2 ぬいぐるみ犬探偵、再始動!

 文章らしき奇妙な文字列の書かれた紙を中心にして、円を描くようにして立ち尽くすボクたち。

 しばらくたっても、誰も何も言わない。

 だって意味が解らないのだから、何も言いようがないのである。ただただ、そこにいるぬいぐるみ全員で、首を傾げ続けていた。


(オコロヲサオレヲル オヲタヲスケヲテオ オヒヲロミオ? って、全然意味わかんないッスけど――)


 うーん、と唸り続けるボクの横で、ウサギのミミが冷たい一言を放った。


「ただのイタズラ書きってこともあり得るわよね……気にせず、捨てちゃいましょ」

「そうじゃないぞ。絶対にこれ、暗号なんだぞ。捨てちゃダメなんだぞ」


 青ペンギンのぬいぐるみのギンが、我らの中でリーダー格のミミに頬を赤くしながら反論する。

 と、体中がもこもこなピンク色の毛で覆われたヒツジのメメが、優しい声色でギンの味方をした。


「わたしも、そう思うわ。だってほら、この手書き文字の震え方、尋常じゃないもの――何か切羽詰まった状態の中、誰かに何かを伝えたくて書いてるのに違いないわ。……だけどそれにしても、この下手な人間の形をした絵はどういう意味なんでしょうね?」

「さあ……どういう……意味が……あるのかな……。でも……『ハァー ヨイヤサァ』って……なんか……お茶目……だよね……」


 にやにやしながら、カメが言った。

 それにしてもカメの言葉は、相変わらず、のっびりゆっくりだ。


「そう……わかったわ。じゃあ、これは暗号であると断定して、皆で検討してみましょう」


 長い耳の片方を折るようなしぐさをして、ついに最古参のぬいぐるみのミミが、今後の方針に関する結論を下した。

 そうなればここは、探偵助手として実績のあるボクが暗号の謎を解く担当だ。

 前に一歩進んだボクは、顎のあたりに左前足を当てながら、パパさんの書斎にあるちょっと前に読んだシャーロックホームズ・シリーズの探偵ホームズよろしく、気取って言ってみた。


「もしこれが本当に暗号ならば……当然、この変な動きの棒人間がヒントということになるッスよね……って、げほげほっ」


 カッコつけてしゃべったのに、咳込んでしまうとはなんとも情けない。

 口の中の埃が、まだ完全に取れていなかったのだ。

 しかしミミは、そんなボクのことなど眼中にはなかったらしく、何事もなかったかのように話を続けた。


「確かにそうね……。ってことは、こんな声を人間はいつ出すのか、ってことを考えればいいのね」


 と、ギンが鳩胸みたいにぽこんとした胸を精いっぱい張って、自慢げに言った。


「オイラ知ってるぞ。それはきっと『よさこい踊り』だぞ」

「よさこい踊りって……ああ、夏の季節に人間が街中で踊る、あれね?」


 そのとき、ボクの背筋に電気が走った。

 とは言っても、決して神経痛が起こったのではない。閃いたのだ。


「あ、そうかぁ! これはヒトが踊ってる絵――『おどり』なんスよ。つまり、この文字の中から『オ』を取ればいい訳ッス!」


 威勢良くボクがそう言うと、ヒツジのメメが「それじゃ読んでみるわね」と、暗号文章を「オ」抜きで読み始めた。


「コロヲサレヲル ヲタヲスケヲテ ヒヲロミ――って、意味全然わかんないじゃないのっ! コーハイの推理、おかしいんじゃない?」


 円らな瞳とかわいい顔したピンクのヒツジが、めっちゃキツイ言葉を吐いた。

 がっくりとうなだれる、ボク。

 カメの両眼が「そういうこともあるさ」とボクを優しく慰めてくれた、そのときだ。

 部屋の隅の方から、聴きなれた――そして、忌々いまいましい声がしたのである。


「まだまだ、だな――コーハイ」


 何食わぬ顔で、再び現れたリーバー先輩。

 黒くてまん丸な瞳が、楽しそうに笑っていた。


「それにしてもどうした? 埃まみれじゃないか」

「先輩が掃除機の詰まりを直せとか、勝手なことを言うからっスよ! 先輩のせいッス!」


 ボクはわざと耳をパタパタし、耳の奥の方に残った白い埃をリーバー先輩に浴びせかけてやった。


「けふっ! おいおいコーハイ、そう怒るなよ――。その暗号の謎を、今すぐ解いてやるからさぁ」


 リーバー先輩が、両耳をパタパタとさせた。

 そのパタパタは、謎が解けたときのように上機嫌なときの先輩がやるくせなのだ。


「確かに踊りは普通、『おどり』と書く。しかし、例えば京都の『都をどり』のように、踊りに『をどり』の字をあてがうことも少なくない」


 なるほどとボクが納得するのと同時に、またメメが暗号を読みだした。


「コロサレル タスケテ ヒロミ」

「暗号が――解けたぞっ!」


 目を見開いて、ボクたちは顔を見合わせた。

 ただ一匹、ギンだけがそこらじゅうを駆け回る。

 そんな中、先輩が溜息混じりに言った。


「コーハイ……これは初歩も初歩、基本レベルの暗号だぞ。探偵助手として、まだまだ修行が足りないようだな」

「申しわけないッス、先輩!」


 暗号が解けたという感動の渦の中にいたミミが、急に冷めたようになって語りだした。別の疑問点を思いついたのだ。


「暗号は確かに解けたかもしれない……。だけど、これが読めただけではワタシたちぬいぐるみではどうにもできないわ。それに……まだ大きな謎が残ってると思う。この暗号の書かれた厚紙が何故今この家にあり、どうして掃除機に吸い取られそうになったのか、ってことがね」

「いや……ここに書かれている“ヒロミ”っていう人物をある程度でも絞ることができれば、すべて解決できるかもしれないと、オレは思うぞ」


 即座に答えた先輩の言葉に、勇気づけられたボクら。

 メメが推理の道筋を立てるため、思考を言葉にし始める。


「このヒロミって名前、人間では男も女もある名前よね?」

「うん、そうだよな。だが、この字は震えてさえいなければかなり丁寧で綺麗な文字だぞ。100%ではないが、女子である確率が高い」


 先輩がメメの言葉に付け足した。

 次はボクが言葉を付け足す番だった。


「レオナちゃんの友達にヒロミって名前の子がいるというのは、聞いたことないッス」

「うーん……ってことは、この暗号文を持ち込んだ人は、パパさん、ママさん、レオナちゃんの三人すべてに可能性があるという訳だな……。

 ならば、違う条件で絞っていこうか。この三人の中で、最近、特別な場所に行ってきたなんてことを言っていた人はいるか?」


 そのとき、ボクの脳裏にぴかん、と閃いたものがあった。


「そういえば昨日、高校の美術部のみんなと『雪像せつぞう』をつくりに大通まで出たってレオナちゃんが話をしていたッスよ」

「この街の冬の一大行事、“雪まつり”のための雪像づくりに行ったのか――」


 小学生の頃からイラストを描くことが好きだったレオナちゃんは、高校入学後、美術部に入部していた。その美術部は、毎年、雪像づくりの活動もしているため、一年生のレオナちゃんも雪像づくりに当然参加することになる。

 ボクの発言を聴いたリーバー先輩は、大きな耳と長いしっぽまでパタパタさせ、推理を始めた。


「そうか――なるほどな。ならばこの紙を持ち帰ったのはレオナちゃんの可能性が高い」


 そう言った先輩の瞳に、突如、稲妻のような閃光が走った。

 謎が解けた瞬間だった。


「この暗号から受け取るべきことは、まだ他にもあるぞ……。

 いや、むしろ今までの推理よりこちらの方が重要といえるな。いいかコーハイ、どうってことのなさそうなことにこそ、真実を照らす大きな謎が隠されているものなのだ――。

 ではコーハイ、質問だ。この暗号の紙が厚紙なのは何故だとと思う?」

「へ? 何故って、そんなのたまたま手元にあったからじゃないスか?」


 即座に答えたボクの考えは、リーバー先輩を怒らせたようだ。

 激しくボクを睨んだあと呆れ顔になった先輩が、声を荒げたのだ。


「このバカモノぉ! そんなことでは、いつまでたっても立派な探偵助手にはなれないぞ、コーハイ!

 ――それはな、当然、暗号を書いた紙が丈夫である必要があったためなのだ。つまりは、暗号の主は普通の紙では“くたくた”になってしまう環境にこの厚紙を置く意思があった、っていうことだ」

「なるほどッスね! ってことは、事件は屋外で起きている――そういうことッスね!」

「人間の一般家庭では、こんな水に強そうな厚紙は普通に存在しているわけではない。逆にいえば、わざわざこの紙を用意したことになるのだ。

 ――ってことは、この“殺される”と書いた彼女は、犯人となる可能性のある人物と接触することが予めわかっていたのだろう。もしかしたら、既に待ち合わせの約束をしていたのかもしれない」

「つまりこの女子は、待ち合わせの前に何かしらの悲劇が起きたとしても誰かに判ってもらうよう、この厚紙に書かれた暗号を雪の積もる屋外に置いた――そしてそれを、我らがレオナちゃんが設営会場あたりで拾ってしまった――こういうことになるッスね?」

「そうだ。その可能性が高いのだ、コーハイ」


 ぬいぐるみの間に広がった、納得感。

 やはり先輩は、『名ぬいぐるみ犬探偵』なのだ。


「この手がかりだけでそこまで推理してしまうとは――やっぱり先輩はすごいッス!」

「まあな……。すべてのことには意味がある――無意味なことなどこの世にはないってことを、よく肝に銘じておけ」

「はいッス!」


 満更でもない顔をして、先輩がボクを見た。



 その日の夜。

 ボクと先輩は、事件に知らず知らず巻き込まれているのであろうレオナちゃんを助けるため、明日もまだ『雪まつり』の雪像づくりが放課後にあるというレオナちゃんの通学用デイパックの両袖ポケットに、それぞれ一匹づつ潜り込んだ。

 朝まで武者震いが止まらなかった。

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