6 ぎゃらりーSの攻防(前編)

 どこをどう行ったのか――リュックの中にいたボクに詳しいことはわからない。けれどとにかく、レオナちゃんは目的の場所にたどり着いた。

 弾む息の中、レオナちゃんが呟く。


「さあ、いくよ。コーハイ、リーバー、ワタシについてきて!」


 その瞬間――。

 ボクらの入ったリュックの口が開き、まぶしいほどの太陽の光が差し込んできた。続いて、ボクと先輩を持ち上げると、ボクらの首から上の部分がリュックから飛び出す形にしてくれた。

 これで、外の景色が見えるようになった!


「ここが、『ぎゃらりーS』か……」


 レオナちゃんがあたりの景色を見るために体を左右にねじってくれたおかげで、ボクにも見えた。コンクリート打ちっぱなしの、おしゃれな三階建てビル。その一階部分が、どうやら、ギャラリーとして使える美術品などの展示スペースとなっているらしい。

 ボクらの目の前に『ぎゃらりーS』と書かれたはがね色の金属看板が、入口ドアの前に整然と立っていた。石畳風の床からにょきりと生えた2本の木製の柱のようなもので、左右から挟まれている。


 ――ごくり。


 その音は、レオナちゃんの喉元から聞こえてきたものだった。

 さすがのレオナちゃんも、緊張を隠せない。

 ボクと体を接する先輩も、かなりの緊張の面持ちである。この1人と1匹にはこれから何が起こるのかは予想できているのかもしれない。だが、そんな予知能力というか推理力など全くないボクは、本当は緊張などしていなかったのだけれど、それがばれないよう、わざとドキドキしているふりをした。(もちろん、人間には分からない程度だけど!)


「鍵……開いてるわね」


 ギャラリーの入り口となっている、大きなガラスドア。

 その取っ手に手をかけたレオナちゃんは、そのまま、そっと扉を押した。扉はまるで口に指をあてられた子どものように何もしゃべらずして滑らかに動き、レオナちゃんとボクたちぬいぐるみ2匹を、ギャラリーの中へと招き入れたのである。


「……」


 ガラスドアの向こう側は、受付スペースのような場所だった。

 真っ白い壁が目の前に立ちふさがり、奥が見えなくなっている。

 レオナちゃんは、まるで『くノ一』の忍者のように、足音を立てず、そっと壁の切れ間へと移動して壁の向こう側を覗き込んだ。

 と、その瞬間――。

 レオナちゃんの声が、建物内部で響き渡った。


しょう先生!」


 リュックの口から飛び出たボクたちの頭が激しく揺れた。

 それほどの勢いでレオナちゃんが駆け出したのである。

 揺れる視界の中、レオナちゃんの頭の向こう側に見えた景色は、1人の中年男性が床に横向きになって倒れている姿だった。

 レオナちゃんの髪の毛が慌ただしく揺れて、視界が時折遮られる。

 そんな不十分な視界で十分に確認できたことは、床に倒れた一人の男性の側頭部から血が流れだし、それがまるで池のようになって床上に溜まっている景色がそこには存在するという事実であった。


(残念、間に合わなかったか……)


 と、先輩がボクにだけ聞こえる周波数でため息を吐くように呟いた、そのときだった。

 田中翔先生と思われる人に近づいたレオナちゃんが、叫んだのである。


「大丈夫……。息をしてる!!」


 急いでスマホを手に取り救急車を呼ぶ、レオナちゃん。

 あとは救急車が来るのを待つだけ――となったとき、レオナちゃんはボクたちの入ったリュックを床に降ろすと、まるでどこかに隠れている人の耳にも届くようにしているかのように声を張り上げ、こう言った。


「もう、出てきてもいいわよ。いい香りを漂わせた――犯人さん!」


 ミニコンサートでも開けるような、そんな設備仕様にでもなっているのだろうか。レオナちゃんの声が部屋の中で反響し、こだました。

 けれど、そんなことになどお構いなしのレオナちゃんの背中は、氷のように鋭く冷たいオーラのようなもので覆われていた。そう――近づけば、氷の刃で誰彼構わず傷つけてしまうかのような、そんなオーラで。


 ――がちゃり。


 いくつもの絵が飾られている――というよりは、まだ準備中といった感じの広々とした展示スペース。

 その奥の方にある、「STAFF ONLY」と書かれた重そうな鉄扉のドアノブが回った。キュウ、という音を立てつつ徐々に開いたドアの向こう側からひょいと姿を現したのは、数時間前、美術部の部室で会ったばかりの、美術部副顧問である伊東先生だった。


「あら、かわいい声がこちらの方でしたと思ったら、先ほどのレオナさんじゃない。どうして、ここに? ……って、まあ! 田中先生が倒れてるじゃないの。大変、すぐに救急車を呼ばないと!!」


 血相を変えてこちらに駆け寄って来る先生を右手で制したレオナちゃんが、冷たく言い放つ。


「大丈夫です。もう、呼んでおきましたから」

「あらそうなの……よかった! でも、どうしてこんなところに田中先生が!?」


 レオナちゃんの放つ冷たいオーラを感じ取ったのか、ボクらの数メートル先で立ち止まった伊東先生。ひきつった笑顔を見せる先生から、やっぱりというか、とってもいい花の香りがしてくる。その名前って、確か……そう、ラベンダーだ! 北の大地の初夏を彩る、紫色の花だよね。


「やはり、あなただったのね……伊東先生」

「いったい、なんのこと? 私はここで近々個展を開く予定があって、その準備で奥にいただけよ。あなたの声がしてこっちに来てみたら、こんなことになってしまっていて……。とにかくびっくりしたってだけで、何もしてないわ」

「へえ、そうなんですね」


 と、伊東先生がポンと手を叩き、何かを思いついた。


「あ、私、分かっちゃったわ。きっと、これは田中先生の奥さんの仕業よ。仲が悪いってもっぱらの噂だし、私のせいにするために田中先生をここで殴って、倒れた先生をそのままにしてどこかに行ってしまったんじゃないのかしら」

「残念ながら、ワタシはそう思わない。多分、そんな悪い噂を流したのもあなたなんでしょうしね……。まあ、そのことはいいわ。とにかく、ワタシがここに来たのは、もしかしたらまだ止められるかもと思ったからなんだけど、手遅れだったってわけね。もう、こうなってしまった以上、ここにも警察も呼ばなきゃ」


 依然厳しい顔のまま、レオナちゃんが携帯電話を取り電話を掛けた。相手は再びの山鼻刑事であろう。ここの場所、「ぎゃらりーS」に来るよう、促している。

 しかし、その口調は電話で話す――というよりは、指示を出す、といった感じだ。

 そんなレオナちゃんの視線が、伊東先生から外れた。

 すると先生は、レオナちゃんの背後に回り込もうとでもしているのか、そろそろと音もなくこちらに近づいて来るではないか!

 レオナちゃんは、気付かない。

 焦る、ボクとリーバー先輩。

 そのときである。リーバー先輩が、例のとんでもない命令をボクに下したのは!


(コーハイ、ここから飛び出して伊東先生の前に出ろ。彼女の気をき、レオナちゃんを救え!)


 もちろんそれは、人間には聞こえない周波数の声で、である。

 それに対し、ボクが「いやッス」と抗議する時間もなかった。なぜなら、ボクらの頭だけがリュックから出ているのをいいことに、人間には見えないところで、リーバー先輩がボクのお尻のあたりを思いっきり蹴飛ばしたからだ。


 ――ぎゃあッ!


 声にならない声で、ボクは叫んだ。

 縫い目がちぎれそうになるほどの激痛が、ボクの短いしっぽの根元あたりに走る。その痛さが爆薬となりリュックから上空へと発射したボクは、しっぽと耳を操って、なんとかこちらに向かう伊東先生の進路をふさぐ形で、床へと着地した。

 口周りは、絵の具でヒリヒリ。

 お尻の縫い目の部分は、ピリピリ。

 満身創痍なボクがもだえそうになるのを必死に耐えていると、忍び寄る田中先生の視線が、ボクに向いた。

 その途端――。

 伊東先生は、鬼の形相から幼気いたいけな少女の表情となり、ボクをその細腕でひょいと拾い上げたのである。


「わあ、どうしてこの子がここに? かわいい!」


 伊東先生が、夢中になってボクをいじりだす。

 ラベンダーのいい香りが、ボクを包み込んだ。まるで「お花畑」にいるような、そんな感覚になった。


「でもこの子……。よく見たら、口には絵の具が付いてるし、頭には少しハゲ・・があるし、耳の付け根とか縫い目が緩んでるところもあるわ……。ちょっとかわいそうね」


 同情されてしまった、ボク。

 すると、これまでリーバー先輩から受けてきた数々の仕打ち、そして゛つらい思い出゛がよみがえってきた。

 ふつふつと沸き上がるのは、ただただ、先輩への怒りである。

 人間には分からないようにぎろりとリーバー先輩を睨むと、先輩は明後日あさっての方向を見て、知らんぷりを決め込んだ。


 (……)


 それにしても、少女に戻った伊東先生の顔――。

 それを見ていたら、(この先生、猫好きの『猫派』のような感じを出してるけど、実は犬派なんじゃないか?)なんて考えが、浮かんできた。

 そんなときだった。


「じゃあ、そういうことでよろしく。なるべく早めにね!」


 そう言って電話を終えたレオナちゃんが、ボクらと伊東先生のいる方向に振り返った。

 ボクをその腕の中で嬉し気にちょす・・・(北海道では゛いじる゛ことをそう言うのだ!)伊東先生の姿を見たレオナちゃんは、こう言った。


「やっぱり、あなた犬派だったのね。まあ、それはそうとして……今、私に襲いかかろうとしたでしょ」

「は? な、なにを言ってるのよ。まさか、そんなわけ――」


 再び鬼の形相に戻った先生。

 先ほど着地した床の辺りに、ボクを放り投げる。


 ――ぎゃあぁ!


 人間には聞こえない悲鳴が、ボクの体中の「綿」に浸み込むように響き渡った。

 けれど、体が痛さで悲鳴をあげる一方で、心の中では少しうれしい気持ちが沸きあがっていることに気付く。

 なぜかって?

 それは、伊東先生が犬派であるというボクの推理と、我があるじ、レオナちゃんの推理が一緒だったということが、判明したからである。

 冷たい床に横たわりながら密かにほくそ笑むボクとは違い、厳しい表情を更に厳しくしたレオナちゃんが言う。


「それは、嘘ね……。ワタシはこの二つの目以外に、この子たち『ぬいぐるみ』の目を使ってみることができるのよ。あなた……ワタシの背後に回り込もうとしてたわ」


 ――どきッ! 本当に!?


 まさかの発言に、ボクとリーバー先輩は危うく飛び跳ねそうになった。が、何とか耐えた。先輩は(レオナちゃん特有の言い回しで言った冗談だろうぜ)とテレパシーで伝えて、ボクを安心させる。


「へえ……面白いこと言うのね、レオナさん。美術部の『伝説的存在』という意味が、今わかったわ」

「その、伝説、っていうのがちょっと引っかかるけど……まあ、それはそれとして。ここから、今回の事件の核心を突くことにするわね。伊東先生――先ほどまで田中先生の家にいて、部屋の中を荒らしたのは、あなたなんでしょ?」

「さあ……なんのことかしら?」

「ふん。あくまでシラを切るつもりなのね、わかったわ。でも……ワタシは断言する。このギャラリーの建物の中に、田中先生の奥さんが、きっといる。多分、あの辺りね」


 そう言って、レオナちゃんはさきほど伊東先生が現れたドアとは別の、「機材倉庫」と書かれたドアを指さしたのである。

 目を細め、歯ぎしりした伊東先生。

 それを見たレオナちゃんが、にやりと笑う。


「やっぱり……そこにいるのね」


 言い終わるのと、同時だった。

 レオナちゃんが、ダッシュで機材倉庫のドアへと向かったのである。

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