4 悲劇のぬいぐるみたち

「まったく……。どうして学校関係者は、ああも頭が固いのかしらね、カナちゃん」

「レオナちゃん、そんなこと言っちゃダメ。結局、私たちのことを信じて、先生の住所を教えてくれたでしょ? 感謝しなきゃ」

「まあ、そうなんだけどね……」


 既に、学校を後にしたレオナちゃんとカナちゃん。

 今度は、進行方向前側に傾いたリュックの中で、ボクとリーバー先輩はゆっくりと揺られていた。行きでは上りだった坂道を、今、下っているのだ。しばらくして、リュックの傾きがなくなったかと思ったら、動きが止まった。街中へと向かうバスにのる乗り場ターミナルへと到着したのだろう。

 ベンチに腰掛けたらしい二人の会話が、再開した。


「とりあえず……SNSで連絡がつかないんだから、まずは翔先生の家に行ってみようよ。そしたら、何かわかるかもしれないし」

「そうよね、レオナちゃん。奥さんと二人して具合が悪くなってる場合も考えられるから、少し食べ物の差し入れも買っていくのがいいかもよ」

「うん。そうしよう、カナちゃん。ただね……ワタシ、ちょっと嫌な予感がしているんだ。レイカちゃんたちが言うには、翔先生のお宅にいた黒猫さん、一か月前くらいに急に死んじゃったんでしょう……? 家の中で『妙な事』が起こる可能性があるわ」


 思わず、ボクはリュックでともに息を潜めるリーバー先輩の顔を眺めた。

 こういうとき、なぜかリーバー先輩とレオナちゃんは、以心伝心、ともいうべきシンクロをしていることが多いからだ。同じ探偵の血が流れている――とでもいうべきか。

 案の定、リーバー先輩の眼にも不安の色が多分に含まれていた。


(オレも、レオナちゃんの予感に同感だ)


 人間には聞こえない声でささやく、リーバー先輩。

 ボクの『楽しいピクニック気分』が粉々に粉砕された瞬間だった。



  ☆



 しばらくの後。

 ボクらはとあるマンションの玄関前に来ていた。わずと知れた、田中翔先生の自宅のある建物である。


「じゃあ、部屋番号を押してみるよ」


 共同玄関の中へと進み、教わった部屋番号をインターホンの入力装置を使って押す、レオナちゃん。ボクはリュックの中だったが、音や雰囲気でその様子は、綿でできた神経を集中させれば、手に――いや、前足にとるようにわかるのだ。


「出ないね……。先生、具合悪くて寝込んでるのかな? 1階の部屋だし、ちょっと回り込んで窓から中の様子が見えないか、確認してみようよ」


 カナちゃんの心配そうな声。

 それも、そのはずだった。

 何度か繰り返された部屋番号を押してのインターホン呼び出しに、全く反応が返ってこなかったのだから。

 一度、玄関から外に出た二人が、うろうろしだす。


「窓の中、カーテンしまっててよく見えないよ」

「うん……違う窓も見てみようか、カナちゃん」


 などと言っていた、そのときだった。


「ちょっとオタクら、さっきから何してるの?」


 その声は、少し怒気を含んだおじさんのものだった。恐らくは、このマンションの管理人さんなのだろう。リュックの中なので見えないが、声の感じからして、角刈りの短髪で長身、やせ型の50代の男性、という感じだった。

 と、ふんわり漂ってきた、さわやかな香り。

 レモンのような、柑橘系の匂いだった。おじさんが身に着けている、コロンか何かだろうか。

 そんなおじさんの質問に答えようと、カナちゃんのシャンとした声が辺りに響く。


「すみません、私たち、ここの1階に住んでる田中さんの知り合いなんですが、ここ数日、連絡がとれていないんです。よかったら、マスターキーで部屋の鍵を開けてもらえませんか?」

「な、なにをいきなり言ってるんだ。警察に言われたならまだしも、見ず知らずのアンタたちに対して、そんなことができるわけなかろう? さあ、帰った帰った!」


 当然、我が主であるレオナちゃんが今までいくつもの事件を解いた『探偵』などということを、おじさんは知らない。女子大学生たちを適当にあしらおうとしている。

 しかしそこは、レオナちゃんなのだ。簡単には引き下がらない。

 母校の美術部で起きていることや翔先生の連絡がないことが如何におかしいか、などを根気よく説明した。しかし、管理人さんの心には響かないようだった。


「もういいよ、わかった。じゃあ、おじさん……警察が許すと言ったら、開けてくれる?」

「警察だって? お嬢ちゃん、今度はとんでもないことを言ってきたね」

「あのね、管理人さん。このレオナちゃんはね、実は今までいくつもの事件を解決していて、警察では一目いちもく置かれている――」


 なんて、カナちゃんの解説も途中の段階で電話をかけだした、レオナちゃん。

 どうやら、その相手はいつぞやの「空き巣」(といっても、何も盗まれなかったけど)事件で関わった、山鼻やまはな刑事のようである。しばらく、ここでは言い表せないような言葉で言い合っていた後に、刑事の説得を終えたらしいレオナちゃんが言う。


「さあ、相手はホンモノの刑事よ。話を聞いてちょうだい」


 目を丸くして驚く(たぶん)、管理人さん。

 レオナちゃんから携帯を受け取ったらしい彼は、なにやらぶつくさと低い声で嫌々話していたが、やがて電話を切ると、こう言った。


「あんた……いったい、何者なんだよ。どうして警察があんたに肩入れする?」

「だ・か・らぁ」


 レオナちゃんが、ここで間をためる。

 (ああ、これはいつもの感じの゛見栄きり゛だな)と感じたボクらの体にも、力が入る。

 その後一気に、彼女はこう言い放った。


「だから言ってるでしょぉ!? ワタシは、かつて美人女子高校生探偵としてこの辺りでブイブイ鳴らした、泣く子も黙るレオナ様だって!」

「は、初耳だけど、そうなのか……。分かった。そこまで言うなら、田中さんの部屋の鍵を開けてやる。だけど、この件には一切、俺は関わらなかったことにして欲しい。なにせ今までも田中さんとはちょっと前に死んだ黒猫のことで少しもめてたんでな……。あ、今のは何でもないぞ、聞かなかったことにしてくれ。と、とにかく、会社にばれると面倒だし、鍵を開けたらすぐに俺はいなくなるから、あとは適当にやってくれよ。いいな?」


 管理人さんは、矢継ぎ早にそう言ってマスターキーをチャラつかせると、共同玄関へと回り込み、その鍵を開けた。そしてすぐさま、1階の田中先生の部屋の前に行き、その扉の鍵も開けたのだった。


「ということで、あとはよろしく!」


 おじさんが足早に去っていく、靴音が聞こえる。

 まるで、忍者だった。

 棲んでいた猫の件で周りの居住者から苦情か何かがあって、先生のご夫婦と、かなりもめていたのだろうか……。この件には関わりたくないという気持が強いようである。


「あとはよろしく、って何なのよ……」

「こういうのを職場放棄っていうのかしら、ね?」


 予想外の呆気なさに拍子抜けした二人だったが、気を取り直す。

 目の前の『開いた扉』という現実に直面したレオナちゃんとカナちゃんの喉が、そろってゴクリと鳴った。直後、「お邪魔しまーす」という小さな声が建物内部で響いたのち、ボクらをリュックに背負ったレオナちゃんとカナちゃんが、部屋の内部へと進んでいった。

 その間に何度か声をかけるも、奥からの返事はなし。

 レオナちゃんの心臓の激しい鼓動が、ボクらの入ったリュックにまで伝わってくる。相当な、緊迫感である。


 と、そのときだった。

 「わあっ!」という二人のそろった叫び声とともに、ボクらが入ったリュックが地球の重力に根負けしたかのように床へと落下した。そして、ボクら二体のぬいぐるみは、リュックの口から飛び出し、冷たいフローリングの床へと投げ出された。何かの衝撃を受けたレオナちゃんがあとずさり、しりもちをつくようにして転んでしまったから、らしかった。

 そしてボクらは、見てしまったのである。

 この部屋で起きている――惨状を!


(これは紛れもない『大量殺ぬいぐるみ事件』だ……。許せん)


 リーバー先輩が、人間には聞こえない周波数なのでそうしなくてもよいのに、押し殺したような、奥歯で何かを噛みしめたような、そんな声で言った。


(確かに、これは酷いッス……)


 気を取り戻し、立ち上がったレオナちゃん。

 リュックから飛び出て横向きになってしまっていたボクたちを、四本足で立つように床に並べてくれたおかげで、更にその様子がよく見えるようになった。

 まるで泥棒が入ったかのような、荒れ放題のリビングルーム。

 部屋の中央辺りの板の間の上に散らばっていたのは、合計7匹の猫のぬいぐるみだった。すべて黒猫だったが、明らかに意図的な力でずたずたに引き裂かれおり、無残にも中から白い綿が飛び出している。気付いたのは、7匹のうち1匹だけが、他と比べるとやや小さめなぬいぐるみであるということだった。他の6匹はだいたい大きさがほぼ同じだが、少しづつ顔形など、特徴が違っている。


「なんてことなの……。これはきっとレイカちゃんが買い集めたぬいぐるみたちね。少なくとも、この6匹は」


 レオナちゃんが悲痛な表情を浮かべる。

 カナちゃんも怒りに震えていたようだったが、あえて冷静な声を出す。


「状況から見て、ついさっきまで行われていたっていう感じよ。なのに、部屋に誰もいないなんて、おかしいわ。もしかしてどこかに隠れてる?」


 二人の顔がきゅりりと引きつった。

 特に武術を習っているわけでもないのに、空手のようなポーズを見せる、レオナちゃん。


「そうね、カナちゃん。どう考えても、『今の今まで』この家で何かが行われていたのよ。それにしても、この匂い――」


 レオナちゃんがボクたちがするのと同じように、鼻をクンクンさせた。

 リーバー先輩もそれを嗅いだはずだが、黙ったままだ。


「なんかいろんなものが混ざってるって感じで、よくわからない匂いよね……。絵の負の匂いも混ざってるようだけど」

「うん、ちょっと複雑な感じ」


 だが、リーバー先輩が黙っていたのにも無理はなかった。

 ボクら犬のぬいぐるみの優れた嗅覚きゅうかくをもってしても嗅ぎ分けられない、複雑な匂いだったからだ。当然、人間には分からないだろう。その主な要因は、部屋中に散らばった、足で踏みつけたのか、中身をぶちまけられ残骸と化した油絵や水彩絵の具によるものだった。

 さすが、美術の先生の自宅である。たくさんの種類の絵の具があった。

 と、レオナちゃんがリビングテーブル横の人間の腰の高さほどにあるカウンターテーブルの上に、一枚のアナログな写真立てがあるのを見つけた。


「あ、この写真……。一か月前くらいに死んじゃったという、黒猫さんよね」

「うん、そうみたいね。横にいるのが、翔先生と……奥さん?」

「そうなんじゃない? さっき部室では『ちょっと夫婦仲に問題があるなんて噂が……』なんて言ってた子もいたけど、とてもそうは見えないわね。とっても幸せそう」

「でもね、写真にはそういう複雑な気持ちまで映らないわよ、レオナちゃん」

「そんなもんかなあ……」


 さっきの小さめぬいぐるみの黒猫さんにちょっと雰囲気が似ていると思うのは、気のせいだろうか。

 とにかく、部屋の荒廃した様子に唖然としていると、リビングの奥にある部屋の方向から、そよ風のような小さな空気の流れがそよりとやって来たような気がした。これには、リーバー先輩も気づいたらしく、人間には分からない程度の゛険しい゛顔をした。


(あっちに人がいるぞ!)


 リーバー先輩が人間でいうテレパシーの声で叫んだのと、同時。

 レオナちゃんも「今、あっちから風が吹いてきたわ。誰かいる!」と言って、奥に向かって駆け出した。「レオナちゃん、丸腰は危ないよ!」と叫んだカナちゃんは、あわててその辺に落ちいていたテレビのリモコンを拾って、その後に続く。


 ――リモコンで、どう戦うというのだろう。


 そんな疑問は置いておくとして、こんなとき、成り行きを見守ることしかできないボクたちは、なんとも無力だ。

 ドキドキしながら待っていると、奥からレオナちゃんの声がした。


「ついさっきまで、ここにいたのね……誰かが。恐らくは、この部屋をこんな状況にした、張本人だと思うわ。私たちが部屋に入ったのを察知して、窓から逃げていったみたい」

「そのようね、レオナちゃん」


 ここは、マンションの1階なのである。

 窓を開け、そこから外に出ることは簡単なのだ。このマンションの作りからいって、その『犯人』は、駐車場へと飛び降り、どこかへ消えていったのだろう。


 ――少しして、リビングに戻ってきた二人。

 何事もなく、無事に戻ってきたことにボクはほっと胸を撫で下ろした。


「これはもう……間違いなく事件ね」


 そういったレオナちゃんは、腕を組み、仁王立ちした。

 久しぶりに見るその勇ましい姿に、ボクは、ご主人様を惚れ直した。

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