1 レオナの憂鬱

 真夜中のリビングルーム。

 しん、と静まり返った中、ボクの横で四足立ちした先輩が痺れを切らしたようにささやいた。


「どうだ、コーハイ。もういいだろ?」

「パパさんのイビキも聞こえてくるし、もう動いてもいいと思うッス」

「よしッ、活動開始だ!」


 先輩の声が合図だった。

 一斉に、この部屋のぬいぐるみたちが動き出したのだ。

 人間たちが寝静まった後の、ボクたちぬいぐるみの時間。そして、お待ちかねの時間。

 

 人間にとっては真っ暗で何も見えない闇だろう。

 だけど、ボクたちぬいぐるみにはきちんと見える明るさなのだ。

 いつものとおり、リビングの中央に陣取る白いソファーのところへと駆け寄ったボクたちは、人間には聞こえない周波数の声を張り上げた。

 (ボクたちは人間に聞こえる声と聞こえない声の、二種類が使えるんだ)


「人間に頼ってはいけない!」

「人間に動くところを見られてはいけない!」

「人間と話してはいけない!」


 これが、ボクたちぬいぐるみのおきてなのだ。

 みんなで掟を宣誓せんせいした後は、掟を破らない限り、好きなことをしてもいいということになっている。

 一応説明しておくと、「ボクたち」というのはこの家でお世話になっている六匹のぬいぐるみだ。ご主人様は、中学二年生で十四歳のレオナちゃん。ボブカットの黒髪と、まるでお星さまのようにキラキラした大きな瞳がトレードマークの女の子なのだ。一人っ子の彼女は、ともにサラリーマンで共働きのパパさんとママさんのご両親と一緒に、この家で三人暮らしをしている。


 そして、この物語の語り手は――ボク、「コーハイ」。

 長い耳と短いしっぽがチャームポイントのビーグルの子犬のぬいぐるみで、どうしてコーハイかといえば、既にご存知の方もいるとは思うけど、この家にはボクより先にこの家にやって来た子犬のぬいぐるみの「先輩」がいるからなのだ。(まだ小学生だった頃のレオナちゃんが名付け親だよ)

 もふもふで茶色い毛並み、ゴールデンレトリーバーの子犬のぬいぐるみである先輩。

 自称「ぬいぐるみ犬探偵」である彼は、この前も、この家で起きた「殺ぬいぐるみ事件」の謎をあっさりと解いてしまった。後輩のボクが言うのもなんだけど、なかなか頭の切れるぬいぐるみなのだ。

 そのほか、子守唄が鳴るオルゴール内臓が自慢なウサギの「ミミ」、青色したやんちゃペンギンの「ギン」、ピンク色の毛糸もふもふヒツジの「メメ」、緑色でのんびりした性格のカメの「カメ」がいる。

 仲良くこの家で毎夜遊ぶのが仕事のようなボクたち。

 もちろん、人間には見つからないように――だけどね。


 ちなみにこの部屋がある場所は、人間の世界の言葉で言うと、日本の北のはじの北海道という地域だ。

 レオナちゃんによると、北海道は比較的寒い場所であるらしい。

 だって冬の季節の間、朝起きるたびに「あーあ、冬はあったかい南の国で生活したいもんだ」とか、レオナちゃんが不機嫌に言うんだもん……ぬいぐるみにだってわかる。


 マンションの窓から外を覗けば、街角には寒さの象徴である雪が積もっている。

 でも、ついこの前までは、真っ白な雪が辺りを埋め尽くしていたんだ。それに比べれば、今やその雪は春を待ち望む人達の気持ちによって追いやられたのか、しょんぼりとした人の背中のように小さく丸まっていた。

 つまり、もうすぐ春だってことだね。

 ボクらは普段、家の外に出ないので寒暖の差をふわもふの肌で直接感じることはできないけれど、想像を働かせれば、容易にそのくらいのことはわかるんだ。



 そんな、まだ冬の寒さが抜けきらない春まだ浅い日の夜のことだった。

 いつものように、ボクと先輩は大好きなレオナちゃんの部屋へと出かけた。ご主人様であるレオナちゃんの寝顔を覗くのも、ボクらぬいぐるみの楽しみのひとつな訳で――。

 レオナちゃんの部屋の扉に、鍵は付いていない。

 だから、われらのもふもふな体を使えば、音を立てずに扉を開け、再び音を立てずに閉めることぐらいは簡単なことである。

 と、先に部屋に入ったボクの背中に向かって、先輩が訊ねた。


「おい、コーハイ。何か、変わったことはないか?」

「うーん、たいした変化はないッスね。いつものとおりッス」

「そうか……それは何よりだ」


 ボクの返事に、先輩が安心する。「無事、これ平和」というからね。

 と、そのとき、レオナちゃんの寝ているベッドの方から、うめき声にも似た寝言が聞こえてきた。


「どうして……ジャージが……そんな……ところに……?」


 苦しそうに息をしたレオナちゃんが、寝がえりをうつ。

 その拍子に目を開け、ボクらがここにいることが見つかってしまったら大変だ。思わず体を床に伏せた、ボクとリーバー先輩。

 そのまま息を殺し、レオナちゃんが穏やかな眠りにつくのをじっと待つ。やがてそれを確認したボクらは、冷や汗を流しながら目を合わせた。


「ふーっ、びっくりしたあ……。それよりコーハイ、どうやらレオナちゃんは夢の中でつらい目にあっているみたいだぞ」

「どうやら、そうみたいッスね」

「ジャージがナントカカントカって……。確かジャージって学校の体育の授業とかで身に着ける服のことだよな。学校で何かあったのかも知れん」


 と、ボクの頭の中であることが閃いた。


「先輩、レオナちゃんは日記をつけてるッス。それを読めば、学校で何が起きたかわかるかもしれないッス」

「おお、珍しく鋭いな、コーハイ。……レオナちゃんのプライベートを覗くようで申し訳ないが、この際、目をつぶってもらうとしよう」

「そうッスね」


 リーバー先輩とボクは、レオナちゃんの勉強机の脚の部分からよじ登り始めた。

 作業台に辿り着き、書棚を見上げる。

 するとそこに、ちょっと厚めの文庫本のような青い表紙のノートがあった。


「きっとあれだ」


 書棚に登り、ノートを協力して引っ張り出す。

 もちろん音をたてないよう、こっそりゆっくり慎重に――。


 やがて、苦労の甲斐あってノートを机の上に無事に置くことができた。

 緊張を和らげようと一息吐こうとしたボクを尻目に、先輩が早速作業に取り掛かる。

 小さな黒い肉球が付いた茶色い前足を使い、ページをめくりだしたリーバー先輩。ボクは、そのページがペラペラと元に戻ってしまわないよう、自分の前足でおさえつけた。

 それを何回か繰り返したときだった。

 リーバー先輩が、ピンとしっぽを立ててこう言ったのだ。


「あった、これだ。日付が昨日の日記だぞ。どれどれ――」


 先輩は、その円らな瞳をぐるぐると動かして日記を読み始めた。もちろん、ボクたちぬいぐるみにしか聞こえない、人間のいうところの超音波みたいな声で――。


『四月十七日 火曜日 

 今日、学校で体育の森田もりた先生に呼ばれて、妙なことをいわれた。

 ――昨日の夕方遅くのこと、名前の書かれていないスクールジャージの上下が校庭に落ちているのを用務員のおじさんが見つけた。そこで今日一日、おじさんは学校中で訊き回り、落とし主を探した。けれどどうしても、落とし主を見つけることができなかった。サイズはLなので、大柄な女子か男子の物だと思うのだが――

 ということだったけど、どう考えても変じゃない? 

 ジャージの持ち主はいくら春っぽくなってきたっていっても、雪の残る校庭で大胆にも着替えをし、それまで着ていたジャージを置き忘れたということ? もしも荷物として持っていたというなら、あんなものを置き去りにしたまま帰るなんてこともありえないし。

 にしても、森田先生はひどすぎるよ。「体育委員のオマエにこのジャージをあずけるから、あとはよろしく」なんていうんだよ! 

 これって忘れ物係の仕事じゃない? あーユウウツ!

 (それにしてもユウウツって漢字、難しくて書けないよね)

 わ、わかったわよ! いいよ、なんとかするよっ!!

 こうなったら、ドーンとワタシに任せておきなさいってんだ。へんっ!

 だいたい、所有物にはすべて記名しなきゃいけないことになってるじゃない。無記名は校則違反なのよ。ならばこのワタシが必ずや持ち主を捜し出し、ガツンといってやるわ。

 本格的な捜査は、早速、明日よりはじめることとします。

 この「美少女中学生探偵レオナ」の大活躍――乞うご期待!』


「…………」


 日記を読み終えた先輩が、どうにもくすぐったい顔をしている。多分、吹き出しそうになっているのを我慢しているのだろう。ボクを見るその眼は、

(けっこう、楽しんでやってるじゃん!)

 と訴えていた。

 それにしてもレオナちゃん、自分で美少女と言い切っちゃってる……。


「さて、コーハイ。この状況は、久しぶりに「名ぬいぐるみ犬探偵」の出番だとは思わないか?」

「えっ!?」


 ゴールデンレトリーバーの、くりくり目玉が自信ありげにキラリと光った。

 飼い主が飼い主なら、そのぬいぐるみもぬいぐるみだ。自分で「名ぬいぐるみ犬探偵」と言い切っているところがそっくりである。


「でも事件はこの家の中でなく、家の外で起きてるんスよ。ボクらの手――いや、前足に負えるんスか?」

「ふん、ぬいぐるみ犬探偵をなめるな。全く問題ない。この四本の足にかけて!」


 リーバー先輩が、ωオメガ形の口の口角をあげてニヤリと笑った。

 不安を一掃するかのような、その自信たっぷりな表情に、ボクは賭けてみることにする。


「……わかったッス。ボクも、助手として頑張るッス」

「おう。それでこそオレの相棒だ。それでは、捜査開始!」


 こうして、ぬいぐるみ犬の探偵と助手、二匹の冒険が再び始まったのだった。

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