4 第二の事件
その日も暮れ、夜になった。
「レオナが僕の事を信じてくれない……ううっ」
夕飯時に必死にレオナちゃんに無実を訴えるも、彼女には受け入れてもらえない。
そんなひと悶着有った夜も更けて、レオナちゃんもママさんも既に就寝。一人寂しくテーブルでコップ酒を傾けつつシクシクと泣いていたパパさんも、ついにはリビングの電気を消して寝室へと向かう。
さあ、これからがぬいぐるみの時間なのだ!
人間にとっては真っ暗なリビング(ぬいぐるみには平気な明るさだ)を、我々ぬいぐるみたちが、ぽふぽふと優しい足音を立てながら闊歩する。
やはり我真っ先にと部屋を跳び回っている青いペンギンに目をやりながら、先輩がボクの耳元で
「コーハイ、今夜はギンをマークするぞ」
「ギンをマーク? どういうことッスか」
今度はボクが先輩の耳元でそう囁くと、先輩は油揚げのような大きくて茶色い耳をパタパタとはためかせて、首を数回、左右に振った。
「あーあ。これだから、
「なぁるほどッス」
あまりの納得の言葉に、自然と今度はボクの自慢の長い耳がピンと立った。
「了解! 任せてくださいッス。ぬいぐるみ犬探偵の助手として、ギンから目を離さないように頑張るッス!」
満足そうに黒い瞳を細めた、先輩。
それからリーバー先輩とボクは、リビングや廊下、そしてテーブルやレオナちゃんのピアノの上など――片時も休むことなく部屋中を動き回るギンを常に陰から監視していた。
「しかしアイツ……とんでもなく
その行動の突拍子の無さに、さすがの先輩も閉口する。正直に言えば、ボクも少々疲れてきていたところだった。
ギンを尾行しているものの、容疑者となる他のぬいぐるみたちの行動を全く気にしていなかった、という訳ではない。
ミミ、メメそしてカメは、最初はリビングにある窓の傍で窓の外を眺めながら何やら楽しそうに話し込んでいたが、やがてそれに飽きたのかバラバラに散って夜を過ごしていた。ギンを見守る我ら探偵団の前を、それぞれ単独で何回か通り過ぎていくのを確認した。
コーはといえば、まだこの部屋の内容に慣れていないらしく、あっちに行っては何かを珍し気に眺めたり、こっちに来ては窓の外の景色を感慨深げに見つめていたりと、落ち着かない様子を見せていた。
いずれにしても、相変わらず一言も声は発していない。
時折見せる寂しげな瞳が、印象的な彼なのだった。
★
そろそろ夜も明ける――そんな時間になった。
尾行に疲れた先輩も、大あくび。
皆から“忍耐のぬいぐるみ”と評判のボクも、いい加減、ギンの行動を追うのに飽きてきたそんな頃だった。
昨日の夜明け頃に事件のあったキッチンから、ぬいぐるみだけが聞こえる周波数の悲鳴が轟いたのだ。
「きゃあぁぁ」
その悲鳴はピンクのヒツジ、メメのものだった。
緊急事態とばかりにギンから目を離し、先輩とボクがすぐさまキッチンへと向かう。
見ると、冷蔵庫の一番下の段、冷凍室の抽斗が大きく開いていた。目を合わせたボクと先輩は、小さく頷いたあと、抽斗の
「メメ! 大丈夫か!」
すぐに先輩とボクとで、メメを引き揚げる。
落下してすぐに救えたせいか、メメの体にカチンと凍った部分は見当たらない。ボクと先輩の体もなんとか無傷で済んだ。
そんな頃、他のぬいぐるみたちがぞろぞろと近くにやって来る。
「今のはメメの悲鳴? 何かあったの?」
「どう……した……の?」
「…………」
青ざめた表情でミミとカメ、そしてその後ろのやや離れた距離にブーメランを抱えたコーが立っていた。
ギンは遊ぶのに忙しいのか、姿を見せなかった。
「一体、何があったんだ?」
助け出したメメをキッチンの床に横わたらせ、先輩がメメに問う。
ボクは、急いで冷凍室の扉を閉めた。
観察するようにじっとメメのもこもこな体全体を見入る先輩に、メメがぼそりと答える。
「いえね……昨日のギンのことが気になって、少し私なりに調べていたのよ。抽斗を開けて冷凍室を眺めていたら、突然、背中を固いものでガツンと押されて……落下したのよ」
「背中を押されただって?」
皆の視線がコーに集まる。
当然、視線の先にあるのはコーの持つブーメランだ。疑いの目。
「お前がやったのか!」
先輩が珍しく声を荒げた。
しかし、コーは何も答えない。少し悲しげに俯くと、その場からゆっくりとリビングに向かって歩き去った。
「やはりこれは事故じゃない、事件なのだ。ギンのときのラップに包まれた魚、そしてたて続けに起こったメメの件……とても偶然とは思えないな。
今の段階では、コアラのコーが確かに疑わしい。アイツが手にした固く細長いブーメランを使って、ギンやメメを後ろから突き落とした可能性が高い。
恐らくはギンは悲鳴をあげる暇も無かったために抽斗を閉めることができたが、メメのときは轟く悲鳴のためにすぐに現場を離れる必要が生じたのだ。だから“犯ぬいぐるみ”は、抽斗を閉めることができなかった」
「だとしたら、犯ぬいぐるみの目的はギンだけではないってことッスか?」
「……そうかも知れぬ」
と、そのとき感じた、窓の外からの視線。
見れば、窓の外で猫が二匹たむろしてこちらを楽し気に覗いているではないか。ちなみにこの部屋は三階にある。
「ここの家、面白いよね、ロデム」
「ああ……ホント面白いよな、クイーン」
『そこでお前ら、何している!』
猫には理解できるテレパシー言葉で、リーバー先輩が隣の二階建て一軒家の屋根の上に佇む猫たちに威圧的な勢いで話しかけた。
ぬいぐるみの掟は人間にだけ適用される。
とはいえ、イキモノにぬいぐるみが動いたり話したりする姿を見られるのは気持ちいいものではない。
ボクの見たところ、一匹は艶のある毛並みの雄の黒猫さん。そしてもう一匹は、スコティッシュ・フォールドという種類の雌の三毛猫さんだ。
やっぱり猫は本来夜行性なんだ……とボクに思い出させる、こんな夜更けに活動する猫さんたち。
月明かりを一身に浴びた二匹は、金色の眼を宝石にように光らせている。
「あら、そこの子犬のぬいぐるみさん……そんなに怒らないでよ。この前ここを通りかかったら、たくさんのぬいぐるみさんたちが動き回っているのが見えたんで、楽しそうだなと思って――」
「うん、そうそう」
二匹の猫は、まるで何かの舞台劇でも見るかのように笑っていた。
こちらはテレパシーで語り掛け、向こうは“猫語”で語り掛けてくる。
声は窓を挟んでいるために実音として聞こえてこないけれども、そこはボクらぬいぐるみ、その意味はちゃんと解るのだ。
「もう、アンタたち! 興味本位で見ないでよね。私たち、今、大変なことなんだから」
リーダーのミミが、猫を追っ払うようにその短い手を振った。
「うん? あらら、キミたちの邪魔してしまったのなら済まなかったね……。それじゃあクイーン、もう充分楽しめたことだし帰ろうか?」
「あら、そお? これから面白くなると思ってたのに……。でもまあ、ロデムがそう言うならおうちに帰りましょうか」
少し心残りのような表情をして、二匹の猫さんがこちらに背を向けた。
と、その直後、ロデムという黒猫さんが言い忘れたことがあったという感じでくるっとこちらに振り返り、ぽつり呟いたのだ。
「しかし、ぬいぐるみも凍るものなんだな……。モコモコとして暖かそうなぬいぐるみさんは、そんなに簡単に凍らないものだと思ってたよ」
と、その刹那に光った、先輩の黒く円らな瞳。
「……そ、そうかなるほどな! ありがとうよ、猫さんたち。お陰でこの事件が解決できそうだ」
「え? よくわからないけど……どういたしまして。可愛い子犬のぬいぐるみさん!」
黒猫さんがおどけて笑うと、その横で三毛猫さんが肩をすくめた。
可愛いと言われ、ちょっと頬を先輩が赤らめたのをボクは見逃さなかった。
「寒くなって来たわね……これじゃ私たちが凍っちゃうわ。ロデム、帰りましょう」
「ああそうだね、クイーン」
にこりと笑い、二匹の猫が何処かへと去って行った。
猫さんたちを見届けた後、こちらを振り返った先輩の眼が輝いている。だがその口元は不気味な笑みを湛えていた。
「おい、コーハイ。ひとつ、頼みがあるんだが」
それは本能的にボクの背筋が凍りついた――そんな瞬間だった。
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