1 リーバー先輩のお気に入り


「もう、先輩ばっかりずるいッス! ボクにも乗らせてほしいッス!」


 素知らぬ顔の、リーバー先輩。

 言葉が聞こえないふりをして、ボクの目の前をゆっくりと通り過ぎて行く。


 があああ ぐおぐおっ があああ


 これは、先輩が唸っている声ではない。

 今人間の世界で流行っているという、ロボット掃除機の音だ。

 レオナちゃんのママさんの強い要望により、ついに最近になって、この家でもロボット掃除機なるものを購入したのだ。

 因みに、家族の皆さんはこのロボット掃除機を「ルンちゃん」と呼んでいる。


 しかし、ママさん以上にこの掃除機の登場を喜んでいる者がいる。何を隠そう、ボクらぬいぐるみ連中だ。

 特に、リーバー先輩はお気に入り。

 何がお気に入りなのかと言えば、動くルンちゃんに乗り、そこいらを走り回ることができることだった。


「あうー」


 リーバー先輩が、甲斐甲斐しく働く円形のロボット掃除機の上で“お座り”をしながら、子犬が心地よいときにあげる軽快な雄叫びをあげた。後ろ足の先を前に真っ直ぐと延ばし、前足はちょこんと体の前におくという、子犬の正しいお座りの形だ。

 小憎こにくたらしいほどの得意満面の笑みを浮かべながら、風を切って進んでいくリーバー先輩。


 しかしそれにしても、ロボットというのは相当賢いものらしい。

 なにせ毎朝十時になると、人間の出払った誰もいない部屋の中で、ルンちゃんが勝手に動き出すのだから。

 ぬいぐるみならまだしも、ロボットが勝手に動くとは本当に不思議である。

 その上、一時間ほど部屋の掃除をして働いたあと、動き出した最初の場所に勝手に戻るというのだから、もう訳が分からない。

 一体、どんな仕組みなんだろうな……。


 ルンちゃんが部屋にやって来た当初、ボクらぬいぐるみは、その賢い動きにびっくりしたものだった。

 が、ボクらぬいぐるみの順応能力も高いのだ。

 数日後、動き回るルンちゃんを見ながら、リーバー先輩が気付く。


(これって乗ったら、すんごく楽しいんじゃないか?)


 と、いうことを。

 それから、ボクらぬいぐるみたちによるロボット掃除機『争奪戦』が始まった――。



 ところで――。

 もしかしたら、ボクらのことが良くわからない人もいるかも知れないね。ちょっと説明をするよ。


 ここは、とある北の街にあるマンションの一室だ。

 高校一年生になった女子「レオナ」ちゃんと、その「パパさん」と「ママさん」、三人が住んでいる。因みにレオナちゃんの高校は女子高らしく、中学生の時に進学塾で知り合ったカナちゃんと同じ学校に通学している。


 ボクらは、この家でお世話になっている六匹のぬいぐるみだ。もちろん、ご主人様は、レオナちゃん。

 ゴールデンレトリーバーの子犬のぬいぐるみである先輩とボクの他には、ウサギの「ミミ」、ペンギンの「ギン」、ヒツジの「メメ」、ミドリガメの「カメ」がいる。

 普段はこのマンションのリビングにある棚に飾られている、ボクら。

 ボクたちぬいぐるみにとって、動きまわったりしゃべったりすることぐらいはへっちゃらなことなんだけれど、それができない理由があるのだ。

 それは、ボクらぬいぐるみ界における、厳しいおきてがあるからだ。


「人間に頼ってはいけない!」

「人間に動くところを見られてはいけない!」

「人間と話してはいけない!」


 だから、夜になって人間が寝静まった頃がボクらの時間なのだ。

 この言葉を皆で宣誓した後は、好きなことをするために、この部屋のあちらこちらへと散らばっていいことになっている。


 ボクと先輩は同じ子犬だという事もあって、行動をともにすることが多い。

 だが、「子犬だからいつもじゃれ合って遊んでいるんでしょう?」と思った方は、大間違いだ。子犬だからといって、甘く見るのはやめて欲しいのである。

 自称「ぬいぐるみ犬探偵」のリーバー先輩は、かつてレオナちゃんの通う学校や塾などで起きた難事件を、いくつも解決したほどの名探偵なのだ。そして、その探偵助手がこのボク。

 我々ぬいぐるみの間では、先輩の探偵としての才能を誰もが認めているのは言うまでもない。


 あと一つだけ、説明しておく。

 何故「先輩」が、ボクに先輩と呼ばれているか、だ。

 理由は簡単。この物語の語り手で、ビーグルの子犬のぬいぐるみ(長くて黒い耳が自慢なのだ!)であるボクよりも、先にリーバー先輩がこの家にやってきたからだ。でもまあ、「先輩」って呼んでいるのはボクだけなんだけどね……。

 まあ、そんなこんなで、ボクはレオナちゃんが命名してくれた「コーハイ」という名前で呼ばれている。



 ――そして今は、人間でいうところの平日の昼間なのだ。

 さっきも言ったけど、本来ボクらぬいぐるみは人間たちの寝静まった夜に活動するのが常識なのだ。けれどこの家は共働きの両親と女子高生の家族なので、昼間は誰もいなくなる。それでボクたちは、昼間もこの場所で動きまわることができるという訳だ。


 いつまでも掃除機を独り占めを続ける先輩。

 ついに、ボクばかりではなく、他のぬいぐるみたちからも非難の声があがり始めた。


「ちょっとリーバー、いい加減にしてよ! もう充分乗ったでしょ? 次の番のコーハイに、それを譲ってあげなさいってばっ!」

「そ、そうだぞっ! お、お前ばっかりじゃ、ずるいんだぞっ!」


 しつけの厳しいお母さんのような雰囲気でリーバー先輩を叱りつけるミミに、いつもは彼女と喧嘩ばかりしているギンが援護射撃する。

 普段穏便なカメやメメまでもが、ぷんぷん状態になっていた。

 それでもルンちゃんから降りようとしない、我儘わがまななリーバー先輩。


 まさに、ただならぬ雰囲気になってきた、そんなときだった。

 がこん、がこん……がっこん。

 ロボット掃除機が、突然、リーバー先輩を載せたまま赤いシグナルランプを点滅させ、停止してしまったのだ。


「おい、どうした? 動け!」


 まるで乗馬でもしているかのように、リーバー先輩はその長い茶色しっぽで掃除機をぽんぽんと叩いた。しかし、ルンちゃんは、うんともすんともいわず、立ち止まったままだった。


「ああッ、リーバーが掃除機を壊したぁ!」


 ミミとギンが、ここぞとばかりに大騒ぎする。

 ボクも、これはやばいことになったと素直に思った。ぬいぐるみではあるが、ボクの額から冷や汗がだらっと流れ落ちていくのがわかった。


「これは……リーバー先輩のせいッスね」


 ボクが額の汗と同じくらい冷たい調子でそう言うと、先輩はもっと冷めた目付きでこちらを一瞥してからこう言い放った。


「おい、コーハイ。きっと紙かなんかが中で詰まったんだろう……。掃除機を開けて、詰まったものを取り出してくれ」

「ええーっ」

「じゃあ、後は頼むな、コーハイ」

「えええええーっ」


 ボクの驚きの悲鳴は、先輩の心に響かなかった。

 澄まし顔で掃除機から飛び降りたリーバー先輩は、そのままなにも言わずにすたすたとどこかへ行ってしまったのである。

 ただ口をあんぐりと開けまま、ボクは先輩の後ろ姿を見送ることしかできなかった。


 しばらくの後――。

 気を取り直したボクは、仕方なく掃除機のゴミがたまるカートリッジを取り外しにかかった。でも、そこは子犬なのだ。しかもぬいぐるみの――。

 ボク一匹だけの力では、どうしても掃除機のカートリッジを外せなかった。


「仕方ないわね……」


 見兼ねたミミが、溜息混じりに呟いた。

 他のぬいぐるみたちも、相槌を打つ。

 この部屋の先輩以外のぬいぐるみたちが、作業を手伝ってくれることになった。


 よいしょ、よいしょ!

 ぱかんっ

 ぶほっぶほっ。


 こうしてやっと外れた、透明なプラスチックのカートリッジ。

 しかしそのときの勢いで、中にたまったゴミの一部がしこたま空中へと放出されてしまったのだ。白い煙のようなものをまともに被ってしまったボクは、体中が真っ白になってしまった。

 まさに、埃まみれのゴミまみれ――。


(す、すえんぱいぃ――ひどいッスぅ……)


 げほげほと咳こんでしまったボクの横で、不意にピンク色の毛をしたヒツジの「メメ」が声をあげた。


「あら? これは何?」


 それは、カートリッジを詰まらせてしまった原因らしい、やや厚い紙でできた丸いかたまりだった。


「きっと、これのせいだったのね」


 ボクらの中では最古参のウサギのぬいぐるみ「ミミ」がそう言うと、沖縄出身でのんびりおっとりした性格の「カメ」がくしゃくしゃになったその塊を口で咥え、そこから引っぱり出した。


 床に置かれたその紙を皺を伸ばすようにして広げながら、ミミが首を傾げた。

 咳がようやく治まったボクも、その紙を覗いてみる。


 まず目についたのは、はるか昔にどこかの洞窟どうくつで描かれたかのような、奇妙な動きをしている『棒人間』のような図形だった。

 その棒人間の口にあたる部分から吹き出しのような図形があって、『ハァー ヨイヤサァ』という、何かの掛け声のようなコメントが書きこまれている。

 ただ、この紙の一番の謎はそれではなかった。


「あれ? ここにも何か書いてあるわ」

「どういう意味なのかしらね」

「さあ――もしかして暗号なのかな?」

「うーん……どう……なんだ……ろう」


 ミミだけではない。ボクら全員が一斉に首を傾げた。

 なぜって――


 『オコロヲサオレヲル オヲタヲスケヲテオ オヒヲロミオ』


 棒人間の足の下の部分に、そんな意味不明のカタカナ文字が横一列で並んでいたからなのだった。

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