1 レオナ、受験生になる
最近のレオナちゃんは、とにかく忙しい。
新学期を迎えて中学三年生になり、人間でいうところの「受験生」というものになったらしいのだ。そんなことくらい、ぬいぐるみであるボクたちにだって容易に分かる。
夜十時のリビングルーム。
もちろん今はまだ、“人間の時間”である。ぬいぐるみが活動し始める時間ではない。
しかし夜も十時ともなれば、それが終わりに近づいているはずなのに、今日も今日とてその雰囲気が薄い。
以前のレオナちゃんだったら、もう歯も磨き終わり、ソファーに座って一日の出来事を振り返るテレビのニュース番組を見ているパパさんとママさんに「おやすみ」を言って、とっくに自分の部屋に戻っていった頃合いだ。
けれど最近は、こんな時間になっても自室でせっせと勉強をしている。(たぶん)
「レオナ、まだ勉強してるね。もう、寝る時間じゃないのか?」
「まあ、自分で決めた志望校だし、はりきってるんでしょ。ふわわぁ」
ビールの入ったコップを手にしながら、心配そうにパパさんがママさんに尋ねた。
それを眠そうにあくびをしながら、ママさんが答える。
「うん、そうだね。折角、やる気になってがんばってるんだから、多少寝るのが遅くなっても仕方がないか……」
最近レオナちゃんにかまって貰えないのが悲しいのか、少しすねた顔のパパさんが、缶ビールの中身を空のコップに注ぎ、ちびりと飲んだ。それが最後の一杯になるらしい。
お酒が無くなりかけると一口の量が少なくなる、パパさんなのだ。
――まあ、そんなこんなで、ボクたち「ぬいぐるみの時間」が始まる時間が少し遅くなった今日この頃。一応説明すれば、ぬいぐるみの時間とは、つまり、人間たちが寝静まった後の夜の時間のことだ。
一般の人間がどう思ってるかは知らない。
けど、ボクたちぬいぐるみにとって、動きまわったりしゃべったりすることぐらいは、へっちゃらなことなのだ。
そんなボクらにもやってはいけない、「掟」がある。
「人間に頼ってはいけない!」
「人間に動くところを見られてはいけない!」
「人間と話してはいけない!」
三つの掟をこの家のぬいぐるみたちで宣誓した後、それぞれがそれぞれの好きなことをするために、部屋のあちこちに散らばっていく。
ちなみに、ここはとある北国にある街の、マンションの一室なのだ。
この家には、中学三年になった「レオナ」というお譲さんとその親御さんの三人が住んでいる。
そしてボクらは、この家でお世話になっている六匹のぬいぐるみなのだ。ご主人様は、当然、レオナちゃん。
この物語の語り手であるボクは、ビーグルの子犬のぬいぐるみだ。みんなから「コーハイ」と呼ばれている。人間にはわかると思うけど、「コーハイ」がいるからには、「先輩」がいるのだ。その先輩は、ボクよりも早くこの家にやってきた「リーバー」という名前のゴールデンレトリーバーの子犬で、自称「ぬいぐるみ犬探偵」だった。
ぬいぐるみと言って、馬鹿にするなかれ。
リーバー先輩は、この家で起きた「殺ぬいぐるみ事件」や、レオナちゃんの中学校で起きた「名無しジャージ事件」の謎をすぐに解いてしまうほどの、切れ者――いや、切れ“ぬいぐるみ”なのだ。
そのほかには、ウサギの「ミミ」、ペンギンの「ギン」、ヒツジの「メメ」、ミドリガメの「カメ」の4匹のぬいぐるみがいる。
普段はリビングルームにある棚に大切に飾られていて、夜な夜な、人間が寝静まった時間に活動している、というわけなのだ。
そんな毎日が続き、部屋の気温も徐々に上昇。ぬいぐるみには関係ないけれど、世にいう「夏休み」の時期になった。
今日は、日曜日――。
受験勉強の疲れを癒すかのような和やかな夕食も終わったリビングルームには、パパさん、ママさん、レオナちゃんの家族三人の姿があった。
そんなときだった。
リビングのソファーに座り、何気ない感じでテレビを見ていたパパさんが、おもむろにいったのだ。
「受験勉強もがんばっていることだし、ここは自分の実力を見るためにも塾の夏期講習にいってみてはどうだろう、レオナ」
和やかだった雰囲気が一気に崩れ去り、リビングに緊張が走った。
テーブルで夕食後のデザートであるスイカに勢いよくかぶりついていたレオナちゃんの動きが、ぴたりと止まる。ゆっくりとスイカを顔面から取り外したレオナちゃんが、口の周りをスイカの果肉で真っ赤に染め、ひきつった顔でパパさんを見る。
「ぐ、ぐゎくしうじくうぅ?」
彼女の言葉から出てきたのは、凡そ日本語とは思えない不思議な言葉だった。
しかも、ぐゎく、と発音したときにレオナちゃんの口から黒いスイカの種がひとつ飛び出して、パパさんのおでこに張り付く始末。
「……そう、学習塾さ。最近、成績が伸び悩んでいると聞いたぞ。ここは、プロの指導を受けるというのも、いいんじゃないのか?」
おでこについた種を右手の指でつまみとりながら、パパさんが
まさに四面楚歌、いや、二面楚歌か。
レオナちゃんは、黙って頷くしかなかった。
「そうね、レオナ。塾に通ってみたら? 今のままでは志望校、厳しいかも……。あ、それよりパパ、土日の食事の片づけはパパの仕事でしょ? 後はよろしくね」
「あ、ごめんごめん、今からやるよ」
ソファーを急いで立った、パパさん。
代わりにソファーにやって来たママさんが言う。
「じゃあ、塾に通うってことでいいわね。どこの塾に行くかはレオナに任せるから決めて頂戴」
「う、うん……わかった」
ゴクリ、口の中にあったスイカを飲み込んだレオナちゃん。
そんなこんなで、とりあえず夏期講習だけ、ということで塾に通いだすことになる。
後日、「クラスの友達が何人か通っている自宅近くの個人学習塾、『合格一直線』にするわ」とレオナちゃんが決めてきた。
レオナちゃんが通う塾を決めた、その日の晩のことだ。
ひょんなことから聞きつけたらしい噂を、彼女はホクホク顔で両親に告げた。
「その塾ね、学校のテスト問題がよく当たると評判なんだって。通ってる友達も多いことだし、楽しみだわ」
「レオナ、学校のテストのために通うんじゃないからな。それぞれ志望校が違うだろうし、孤独になっちゃうかもしれないけど、志望校受験のための勉強が大事なんだぞ」
晩酌のチューハイが入ったコップを傾けながら、友達と塾で遊ぼうと密かに企むレオナちゃんに、パパさんがくぎを刺した。
「……わかってるって。でも、内申だって大事だし、勉強する環境も大事なのよ……。と、とにかく、その塾でいいのね?」
「ああ、もちろんさ。とんでもなくお金がかかるってことじゃないのなら、パパはレオナが決めたことはだいたい賛成派だよ」
「あ、そう。じゃあ、ママもそれでいい?」
レオナちゃんが、キッチンのママさんを見る。
暖かく見守るように父と娘のやり取りを聞いていたママさんが言った。
「いいんじゃない? それより……パパ、座ってお酒飲んでるくらいならお皿洗いをを手伝って頂戴よ」
「あ、そうでしたそうでした。今からやりますよぉ!」
今度は、ソファーにどっかと座って動かないパパさんにママさんが釘を刺した。
「じゃあ、来週から通うからね!」
レオナちゃんは、笑いながら自分の部屋に戻っていった。
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