


「あ、でも実はね……ぼくはもう……前のリーバーのことが……上手く想い出せないんだ……悲しいけど……」


 いつもおっとりしたカメの言葉に比較的新入りのコアラのコーが同意する感じで、首を縦に振った。

 つらいことだけれど、彼らを責めることはできない。

 人間から見れば万能と思われるかもしれないけど、我々ぬいぐるみにだってその能力に限界はあるのだから。


「もういいッス、良く分かったッス……。リーバー先輩に、もう二度と会えないってことがね!」


 何も事情を知らない新入りにそんな尖った感情を見せるのは失礼なことぐらいは分かってる。それでも、がっくりとなったボクの気持ちを隠し通すことはできなかった。

 そして、掟に例外があるなんてことは淡い夢であったことに、ボクは気付いた。

 そうであっても、ボクらぬいぐるみは生きねばならない。常に前を向き、歩いて行かねばならないのだ。


「とにかくまずは、掟を皆で唱えましょう」


 今までの会話を断ち切るかのようにミミが言った。

 兎にも角にも、整列したボクら。

 皆で掟を唱えた後、ボクは“リーバー君”の先輩としてこの家の中を案内し、“ぬいぐるみ探偵の助手”として行動するよう、教え込むことにした。

 そう――こうなった以上、ボク自身がぬいぐるみ犬探偵にならねばならないのだから。


「仕方ないッスね……記憶がないなら、ボクが探偵としての基本をリーバー君に教えてあげるッスよ。付いて来て!」

「はい、了解です。コーハイ先輩!」


 ――ああ、ややこしい。


 ボク程度のうつわでは、その道のりは厳しく、険しいだろう。

 だが、くじける訳にはいかない。

 ともかくボクは、先輩の「ぬいぐるみ犬探偵」としての意思を継ぐべく、この後輩と力を合わせてやっていくことを決心したのである。

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