6 オーストラリアからの刺客

「メメ、ちょっと体が重そうだな。目に“くま”ができてるぞ……。体調でも悪いのか?」

「うっ」


 確かにメメの目の周りには盛大に黒い隈ができていた。

 しかも、いつもはもこもこふわふわなメメの体のボリュームがしんなりと薄くなっていて、彼女の足元の床板がほんのり湿っているではないか。

 今までの事件でお判りかとは思うが、ボクらぬいぐるみは“綿”や“フェルト”、“毛糸”などでできているので、水分大敵、体が湿ってしまうとまるで病気になったかのようにぐったりとなってしまうのだ。そして、ひどい時には……。


「最初のギンの事件。ギンを冷凍室から皆で救い出したとき、オレは真っ先に冷凍庫に突っ込んだメメの足が、キンと凍りつくのを見た」


 確かにそうだった。ボクも記憶している。


「だがしかし、メメが襲われたという昨日はどうだった? 冷凍室に落ち、ある程度時間が経っていたのにもかかわらず、オレたちが駆けつけたときのメメの足や体は、ほとんど凍っていなかっただろ」


 それもそのとおりだ!

 普段は可愛らしいメメの口元が、恐ろしいほどの湾曲性を持って歪んでいく。


「これらのことから帰結されることは、何か。それは――メメの体が、ギンの事件のときや今日のコーハイの事件のときも、多くの水分を含んでいる状態だったということだ。恐らくは、お風呂場にでも入り込み、そこでしばらく時間を過ごすなどして体に水分をたっぷりと含ませたのだろう」


 ボクがメメの近くに寄り、二本の前足で毛糸でできた体の湿り具合を確かめる。


「メメ、だいぶ体が湿ってるね。毛糸がしんなりとしてるよ」

「フンッ」


 メメが体を揺らし、体に勝手に触るなと目でボクに訴えた。


「確かに、普段のメメの体は軽い。ふわふわのもこもこの毛糸だ。だが水分を含ませたなら、そのモコモコであるが故にかなりの重さに変化する。メメはその重さを利用し、ギンを体当たりで抽斗の底に沈めることに成功した……。違うか?」

「ぐっ……」


 喉の奥から、メメが苦しそうに息を漏らす。


「第二のメメの事件は推理するまでもない、簡単な事象だ。“犯ぬいぐるみ”による、自作自演の事件だったのだ。オレの推理を混乱させるための、つまりは“ミス・ディレクション”のための偽りの事件といえるだろう」


 リーバーの言葉を聞いたカメが、しょんぼりと悲しげにこうべを垂れた。


「そうか……そんな事件を起こして忙しかったから、メメは最近あんまり一緒に遊んでくれなかったんだね……。嫌われてしまったのかと……思ってた」


 カメの嘆きが終わるか終わらないかのその瞬間、


「動機は……もしかして嫉妬? そうなの?」


 ウサギのミミが、メメに詰問した。

 そうだという意味で、こくりと頷くリーバー先輩。

 それを見たメメがぎりりと音を立てて綿の歯を食いしばり、大きな溜息を漏らした。そして、観念したように心の内を吐き出し始めた。


「そうよ……オーストラリアから来た新しいぬいぐるみがレオナちゃんにチヤホヤされることが許せなかったのよ! だからアイツに――コーに、すべての罪を被せてやりたかったのよ……。でも、これまでのようね」


 メメは体をぶるぶると振るって水分を飛ばすと、残った力を振り絞ってあっという間にキッチンをよじ登り、まるで日本海の荒波に曝される断崖絶壁のようにそそり立つシンクの縁へと移動した。

 アルミシンクの縁に立ち、何かを断ち切ったかのような妙に明るい表情で他のぬいぐるみを見下ろした、メメ。

 彼女の妙に落ち着き払った目が、ボクの背筋にぞくりと冷たい氷のような感覚を走らせた。


「メメ、何をする気なの? 確かその真下には水を張った洗い桶がある場所よ。そこに落ちて汚れ水をぐっしょりと吸い込んでしまったら、私たちぬいぐるみに命はないわッ!」


 いつもは強気なミミが、ハラハラと気を揉んでいる。

 その横でじっと佇むカメの表情は上手く読み取れない。焦っているような、そうでないような……。その少し離れたところで立ち尽くすコーの表情はカメを上回る無表情さなので、更に判断できなかった。


 リーバー先輩がメメを救おうと、じりりと体を動かした。

 それを察知したピンクのヒツジが、金切り声をあげる。


「リーバー、来ないでっ! それ以上近寄ったらすぐに飛び降りるわよ!」


 その身をシンクの中へと投げる素振りを見せる、メメ。


「そうよ――私こそが、オーストラリアからの刺客しかく。コーじゃないわ。みんな忘れてる。元々は私もオーストラリア出身だってことをね!」


 メメがお尻あたりに縫い付けられた四角いタグを、こちらに向けて見せた。


『Made in Australia』


 やや日焼けして印刷が薄くなっているものの、タグに書いてある文字はそう読める。


「そうか、オレたちはコーがオーストラリアからやって来た災いの元――“オーストラリアからの刺客”だと思っていたのに、実はメメこそがオーストラリアからの刺客だったんだ!」


 長いしっぽをぴんと立てて、先輩が妙なことに納得する。


「私は怖かった。レオナちゃんが最近連れて来たアイツのことばかりに夢中になっちゃうんじゃないかと。私だって……私だって、レオナちゃんの好きなオーストラリア出身なのに!」


 その言葉は、ボクたちぬいぐるみ連中を黙らせるのに充分な力を持っていた。

 何故かって……みんな同じように不安な気持ちを持っていたと思うから。

 ぬいぐるみの仲間が増えるのはいいことだ。けれどそれは、同時にレオナちゃんの優しさが分散してしまうことになりかねないことでもある。

 と、そのとき廊下の方から聴こえた、太く男らしい声。


「おめえもオーストラリアだったべか。知らなかったなぁ。仲間がいて良かったべや」


 ん? これはコーの声なのか? コーがしゃべった? めっちゃ、訛ってるけど!

 それにしてもそのしゃべり方はこの辺りの人間たちが話す方言に似てないか? 初めて聴くコーの言葉にビックリしたのか、皆の動きがぴたりと止まる。

 そんな中、恐ろし気な武器、“ブーメラン”を胸の前に抱きかかえたコーが進み出てメメに訴えた。


「もう、そんなことはヤメレ。レオナちゃんが悲しむだけだべや。水で湿らさって、なまらキツイことになるべ?」


 ちなみに「ヤメレ」というのはこの地方の「ヤメロ」という意味の方言だ。あとは……各自フィーリングで理解頂きたい。

 コーは外国から来たから洗練されていて、ボクたちを馬鹿にしているようなイケスカナイ奴だと勝手に思っていたのだけれど、実はこんなカントリーな感じのぬいぐるみだったのかと改めて驚かされた気持ちになる。

 でも……何故、彼が方言を操るのかは謎ではあるが。


「フン、うるさいわね! あなたにそんなこと言われる筋合いはないのよ。えいっ!」


 遂に意を決したメメが、あの恐ろしい油汚れや雑菌が潜むと思われるシンクの“溜まり水”へと身を投じてしまった。


「やめろ、メメ!」


 ボクの声がキッチンでこだました、そのときだった。


「何するだ、ばかやろぉ!」


 そんなコーの叫び声と同時に空中を音を立てて飛び出した、ブーメラン。

 コーが、その手で空中へと解き放ったのだ。

 しゅんしゅんしゅん!

 空を切って勢いよく回転するブーメランが、今まさにシンクへと落ちようとするメメ目掛けて飛んで行った。


「きゃあぁ」


 ブーメラン翼が、メメを掠めた。

 甲高い声を残して、メメがブーメランに弾き飛ばされる。

 お陰でメメはシンクの内側に落ちず、こちら側のキッチンの床にぽふん、と落ちてきた。


(ふうぅ……助かった。これでひと安心だ)


 と、ボクが思った、そのときだ。


「コーハイ、危ない!」


 先輩の悲痛な叫び声が台所に響き渡った。

 ――でも、遅かった。

 Uターンをしてこちらに戻って来たブーメランが、ボクの顔面を直撃したのである。


「がはっ」


 頭を突き抜ける、ひどい痛み。

 ぐいんと仰け反る、ボクの体。


「コーハイィ!」


 先輩の声らしき音波が、ボクの体の綿の中心に微かに届いた。

 けれどその甲斐なく、ボクの意識は深く冷たい闇へと沈んで行ったのである。

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