1 新しい仲間

 今日は、待ちに待った約束の日だ。

 あれから十日が経ったのだから。

 これでやっと、寂しい日々ともオサラバ――なはず。


 え? 何が、寂しい日々だったのかって?

 それは当然――ボクたちのご主人様、高校二年生のレオナちゃんが、しばらく家にいなかったことだ。


 数日間の修学旅行や家族旅行以外、ボクらはいつもレオナちゃんと一緒だった。ボクらはいつも彼女を見守り、常に彼女もボクらを見守ってくれた。

 そんな日々が当たり前だと思ってた。

 だから、長い時間レオナちゃんに会えないことがこんなにも寂しいことだったとは露も知らなかった。


 今回は、十日間という長さのオーストラリア語学研修旅行だった。

 もちろん目的は英語の語学研修だ。

 どんな人間の言葉でも、そしてどんな動物の言葉でも話すことができるボクたちにとってみれば無意味なことだけれど、人間というものは外国に行っていろんな言葉を覚えるらしい。



 今から数時間前。

 いつもより早めに会社から帰ってきたレオナちゃんのパパさんとママさんが、ちょっとだけ部屋に居ただけですぐに外へと出かけてしまった。夜に到着するレオナちゃんを出迎えに、空港へと自家用車で向かったらしい。

 ちなみに、この家はとある北国にある街のマンションの一室で、パパさんとママさん、そしてレオナちゃんの三人が暮らしている。



 ……ん?

 ああ、すみません。よくわからない方もいると思うので説明するね。


 ボクの名は「コーハイ」。この物語の語り手だ。

 黒く長い耳が特徴のビーグルの子犬のぬいぐるみなんだけど、オマケ程度についた黒いしっぽの短さが悩みの種で……。


 そして、お分かりだと思うが、ボクが後輩コーハイである以上、この家には先輩センパイのぬいぐるみがいる。

 この物語の主人公である「リーバー先輩」は、茶色い毛並みとその長いしっぽが自慢のゴールデンレトリーバーの子犬のぬいぐるみだ。ボクがやって来た数か月前くらいにこの家にやって来たって話だから、本当はほんのちょっとだけ先輩な程度のはずなんだけど……。

 いつもボクの前でこれ見よがしにその長いしっぽをぴんと伸ばすのが、ちょっと小憎(こにく)たらしい。


 だが、しかし――だ。

 そんな見た目の子犬ぬいぐるみだからといって、先輩を甘く見るのは絶対に禁物だ。

 なにせ、自称「ぬいぐるみ犬探偵」であるリーバー先輩。

 今までも、レオナちゃんの周りで起きた難事件をいくつも解決している。正真正銘の、名探偵なのだ! 

 人間には上手く伝わっていないかもしれないけど、我々ぬいぐるみたちの誰もが、その才能を認めている。


 あ、そうそう。

 我々というのは、この家にお世話になっている六匹のぬいぐるみたちのことだ。

 ボクと先輩の他には、ウサギの「ミミ」、ペンギンの「ギン」、ヒツジの「メメ」、カメの「カメ」がいて……。



 そんな風に思考を巡らせていたボクを現実の世界に引き戻したのは、仲間のうちの、一体のぬいぐるみの声だった。


「もうそろそろ三人が到着する頃よね。みんな、所定の位置に戻りなさい」


 明かりの消されたマンションの一室に、低く冷めた声が冴え渡る。

 それはまさに、命令口調だった。

 そんな風に言葉を発するのは、我らぬいぐるみのリーダー(リーバー先輩は認めてないけど)である、ミミ以外にない。


 彼女は、この家の最古参のぬいぐるみだ。

 茶色い毛並をしたニンジンをこよなく愛するウサギのぬいぐるみで、子守歌を奏でるオルゴールをお腹に抱えている。「レオナちゃんが赤ちゃんの時は、この音をよく聴かせたものよ」というのが彼女の口癖であり、自慢なのだ。

 ちなみに彼女の言う“所定の位置”というのは、リビングにある人間の小さな子どもが手の届くくらいの低い棚の上のことだ。ぬいぐるみにとって、飛んだり跳ねたりすることは造作もないことなんだけど、厳しい“掟”のため、人間が活動する昼間などはこの棚の上で大人しくしているのである。


「まだ全然ダイジョーブ、だぞ!」


 ちょんと突き出た黄色いくちばしから生意気に言い放ったのは、体が南極の海のように真っ青なペンギンのぬいぐるみ、「ギン」だった。魚が大好きで、その匂いを嗅ぐために深夜、冷蔵庫の周りをうろうろとしていることも多い。

 今もリビングをぐるぐると駆け回る、やんちゃな彼。

 ミミの話に、そう簡単には耳を傾けようとはしないのである。


「ギンって、本当に懲りないわよね。またミミに怒られても知らないんだから……ねえ、カメ?」


 呆れたような声を出しながらモコモコの体をふわりと動かしたのは、ピンク色の綿の塊のようなフォルムのヒツジのぬいぐるみ、「メメ」だった。

 基本的には優しい性格の持ち主で、動きもゆっくり。

 けれど必要なときにはきびきびと動くこともある、やるときはやるタイプの女なのだ。その温和な表情には似合わない、彼女の口からたまに繰り出されるキツイ一言は、なかなかの破壊力を持っている。

 あのリーバー先輩も、メメにはタジタジになることが多々ある。


「ああ……そう……だ……ね……」


 ピンクのモコモコヒツジの横で、聴いている方がうとうと眠くなってしまうほどゆっくりな返事をメメに返したのは緑色のカメのぬいぐるみ、「カメ」だった。

 いつも無表情でのそのそと動く彼は、ワカメなどの海藻が大好き。きっと自分の体と同じ色をしているからなんだろう。相当なのんびり屋な彼は、カメほどではないけれど同じくのんびり屋のメメと一緒にいることが多い。

 そんなカメは、ミミの指示に従い、メメとともにゆったりとした動きで棚のある場所へと戻っていく。


 それを見たボクも、横にいるリーバー先輩に声をかけた。


「そろそろボクらも棚に戻った方が良いッスよ」

「ん? ああ、そうだな……」


 浮かない顔で、曖昧あいまいな返事をした、リーバー先輩。

 レオナちゃんがオーストラリアに研修旅行に行ってしまってからというもの、何となく元気がないのだ。自慢の長いしっぽも、いつもは景気よくパタパタ動く茶色の耳も、ここ数日はしょんぼりと垂れていることが多かった。


 ようやくぬいぐるみの仲間たちがそれぞれの場所に戻った、そんなときだった。

 ついにボクたちが待ち焦がれていた、あの愛しくて懐かしい声が、マンションの玄関の方から響き渡ったんだ。


「ただいまぁ」


 レオナちゃんの声に間違いなかった。

 それを聴いて、みんなの表情が一斉に明るくなる。人間にはほとんどわからないくらいの変化だとは思うけれど。

 先にリビングにやって来たママさんが、部屋の明かりを点けた。

 するとその直後、瞳をキラキラ輝かせたレオナちゃんが、たくさんの荷物と溢れんばかりの笑顔を湛えたパパさんとともにリビングにやって来た。


「やあ、みんな元気だった?」


 早速、レオナちゃんが長旅の疲れを見せずにボクらに声をかけてくれたのだ。

 そういう優しいところが、ボクは大好きだ。

 皆も――特にリーバー先輩は――本当は跳び上がって喜びたいところだろうけど、動かないように必死に我慢している。

 なんとか無事な再会ができ、ほっと胸を撫で下ろしたボクだった。


「それでね……早速だけど、みんなに報告があるの。じゃーん!」


 レオナちゃんが、後ろ手に抱えていた何かをボクらの並ぶ棚の前に突き出した。

 それは、灰色の毛並みの、小さなクマのようなぬいぐるみだった。

 人間の赤ちゃんが足を投げ出して座っているかのような格好をしたそのぬいぐるみは、顔の真ん中に添えられた大きくて黒い鼻と、その上に少し離れ気味に並ぶ二つの丸い瞳が特徴的だった。


 何より目立ったのは、そのぬいぐるみが両手で挟み込むようにして抱えている物だった。

 ボクたち十二の瞳をくぎ付けにして離さない、その物体――。

 それは、鈍く黒光りする「くの字」型の細長い板だった。白く細い線で何やら複雑な模様がそこには刻まれていて、いかにも南国のジャングルを思わせるような、怪しい雰囲気を醸し出している。

 別の表現をすれば、目の前に迫った敵をたたき割って前に進むためにあるかのような、所謂「武器」なのだろう。誠に物騒な代物といえた。


「これ、オーストラリアのホームステイ先からもらった、コアラのぬいぐるみの“コー”だよ! みんな、これから仲良くしてあげてね!」


 当然、ボクらは人間の前では動けない、話せない。

 だから、ボクたちとコーとの間に何やら冷たくて重たい空気の壁が立ちはだかったことはレオナちゃんには分からなかったのだろう。

 満面の笑みを浮かべながら、レオナちゃんがボクたちぬいぐるみのスペースをちょっとづつ詰めて、コーの居場所を決める。


「じゃあ、コーはここでいいわね。みんな、よろしく!」


 ――これが、新しい仲間、コアラのぬいぐるみ「コー」とボクらとの出会いであった。

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