2 ファンシーショップの怪

 ああ、なんというか、とてつもなく幸せ――。

 それは、レオナちゃんが歩くたびに上下左右に体が揺れる――そんな感覚のことである。


(リーバー先輩! レオナちゃんと一緒に外出できて、よかったッスね。さっきは、めっちゃドキドキしたッスけど)


 レオナちゃんが大学生になってから買ったらしい、通学用の灰色リュックに昨日の晩のうちに忍びこんでいたボクたち。

 かつてのように、うまく隠れられたと思っていたボクたちだったけど、実のところは、もう少しのところで外出は無理、となっていたのだ。というのも、レオナちゃんが出かけようとして玄関先で靴を履いた時にリュックの中身を一度、あらためたからである。

 当然、ボクらは見つかってしまったのだった。


「もう、なんでこの子たちが、ここにいるのよ……? あ、わかった、パパの嫌がらせね。でも、まあいいわ。この子たちと行くのは久しぶりだし、今までも一緒のときはいろいろと楽しいことがあったからね。今日は、一緒に出掛けるとするか」


 レオナちゃんは、そう言って、ボクとリーバー先輩をリュックに入れたままにしてくれたのだ。

 しかしそれにしても、中学時代のレオナちゃんのスクールバッグに初めて忍び込んでから、いったい何年が経ったのだろう……。レオナちゃんの成長とともに、時の流れをしみじみと感じたボクなのであった。


(ふん、オレは全然ドキドキなんかしなかったけどな)


 レオナちゃんが目的地へと向かう地下鉄に乗るまでの道のり。

 揺れるリュックの中、ボクと体を擦り合わせながら人間には聞こえない周波数の声――人間で言えばテレパシーみたいなもの――で、リーバー先輩が思いきり強がりを言った。

 だが、ボクは知っている――。

 レオナちゃんに見つかったとき、かなりビビッて先輩の茶色いモフモフ生地がざわりと毛羽立ってしまったことを!


(……それなら、そういうことにするッス。それで、今日はレオナちゃんはどこに行くんでしたっけ?)

(バカモノ! そんな大事なこともちゃんと聞いていなかったのか。それでは、ぬいぐるみ犬探偵の助手として、失格だぞ!!)

(も、申し訳ないッス、先輩……。で、どこなんスか?)

(仕方ない、教えてやろう。まずは最寄りの地下鉄駅で、カナちゃんと待ち合わせだ。そのあと、オレの故郷ともいえるファンシーショップに行って買い物をして、高校の美術部に顔を出すそうだ)

(ふむふむ、なるほどッス。すごく楽しみッス!)


 などと、先輩と人知れず「会話」していると、遠くの方から懐かしい声がした。

 そう――カナちゃんの声だ!


「レオナちゃん、久しぶり! 元気だった?」

「わあ。カナちゃん、久しぶり!! 私は、元気だったよ。カナちゃんは?」

「もちろん……元気、元気」

「そう、よかった! スマホではやり取りしてたけど、やっぱりじかに顔を合わせるのとは違うね! ……しかし、なんていうかさ、遠くにいてもいつでも顔とか見れて会話もできちゃうなんて、今の世の中はホントすごいよね! ええっと、なんていうんだっけ、『てくのろじぃ』っていうの? 進みすぎちゃって、あたしゃ全くついていけないよ」

「レオナちゃん……いったいあなたはいつの人なの……? まあ、いいわ。とにかく、行きましょうか」

「うん……行こう、行こう!」


 レオナちゃんとカナちゃんは、中学のときに『学習塾 合格一直線』で知り合って以来の仲良しなのだ。その塾はいろいろあって今はなくなってしまったけれど、二人の仲は今も続いている。

 高校では、二人して美術部に入ったんだよ。

 そして、この街の冬の時期の最大イベント『雪まつり』に美術部として参加していたときに、雪像づくりの最中、事件に巻き込まれてしまった。あのときは大変だったな……。

 なんて少し昔のことを思いだしていたら、ボクとリーバー先輩の収まったリュックの口が、ぱっと開いて、太陽の光とともにピンクフレームの眼鏡をつけた可愛らしいカナちゃんの顔のアップが、ボクらの視界に飛び込んできたんだ。


「カナちゃん。この子たち憶えてる?」

「この子たち……? あ、リーバー君とコーハイ君だね! もちろん、憶えてるに決まってるじゃない」


 そう言われて、危うく赤面してしまうところだった。

 だけど、何とか我慢していると、レオナちゃんがリュックの口を閉めた。再びの暗闇の世界。


 ――ふうう、危なかったぁ。


 そう思っていると(多分、先輩もヒヤヒヤだったと思うけど)、ボクの鼻をくすぐる、いい匂いが漂ってきた(犬のぬいぐるみだから、当然、鼻は良い)。

 カナちゃんが着けている香水なのだろうか……。

 甘い、バラの花みたいな匂いだった。


「なんか懐かしくてね……今日は連れてきちゃったの」

「いいじゃん、いいじゃん。コーハイ君は私の命の恩人だよ。あとで、美術部の部室に着いたら抱っこさせてね」

「うん。もちろんだよ、カナちゃん」


 はっきり言って、夢見心地だった。

 レオナちゃんとカナちゃんの思い出の地、美術部に行けることもそうだったが、なんと、カナちゃんに後で抱っこしてもらえるというのだから! わくわく感の止まらないボクの横で、リーバー先輩はなぜか浮かない顔をしている。

 というか、不安顔の先輩だった。


(どうしたんスか、先輩。顔が恐いッスよ。カナちゃんがボクしか抱っこしてくれないから――)

(ちがう、ちがう! なんか……悪い予感がするんだ、コーハイ。気を引き締めろ)


 ボクの『悪い予感』ほどではないけれど、先輩の『肉球色の脳細胞』が捉えた予感は、結構当たるのだ。愛と勇気でできた綿が詰まっているぬいぐるみの能力は、決して侮れないのである。

 布と糸でできた口を、ボクはぎゅっと引き締めた。



  ☆



 地下鉄の車両から降り、改札口を抜ける。

 するとそこは街中の駅らしく、何やらにぎやかな感じがした。人々の喧騒の中、しばらくレオナちゃんのバッグの中でボクらは揺られた。

 その間も、カナちゃんとレオナちゃんの楽し気な会話は続く。

 その、鳥のさえずりのようなやりとりにボクとリーバー先輩がうっとりしていると、急にレオナちゃんが立ち止まって、こう言ったんだ。


「カナちゃん、お店に着いたよ」

「うん、着いたね。美術部の子たちへの差し入れ、選ぼうよ。部活に使える可愛い筆記具とかあればいいね」


 要は、この店で美術部の後輩たちへのプレゼントを買ってから学校に行こう、ということだ。お店に入り、「あれがいい」とか「これがいい」と迷いだす、二人。

 けれど、ボクたちぬいぐるみにとっては、けっこうこの店はやっかいなのである。なぜって、人間には分からないだろうけど、この店は騒がしいからだ。

 そう……この店にはたくさんのぬいぐるみがいる。

 そのぬいぐるみたちは、人間には聞こえない声で、ぺちゃくちゃとおしゃべりをしているのだ。中には、さっき自分を掴んだ人間が、乱暴に棚に戻したと怒りをぶちまけている者もいた。心から同情するけれど、今はそれをボクたちにはどうにもできないので聞こえなかったことにしようとしていた、その矢先――。

 レオナちゃんとカナちゃんに近寄って来る、一人の男性の声がした。


「やあ、レオナちゃんにカナちゃん! 久しぶりだねぇ、元気だった?」


 レオナちゃんたちからすれば、かなり年齢が上な感じの声だった。どうやら、この店の人が二人に近寄ってきて、声をかけて来たものらしい。


 ――店の人に名前を憶えられてるなんて、すごい!


 どんな頻度でこの店に通い、どんなやり取りがあってそういうことになったのはわからいけど……恐るべし、レオナちゃんとカナちゃん。

 でも、そんな僕の゛感心゛を他所に、名前を呼ばれるなんて当たり前といった感じのレオナちゃんが、明るい声で男性の質問に答えたんだ。


「おお、テンチョー! 久しぶりぃ」

「レオナちゃんは本州の方の学校だったっけ? でも、カナちゃんは道内なんでしょぉ? 最近、全然来てくれないじゃん、冷たいなあ」

「ご、ごめんなさい。でも、道内っていっても、特急の汽車でも4時間かかる場所だし……そんなには帰って来れないのよ」


 こちらでは、電車とはいわずに『汽車』ということが多い。

 なぜなら、今のところ、ほとんどが電気ではなくディーゼル燃料で動くからだ。


「ちょっと、テンチョー、カナちゃんをイジメないでよね。久しぶりに顔を出したんだし、今日は、゛冷やかし゛じゃないんだから。これから高校の美術部に行くのに、差し入れを買いに来たんだよ」

「おお、そうか。ごめんごめん。ところで、君らの高校の美術部といえばさ――」


 店長の声が急に小さくなる。


「君たちの後輩――そう、今の美術部の部長さんなんだけどね。この頃、ちょっとおかしいんだよ」

「部長って、杉山すぎやま麗華れいかちゃんのこと? レイカちゃんの何が変なの?」


 この頃ちょっとおかしい、というワードは、もともと探偵気質の強いレオナちゃんを食い気味にさせた。


「そう、部長のレイカちゃんだ。彼女がさあ……この頃、数日おきにここにやってきては、決まって黒猫のぬいぐるみを一体、買っていくんだよ」

「それっておかしいことかな? きっとあの子、黒猫が好きなのよ。どこもおかしくないじゃない」


 カナちゃんがちょっと不満気味に口をとがらせている姿が、ボクには想像できた。


「いや、カナちゃん。もしそうだったら、尚更おかしいよ。だって、毎回すごくつまらなそうな顔して買ってるんだもの。それにね……」

「それに?」


 今度はレオナちゃんが右目の眉を吊り上げて、疑わしげな視線で店長を睨みつけている様子が目に浮かんだ。


「それにね、黒猫ではあるんだけど同じものというわけではなくて、いろんな種類のぬいぐるみを買っていくんだ。まさに、手あたり次第、って感じにね」

「ふうん……確かにそれは変かもね。うん、わかった。じゃあ、帰るね」

「おいおい、今日は何か買っていってくれるんじゃなかったのかい?」

「あ、そうだった、そうだった。それじゃあ、可愛い後輩たちのために、めっちゃ可愛い文房具でも買っていこうかな」

「毎度ありぃ!」


 しばらくの買い物の後――。

 レオナちゃんとカナちゃんは、彼女らの母校である夕陽ケ丘高校へと向かうため、乗り継ぎのバス乗り場へと急いだのである。


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