2 レオナの捜査

 巷に再び陽が昇り、夕方になる。

 学校の授業を終えたレオナちゃんが、興奮気味な様子で玄関でどたばたと音を立てながら帰宅した。

 スクールジャージ事件のその後が気になって仕方がないボクと先輩は、必死に耳をそばだて、レオナちゃんの動きを伺う。

 すると、レオナちゃんの部屋辺りからどさりと物が落ちた音がした。


(あーあ、鞄を部屋にぶん投げたな)


 人間にはわからないくらいに小さく肩をすくめてリーバー先輩と顔を見合わせていると、レオナちゃんがボクたちぬいぐるみたちのいるリビングルームにどたどたと足を鳴らしてやって来た。そして、スカートの制服姿のまま、白いソファーの上にダイビングするようにうつぶせに倒れ込むと、こう呟いた。


「うーん、わからない……」


 ――もうお分かりだとは思うけど、人間が起きていてボクらが動くことのできない時間帯でも、ぬいぐるみには人間の声がしっかりと聞こえてるし、何をしているかもちゃんと見えている。だからこんなお話を物語ることができる訳だけれど、レオナちゃんやパパさんやママさんは、ボクたちぬいぐるみがそんなふうに人間の行動を観察しているとは、これっぽっちも考えていないだろうと思う。


 まあ、それはさておき――。

 学校から帰ってきたレオナちゃん。俯せに顔を伏せたまま、しばらくブツクサと独り言をいっていたが、


「どちらにしても、少し整理しないといけないな。日記帳に、今日聞き込んだ事実を並べてみよう」


 と言った後にソファーからガバッと起きだし、小走りに自分の部屋と戻って行った。

 その内容をすぐにでも知りたかったけど、昼間の時間帯には動けない。夜になるのを心待ちにして今はじっとしていることにした。


 レオナちゃんのパパさんとママさんが帰宅したのは、それから数時間後だった。

 まずは、ママさん。日の暮れかけた時間帯だ。

 次に、パパさん。ちょうどママさんが晩ご飯の支度を終えた頃だ。

 けれどレオナちゃんは、その間に一度も部屋から出てくることなく、日記帳の書き込みに専念していたようだった。

 テーブルに付いたパパさんがにこやかに夕刊を読みながら、キッチンのママさんに話しかけた。


「おお、今日のレオナは珍しく勉強に励んでるようだね! 感心、感心」

「そうね。いつもこれくらいやってくれればいいのにね」


 ママさんとパパさんの勘違いした空しい言葉が、ボクたちぬいぐるみの透明な涙を誘った。



 やっと、手ぐすね引いて待っていた深夜になった。

 青いペンギンのぬいぐるみであるギンが「一緒にかけっこで遊ぼう」と言ってきた誘いを断り、そろりそろりとレオナちゃんの部屋に入り込んだ先輩とボク。

 例によって、日記帳を机の書棚からこっそりと引き抜いた。

 リーバー先輩が「今日はコーハイが読んでみろ」と言うので、ボクが日記を読み始める。


『四月十八日 水曜日

 今日は、ジャージを発見したという、用務員のおじさんの小林さんに話を聞いてみた。

 小林さんがいうには、名無しのジャージを見つけたのはほとんどの生徒が部活が終わって帰宅し、日もどっぷりと暮れた一昨日おとといの夕方ということだった。発見場所は、校舎正面から向かって左手の、校舎裏側の校庭へと向かう途中に生えている、一本松の下。

 つい1時間前に見回りをしたときにそんなジャージはなかったそうだが、見つけた時は、まるで急いで脱ぎ棄てたかのような乱雑な感じで松の木の根っこの上に落ちていたらしい。

 ワタシは、その近くで誰かを見なかったか、と訊ねてみた。

 おじさんによれば、その時間帯前後、続けざまにジャージを見つけた場所あたりで三人の人に会ったそうである。


 一人目は、若い二十代の女性教師で、小田巻おだまき先生。

 国語の教師で、美術部の顧問もしている。暗くて表情は良く見えなかったが、何だかすごく忙しそうにして、会話もせずにそそくさとその場を去って行ったらしい。

 二人目は、PTAの役員さんで、学校の正門近くに住む、権藤ごんどうさん。

 会ったときはかなり不機嫌な感じで、「学校の見回りをしてた」といっていたそうだ。小林さんは、自主的に巡回するなんてすごい、と感心してた。

 三人目は、三年生の男子生徒、川崎かわさきさん。

 野球部の補欠メンバーだそうだ。きちんとジャージを身に着けていて、用務員さんが声をかけると目を伏せながら軽く会釈をし、ばつが悪そうにその場を去って行ったという。


 用務員さんは、「三人とも置き忘れのジャージには関係ないんじゃないのかな」と言っていたけど、ワタシにはとてもそうとは思えない。状況からして、きっとこの三人の中に犯人がいるのだ。私の直感――言わば、女の缶――じゃなかった、“美少女の缶”がそういっている!

 明日、この三人に聞き込みをしてみることにしよう』


 日記を読み終え、「“缶”っていう漢字が間違ってるッス。正しくは“勘”ッスよね」と、長い耳で文字を空中に描きながらニタニタ笑うボクなど目もくれず、先輩は低い声でうーんとうなって、その短くて柔らかそうな首をひょいと傾げた。


「これだけでは、まだ全然わからないな」

「そうッスね、明日の日記まで待ちましょう」


 ボクたちは、足音を立てずにそっとレオナちゃんの勉強部屋を出た。



 次の日の、レオナちゃんの日記。


『四月十九日 木曜日

 美少女探偵ことレオナ、三人の容疑者? に聞き込みをしちゃいました。

 ――まずは、小田巻先生。美術部の部室前で待ち伏せして捕まえたんだけどね。

「ああ、用務員さんに夕方会ったあの日のこと? ええっと、教室に忘れ物をしてね、それで遅くなっちゃったのよ……。でも、どうしてそんなこと聞くの?」

 頬を赤らめた先生は、長いまつげをしばつかせながら私の顔を覗き込んだの。

(明らかにどぎまぎしてたけど……なんだったのかしら)

「先生が顧問をしている美術部は、かなり早い時間に終わったと聞いていますが」

「教師には、その後もいろいろ仕事があるのよ。特に私たち若い教諭にはね……」

 先生は、私の質問にそう短く答えると、「もうそれ以上は答えません」という感じで、そそくさと職員室へと戻ってしまった。


 次に、野球部の部室へ向かい、練習後の川崎先輩を捕まえた。

「な、何言ってるんだよ。オ、オレはあの日、ただ忘れ物を教室に取りに戻って遅くなっただけだってば」

(うわ、わかりやすっ! ものすごい動揺!)

 きっとその時、私の真実を見つめる澄んだ瞳が、キラリンと輝いたに違いない。

「川崎先輩じゃないんですか? 名無しのジャージを松の木の下に置き去りにしたのは」

 ワタシは、直感でそう言い切った。

「ち、ちがう! オレはまったくその件には関係ない……。まあ、とにかくそういうことだから、じゃあな」

 否定はしたけど、限りなくクロに近い動きね、あれは……。

 でも、そうだとしても疑問は残る。

 どうしてそのとき、自分が着ているジャージの他に無記名のジャージなんて持っていたのかしら? まあ、それはまた後で考えるとしようか。


 多分、先輩で犯人は決まりだと思ったけれど、一応、PTAの役員である権藤さんへもアタック!

 ほぼ夕陽も暮れかけた時間だった。

 学校の正門に近い場所に建つ一軒家の呼び鈴を押すと、ドアが開いて出てきたのは四十歳代後半くらいの眼鏡のおじさんだった。眉間のしわが、際立ってた。

「もう遅い時間です。早く家に帰りなさい」

 聞き込みが、いきなりの小言で始まった。うわさ通りの、まじめ人間ね。ワタシがジャージについて訊ねると、即座にこう答えたわ。

「とにかくねえ、私はジャージのことなんか知りませんよ。最近は学校周辺で怪しい噂も聞きますし、だからPTA役員として学内を見回りをしてたんだけど……。あ、いや、その噂の事は生徒には秘密にしていることだったな」

 権藤さんは、「とにかく早く家に帰りなさい」と言い放つと、ドアをバタンと閉めてしまった。

 それにしても、生徒に秘密な怪しい噂って何? 気になるわね。あ、いやいや、ここはジャージの謎に専念しなきゃだめだ、ワタシ!


 そうね……今までのところ、野球部の川崎先輩が怪しいと思う。限りなく、クロに近いわね。だって、あの動揺の仕方は普通ではなかったもの……。まずは明日、森田先生にこのことを報告するとしよう』


 リーバー先輩は、短い腕を組みながら考え込んでいたが、やがて耳をパタパタさせてこう言った。


「うん……。三人の中でおかしなことを言っている人が一人いる、とオレは思う。きっと、その人にとって、ジャージのことは触れられたくない話なのだろう」

「えっ? どういうことッスか? ボクには全然わからないッス」

「まあ、もう少し様子を見てみようじゃないか。オレの思いすごしかもしれないし」


 とりあえず、ボクたちは真夜中のレオナちゃんの寝顔をそっと遠くから眺めることにした。レオナちゃんが幼い頃から毎晩のように見続けている、その可愛い寝顔。

 何度見ても飽きないものだ。

 ボクらはたちまち、幸せな気分になった。

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