4 三人の容疑者
「今、病院から連絡があったよ。何とか一命は取りとめたようだ……」
彼女の彼氏であるらしい男性が、携帯電話を耳から離したあと、安堵の溜息を吐いてそう言った。
「よかった」と、大学生の三人が顔を見合わせる。
だがリーバー先輩は、そのいずれの表情にも違和感を感じたらしい。
(見たか、コーハイ。今の三人の表情は、どれも微妙な感じだったぞ)
ボクはよくわからなかったッスーーと返事しようとしていたそのときだ。
病院に運ばれたヒロミさんの彼氏らしき人物の電話が、再び鳴った。
数秒ほど会話した後、メンバーにその報告をする。
「警察からだったよ。現場が重なってて、ここに来るのが少し遅れるそうだ。でも、現場をそのままにして待ってて欲しいって」
「何ですって? この辺りは道も混んでるし、遅くなりそうよね」
「そ、そうですね……でも待つしかありませんよね」
中途半端な雪像を前にして苦笑する三人。
レオナちゃんは彼らの会話が気になるのか、じっと立ったまま耳を澄ましているようだ。そんなレオナちゃんのポケットでぬくぬくしながら、リーバー先輩が人間には聞こえない声で減らず口を叩く。
(まあ、この程度の事件なら、警察がいなくてもオレが片付けてやるけどな)
またいつものが始まったよー―と思いつつ黙っていると、レオナちゃんの目の前で三人が口論を始めたのだった。
「それにしても
三人の中では一番年下らしい女性が、そう言ってもう一人の“滝川”という名の女性にけしかけた。
「な、なに言ってるのよ、
というか――佐藤先輩こそ、最近、裕美と別れるとか別れないとかでもめているって聞いたわよ。噂では新しい彼女が出来たとか……。全く、どうしようもない男よね。別れといて正解だったわ」
「な……なに言ってんだよ、“滝川さん”。今、ここでそんなこと言う必要ないだろ? 確かに最近はあまり裕美ちゃんとは上手くいってないけど――って、変なこと言わせるなよ……。兎に角、だ。俺は何もやっちゃいない、本当だ!
……それより、美鈴ちゃん。何か最近、お金の貸し借りの件で、裕美ちゃんと
「いや、それはでも――。裕美さんにお金を貸してて、期限過ぎても返してもらってないというのは本当ですけど、そんなことくらいで彼女に手を出すなんてこと、あり得ないですよ。今日の事とは、全然関係ありませんっ!」
事件なのか事故なのかはっきりはしていないが、まるで責任の
どうしてこんなギスギスした関係の中、一緒に雪像づくりをしようということになったのか……ぬいぐるみのボクから見れば甚だ疑問だ。人間とは、案外、難しいイキモノなのかもしれない。
増々彼らの話は、ヒートアップ。
「ふーん……。ということは、皆さんの意見からすると、これは彼女がたまたま足を滑らせて転んだという事故である可能性が高いわけですね」
彼らのやりとりをじっと聴いていたレオナちゃんだったが、ついに黙っていられなくなったのだろう。彼らの話に割り込んだ。
一瞬、会話の止んだ彼ら。
そんな彼らを代表し、佐藤と呼ばれた男性がレオナちゃんに質問した。
「そういえばキミ、さっきからここに居るけど……。一体、誰?」
「まあまあ、私はただの通りすがりの美形女子高生といったところですよ、ほっほっほ――。いや、そんなことより、あなたがたのお名前やヒロミさんとのご関係などについて、是非、私にご説明願います。何か力になれるかもしれませんから」
レオナちゃんが、誠に堂々とした態度できっぱりと言った。
さすがは、ボクらの御主人さまだ。
「は? えっ? あ、ああ……キミが力に?」
レオナちゃんの圧倒的迫力に負けたのか、彼らは通りすがりの“美形”女子高生に、ぼそぼそと語り出した。
ボクの印象を混ぜながら、彼等の説明を要約する。
まずはメンバーで唯一の男性、
次いで二人目。二人いる女子のうち、年上のほうの彼女の名は
最後の三人目は、同じS大学の一年生で、名を
訊けば、彼らはS大学硬式テニス部有志四人の集まりとのことだった。
全員、名前に『美』の文字が付くことが、彼らを結び付けた最初の切欠らしい。色々あったがこれからも仲良くやっていこうということで、市民雪像づくりに参加したとのことだった。
因みに昨日は四人で夕方まで雪像づくりの作業をし、その後に最寄りの地下鉄駅でそれぞれ別々に帰宅したという。
(先輩、これって事故なんスかね? ボクは事件だと思うッス)
(当たり前だ、コーハイ! 昨日の暗号の件もあるんだぞ、これは事故ではない。恐らくはこの三人の中の誰かが、裕美さんを雪に埋めたんだ……)
(そ、そうなんスね)
(だがコーハイ、大切なところはそこではない。オレはさっきから、彼等が作っている雪像の左側が階段状になっていること――そして、その段差がけっこうまちまちだということが気になって仕方がないんだ)
(……段差?)
先輩の言うとおり、大学生たちの作りかけの雪像には作業足場としての階段状の部分があって、その中ほどの部分に少し段差が大きいものがあるのだ。日が当たったせいなのか、作業で頻繁に人間が通ったせいなのかわからないが、そこの部分の雪が若干溶けているようにも見える。その階段とレオナちゃんたち美術部が製作中の雪像の間に、問題裕美さんが埋まっていた雪の小山があった。
暫く黙って考え込んでいたレオナちゃんだったが、不意に両足を肩幅に広げると、左手を腰に当てつつ右手人差指を大学生へとビシッと向けた。
「でもね……これは事件なのよ。だって、そうでしょう? 仮に彼女が足を滑らせて倒れたのだとしても、その上に雪を被せた人が必ずいたはずだもの……。さっき、気象庁のアメダスで調べたけど――昨日の夜から今朝にかけてこの地域に降雪は無かったわ。だから倒れた彼女の上に自然と雪が積もることはないの。だから絶対、これは事件なのよ!」
言われてみれば、その通りだった。
隣のポケットの中で、「そのとおりだ、レオナちゃん」と人知れず頷いたリーバー先輩の様子がちらりと見えた。
そう――これで今回の件が事件だと確定したのだ。
レオナちゃんの推理を訊いた大学生たちはその目を大きく見開き、レオナちゃんを一斉に睨んだ。その目には「余計なことを言うな」という意味があるのが、ぬいぐるみのボクにも容易に分かった。
だが、レオナちゃんはひるまない。
「そして……この事件を解くカギが、彼女の倒れていたあたりにあるはずよ」
ボクと先輩の二体のぬいぐるみを上着の左右ポケットに突っ込んだまま、雪道をサクサクと音を立てながら歩き出したレオナちゃん。
先輩が気になると言っていた雪像左側にある階段状の部分にまでやって来ると、その足を止めた。そして、プロ野球の監督のように腕を組むと、裕美さんが埋まっていた雪山と作りかけの雪像の間にどっしり構えるようにして立ったのである。
「ううー」
あちこち見回しながら、低いトーンで
どうやらレオナちゃんの捜査は、いきなり行き詰ったようなのだ。
当然、我らがぬいぐるみ犬探偵も、レオナちゃんに加勢すべく辺りを観察しようとする。だが、綿も凍らせるほどの寒さと捜査に貢献したい気持ちとの狭間で揺れ動く先輩は、ぬくぬくと暖かいポケットからちらりと鼻先だけ出し、おざなりに外を眺めた。
が、そこはさすがの名探偵のリーバー先輩なのである。
(ん? コーハイ、あそこを見てみろ。あの段差の大きい部分に、妙な白い粒がいくつかあるな――。なるほど、そうかわかったぞ!)
早速閃いたらしい先輩が、興奮気味に気持ちをボクに伝えてきた。
人間には気付かれることのないよう、体を震わせないようにするのが大変そうである。
(な、何スか? ボクには全然わからないッス)
(なんだ、鈍いヤツだな。しかしながら、この推理をどうやったらレオナちゃんの伝えることができるだろう……。あ、そうだ!)
ボクは嫌な予感がした。そう、身震いするほどの。
だが当然、その身震いを人間に知られてはいけないのだ。体が震えないように必死に体中の綿という綿に力を込めていると、見事予感は的中――リーバー先輩が、ボクに奇妙な提案というよりは酷い“命令”を下したのだった。
(おい、コーハイ。お前、その段差のところにポロリと落ちろ)
(は? 落ちる? あそこに? ……なんか濡れてて薄汚れてるし、絶対に嫌ッスぅ)
(いいから、早くしろッ!)
(そ、そんなあ……)
なおも続く先輩の強弁に、仕方なく行動に移したボク。
人間には判らないように反動をつけてから、地上の雪山に向かって「えいっ」と飛び降りた。
(ひゃっ、冷たい! しかも、なんかこの場所、しょっぱいッス!)
レオナちゃんの上着ポケットから離れたボクの体は宙を舞い、階段状になった雪の塊の上にぽとりと落ちた。
雪のキンとした冷たさと、口に付いた雪の塩っ辛さがボクを襲う。
(えっ、この塩辛さって――)
それから数秒後のことだった。
やっとそんな状態になったボクのことに、事件の捜査で夢中だったレオナちゃんが気付いてくれたのだ。
「ああ、コーハイ君……。落としちゃったね、ゴメン。今すぐ拾ってあげますから!」
そう言って、レオナちゃんがボクを持ち上げた瞬間だった。
レオナちゃんのつやつやした眉間に、ものすごく深い、縦の
じっとりと湿ったボクの体を愛らしい二つの瞳で観察していたレオナちゃんが、不意に指でボクの体をなぞり、その指をぺろりと舐めた。それから、ボクの後ろ足に付着していたらしい白い粒みたいなもの指に摘まみあげて、それをしげしげと眺めだした。
「コーハイ君の体、しょっぱいわね。もしかしてこれ、塩水なんじゃないの? なんでこんなところに塩水があるのかしら……? それに現場に落ちていたこの柔らかい白い粒も、気になるところよね」
ぽつり、そう呟いたレオナちゃん。
心配になったボクだったが、数秒後の後にその表情がパッと明るくなったのを見て、 ボクも一安心といったところだった。
「あ、そうかわかったわ。犯人の犯行の手口が! あとは誰が犯人なのかという問題が残るけど……」
現場から目を離したレオナちゃんは、今度は三人の大学生の全身を、それこそ上から下まで探るように眺めだした。
佐藤美佐男さんの靴には、地面までスコップで掘ってしまったのか、茶色い土が付いていた。三田美鈴さんの防寒スーツの裾には、どこで植物に触れたのかは不明だが、擦れたような緑色の汚れがあった。滝川絵美さんの服装にはこれといって汚れは無かったが、身に着けていた防寒服の上着の袖に、作業時に付いたらしい白い雪が残ったままだった。
「なるほどね。これですべてがわかったわ」
ゆっくりと大きな溜息をひとつ吐いた、レオナちゃん。
その両眼が、冬の西日を浴びてきらりと光った。
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