5 リーバー先輩の作戦

 再び訪れた、深夜。

 ぬいぐるみの掟を宣誓し終えたボクは、珍しく先輩とは別行動でリビングにいた。コソコソとどこかに行ってしまった先輩は、姿が見えない。

 コーや他の皆も、既にどこかに行って遊んでいるようだった。


「こ、これは……生肉の匂いッス!」


 ふとボクの鼻孔を突いた、あの甘くかぐわしい香り。

 ボクの脳裏を、昨日の先輩から授かった言葉が駆け抜けた。


 匂いのする方角であるキッチンへと、ボクは向かう。

 たどり着いた先は事件現場の冷蔵庫の前だった。これで三回目と思われるが、冷蔵庫は一番下の冷凍室の扉が開いたままの状態だった。冷凍肉が溶けかかっているのだろうか――どうやら肉の匂いは、そこからしてきていた。


(このまま進めば、ボクの身に危険があるのでは?)


 けれど、そんなボクの心の中の言葉は美味そうな肉の匂いには勝てない。ふらふらと、勝手に体がそちらへと寄って行ってしまう。

 今まさに冷凍室の抽斗の縁に登った、そのときだ。

 ボクの背後に近づいた、ひとつの気配――。


(しまった、このままでは押されて落ちてしまう!)


 肉の匂いに負けたことを後悔した、その瞬間だった。


「そこまでだ、メメ!」


 人間には聞こえないけれど、ぬいぐるみには耳の奥まで浸透して響き渡るかのようなそんな勇ましい声がした。まさしく“ぬいぐるみ犬探偵 リーバー”である、先輩の声だった。

 あれ? でもちょっと、鼻が詰まり気味?

 先輩の声のお陰で正気を取り戻したボクは、怪しげな気配に向かって振り返る。

 そこには、何と驚いたことに、寒さにぶるぶると震えるように四足で立つ羊のメメがいた。抽斗の縁にバランス良くちょこんと乗っている。


 そこへ、鼻先を洗濯ばさみで挟まれたリーバー先輩の姿が躍り出た。

 どうやら先輩はキッチンに置いてあった青い洗濯ばさみをひとつ拝借し、匂いの魔力に負けないよう、自ら自分の鼻をそれでがっちり挟んだようなのだ。

 確かにそれなら匂いがしないんだろうけど……かなり、痛そうだった。

 柔らかい鼻先部分の綿が、ぎゅっと縮こまってしまっている。先輩も、なかなか思い切ったことをしたものである。


「もうこれ以上、空しいことはやめるんだ、メメ! 今までの事件はすべてメメが起こしたことなんだろう?」

「ふん……。なに言ってるのよ、リーバー。ぜんっぜん、意味がわからないわよ」


 カッコいいけど鼻づまり声の先輩の台詞は、メメには届かなかった。

 動じることなく、落ち着いたままのメメがきりりと目を光らせ、ひょいと床に降りる。

 自分の姿がハードボイルドな台詞に合っていなかったことに気付いたリーバー先輩が、鼻にばっちり食い込んだ洗濯ばさみをいそいそと取り外した。すると肉の匂いを嗅いでしまったのか、一瞬だけ夢見心地の表情を見せた。しかしそこは、子犬のぬいぐるみとはいえ名探偵なのだ。直ぐに現実を見極め、鋭い表情に戻った。


「ではこれより、ぬいぐるみ犬探偵リーバーによる事件の謎解きを行う。みんな集まってくれ!」


 リーバー先輩が人間には聞こえない周波数の声で叫ぶ。

 すると、部屋のあちこちで散らばっていたぬいぐるみたちがひょこひょこと集まって来る気配がした。

 と、そのときだ。目の前の冷蔵庫がピーピーと音を鳴らし始めたのである。


「うわわっ! その前に、冷蔵庫の抽斗を閉めなければだめっス!!」


 何せ最近の人間界では、“エコ”が大流行りなのだ。

 しばらく抽斗を開けたままにしているとピーピーという電子音が鳴りだし、「電気が無駄だからすぐに閉めろ」と主張をしだす。このまま鳴らし続ければ人間に聞こえてしまうではないか!

 冷凍室の半解凍状態の素晴らしい匂いのする物体に後ろ髪を引かれながら、ボクは急いでその抽斗を閉めた。ようやく収まった、電子音。

 固まったようになってしばらく待ってみたものの、人間がこちらにやって来る様子はなかった。ぐっすりと寝ていて、音は気付かれなかったようだ。

 ほっと胸を撫で下ろしていると、キッチンの入り口あたりで固まっていたミミが動き出し、怒りだした。


「ちょっと何やってんのよ。危うく人間に見つかるところだったじゃない!」


 急に呼びつけられた上に不意に音が鳴ったことが不快だっただろう。ミミは眉間にふにょっと盛大な皺を寄せていた。

 そこに、ずっと泳いでいないと死んでしまうマグロの如く、ずっとあちらこちらを走り回っていたギンが慌ただしくやって来た。

 その後ろには、のそりとやって来てきょとんとした表情のカメとコーの姿も見える。

 全員集まったところで、ミミがメメに問いかけた。


「あら、メメ。どこに行ってたのかと思ったら、ここにいたのね」

「……ええ、まあ」


 力ない返事を返すメメを一瞥したミミが腕を組み、今度はリーバー先輩に話を振った。


「種明かしって……事件の謎は解けたわけ?」

「ああ、解けたとも。一連の事件の“犯ぬいぐるみ”は、メメ……。メメだったんだよ」

「えーっ?」

「ホントか、だぞっ!」


 自信有り気にこくりと頷くリーバー先輩に、ミミとギンが驚き、目を見張った。

 皆の視線が、冷蔵庫の傍に佇むメメに集中した。


「だって、メメは被害者の一人なのよ!?」


 ミミの言葉に、メメは無言のままだった。

 ただひたすらに床を見つめている。


「本当に……メメがやった……の?」


 まん丸黒眼のカメの眼からなかなかそれを汲み取るのは難しいが、恐らくは悲し気な目をして、カメが呟いた。

 ボクたちの社会にまだ完全には溶け込んでいないコーは、ただただ「何が起こったのかよく解らない」といった表情で、押し黙ったようにこちらを見ている。


「では……順を追って説明しようか。まずは第一の事件――“ぬいぐるみペンギン凍死事件”からだ」


 推理するときの癖なのか、耳をパタパタとさせたリーバー先輩が冷静に言い放った。

 その場の空気が急速冷凍されたかのように、きゅんと引き締まる。


「メメ……。キミは、我々肉食動物のぬいぐるみが嗅ぐと夢中になってしまう匂い――ギンの場合は魚の匂い――を使って、ギンを冷蔵庫付近におびき寄せたんだよな。何せあの匂いは、オレたちにとっては麻薬のようなもの。あれを嗅ぐと、ついつい無我夢中になって他に目が向かなくなってしまうから……。

 そしてこの方法は、そういう匂いには興味のない草食動物系のぬいぐるみが使う“常とう手段”ともいえるな」


 ギクリ、心当たりのあるミミが狼狽うろたえる素振りを見せた。

 しかしメメに動きはない。


「ママさんがラップ巻き状態で冷凍保存してあった魚を予め捜し出しておいたメメは、それを外に出して自然解凍し、匂いを部屋にばらまいた。そして唯一、魚の匂いに反応するギンがその匂いに釣られてふらふら近づいて来るのを確認し、冷凍室の抽斗をこっそりと開け、そこに半解凍状態の魚を置いたのだ。

 魚の匂いで前後左右の見境がなくなったギンは、いったい今、自分がどんな状況に置かれているのかまで考えが及ばない。当然、冷凍室の抽斗の中にぽっかりと開いた空間にも目がいかない。彼が抽斗の上に登ったところを見計らい、メメは背後からギンを押して抽斗に中に落としてそのまま抽斗を閉めてしまったのだ。

 寒さに強いペンギンとはいえ、ギンはぬいぐるみ。落ちた衝撃で気を失ったギンはじわじわと凍りつき、凍死した……。まさに恐ろしい“殺ぬいぐるみ計画”といえる。

 今回もすぐにママさんに発見されて無事回復できたから良かったものの、何かの拍子にギンの体がぼろぼろになっていたら、本当に取り返しがつかないことになっていたかもしれないんだぞ……」


 それを聞いたギンが、ぎりりとメメを睨む。


「なんで、いっつもオイラなんだぞ」

「隙があり過ぎるからでしょうよ」


 何も答えないメメに代わって悪戯っぽく言い放ったミミを、ギンがむっつりと見返した。


「実はさっき、ボクも同じ目に会ったッス。今夜、肉の匂いに釣られてやって来て、ふと気づいたら背後にメメがいたッス。あれはきっと、ギンと同じ方法でボクを凍らせようとしたに違いないッス!」


 探偵助手であるボクが、名探偵たる先輩の援護射撃とばかりに叫ぶ。

 メメの瞳が、一瞬だけひるみを見せた。

 まあ、実を言えば……こんな風になったのも、昨日先輩に「明日辺り、肉の匂いを部屋に漂わせる。そのときはおとり捜査そうさとして、匂いに釣られた“フリ”をしてくれ。この、ぬいぐるみ探偵の助手としてな」と言われていたからなんだけど……。

 本当は役目も忘れて匂いに夢中になっていたということは、永久とわの秘密だ。

 そのとき、メメが不気味に笑い出した。


「あはは……。何を言ってるのよ、リーバー。そんなの、ちゃんちゃらおかしいわ。あなた、大事なこと忘れてる。私のこの“もこもこ・ふわふわ”な軽い体では、どんなに強く体当たりしたところでギンやコーハイを抽斗の下に突き落とすことなんてことはできやしないのよ。

 それに、間違えないで! 昨日、ここで襲われたのは私なのよ。つまり私は、被害者の一人。

 さっきコーハイの傍にいたのは、そこにいるコアラのぬいぐるみが恐らくはそのブーメランみたいな棒で私たちの背中をつついたことを確かめたかったために、たまたまここに来ていただけなんだから!」


 さすが、冷静なメメだった。

 説明がきちんとできてるではないか。やはり、犯ぬいぐるみはブーメランなどという物騒な武器を持つ、コーなのだろうか? 

 そんな風にボクがが思った瞬間だった。

 今度は、ふふふと低い声で、リーバー先輩が笑い出したのである。


「そうか……あくまでもシラを切るか。では、言おう。ヒントは水だ。“水分”とでもいうべきかな」


 その小さく愛らしい瞳を大きく見開いた、メメ。

 先輩はそれに動じることもなく、言葉を続けるために口を開いた。

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