5 いつまでもとけない雪

「な、何よ、この娘……。今、『すべてわかった』とかなんとか言わなかった?」


 まるでお化けでも見るかのような目で、三田さんがレオナちゃんを見た。

 ほかの二人も、驚いて目をぱちくりとさせている。


「ええ、言いましたよ、ワタシ。……だって、犯人とその手口がわかっちゃったんですもの!」


 その口調には、自信さえ伺えた。

 自分の推理を頭の中で確かめたのか、一度ゆっくりと頷いた後、レオナちゃんはこう言い放った。


「犯人はあなたね……裕美さんの同級生である、滝川絵美さん!」


 その声は周りの雪像に反響し、雪まつり会場いっぱいに轟いた。

 リーバー先輩が、人間には判らない程度に小さく頷いてレオナちゃんの推理に同意する。いつもながら、レオナちゃんの推理はリーバー先輩のそれとぴたり合っていて、すごく不思議な気持ちになる。

 ボクが体を張って先輩のそれを伝えているとはいえ、もしかしてこの一匹と一人、ボクの分からない精神世界で繋がってるのかも……。


「な、何を言うのよ、アンタ! 私が彼女を殺める必然性がないわ。それに、アンタがなんて言おうとこれは事故なのよ……。ねぇ、そうよね。佐藤さん、美鈴ちゃん!」


 その切れ長の目を更に吊り上げて、絵美さんがレオナちゃんを見据えた。まるで掛かって来いとでも言いたげに両手を拡げ、身構えている。

 しかし、レオナちゃんは動じない。

 怯えた目で絵美さんを凝視する美佐男さんと美鈴さんの横で、レオナちゃんは堂々とした態度のまま、落ち着いた表情を見せた。


「いいえ、絵美さん。さっきも言ったけど、これは絶対に事件なの。降ってもいない雪が裕美さんの上に勝手に積もる訳などないのだから……。裕美さんが倒れた衝撃で近くにあった雪山などが崩れたりした可能性はあるけど、ここまできれいに人を隠すのはとっても無理――」

「ふん、それは警察が調べることだわ。アンタみたいな小娘に一体何が分かるっていうのよ……。まあ、いいわ。仮にアンタが言っていることが正しいとして、私が犯人だっていう証拠はあるの?」


 彼女に反論する前に、レオナちゃんはボクを元のポケットに優しく戻してくれた。

 温かいポケットに戻れて嬉しいけど、何だか体がべちょべちょで気持ち悪い。


「いつまでもとけない雪。それが証拠よ」

「とけない雪……ですって?」


 あくまでも突っぱねる絵美さんの服装の袖の部分を、レオナちゃんが指差した。

 そこには防寒用に袖を絞るためのマジックテープがあって、白い粒のようなものがいくつか、その繊維に絡むようにしてくっついている。


「あっ……これは!」


 はっとした絵美さんの顔から、みるみると血の毛が引いていった。

 冬の北国を照らす月のように蒼ざめたその表情は冷たく、そして固い。


「そう、それは……とけない雪、『発泡スチロール』の粒なの。それが、あなたの服の袖についていることが、あなたが犯人である証拠なのよ」


 レオナちゃんが、一歩だけ絵美さんに向かって進んだ。


「ワタシの記憶では、さっきあなたかがたは雪を塊から削る作業をしてた。だから、裕美さんの携帯を鳴らした時点では、皆さんの服装には雪があちこちに付着してたわね……。そのときはその白い粒は雪に紛れて全然目立たなかったわ。だけど、あれから時間が経過して、改めて皆さんの服装を眺めると――」


 レオナちゃんが、三人の姿を順番に見遣った。


「ほら……絵美さんの上着の袖以外は、白い物体というか雪はとけてなくなったか若しくは昇華しょうかして、なくなっているじゃない。つまりは、発泡スチロールの粒がが服に付着していたのは、絵美さんだけってことなのよ」


 レオナちゃんは、増々固まったように動かなくなった絵美さんの、袖についた白い粒――発泡スチロールの砕かれた破片――を右手の指で摘まんで、皆に見せた。

 と、ここで佐藤さんが小首を傾げながら言う。


「でも、それが袖に付いているのが犯人の証拠になるってのがよく解らないな」

「それは……裕美さんをどうやって転倒させたかっていうトリックに関係するので、後ほど説明することいなるわ」

「あ、そう」


 すぐにでもそれを聴きたいのに、と佐藤さんは口を尖らせた。

 と、レオナちゃんの言っている意味を一人だけ理解しているらしい絵美さんが、反論する。


「でも、作業中にたまたま雪の中に紛れていたスチロールの粒が、たまたま腕にくっついた、ってことも考えられるじゃないの!」

「確かにそのとおりね……。でも、その粒が落ちていた位置と雪像づくりの作業内容を考えると、ズボンの裾にくっつくならまだしも、腕の部分――袖につくのは、なかなか起こりにくいと思うわ――。“手を使ってスチロールの塊を砕いた”ってことをしない限りはね」

「くっ」


 絵美お姉さんの、綺麗な顔がぐにゃりと歪んだ。


(ふんふん、なるほど。ってことは、犯人は白い発砲スチロールを使って犯行を行った後、それを使ったことを隠すために手で砕いて雪に紛れさせたってことなんスね? 確かにスチロールと雪では見分けがつかないや……レオナちゃん、やるなぁ)


 そんなことを考えていた、矢先。

 ボクは自分の体に、今まで経験したことの無い妙な感覚を覚えたのだった。

 じっとしていると、体がなんだか痒いのだ。

 良く見ると、モコモコな黒と茶のフェルト生地の先っちょに、塩の結晶らしき透明な物体がふつふつと浮き上がっているではないか!


(せ、先輩! 体から塩が吹き出て来たッス……やばいッス!)

(うるさいぞ、コーハイ。今、レオナちゃんの推理が佳境に入っているところだ。少し静かにしていろ)

(す、すえんぱいぃ……先輩のせいでこうなったんスけど……)


 ボクがそんな状態になっていることなど露も知らない、レオナちゃん。

 涙がちょちょぎれそうになったボクをポケットに入れたまま、推理ショーを続ける。


一昨日おとといの夕方だったけど、実はワタシ、裕美さんが差出人と思われる“暗号文の書かれた手紙”をこの辺りで見つけたのよ。固い厚紙で、わざと半分だけ小山の雪に埋めるような形で落ちていたというか、置かれていたわ。多分、雪に負けてふにゃふやにならないように、丈夫なものにしたんじゃないのかしらね。でもそのときはいたずらか何かだと思ったので、それをどこかに失くしてしまってですね……。ゴメンなさい」


 それは昨日、ロボット掃除機に吸われるのをボクたちは見ましたと言いたかったが、当然ながら、ボクらぬいぐるみからは何も証言できない。


「でも、それを拾ったのがワタシだったのは幸運だったわね。だって、暗号はとっくに解読済みだもの。実物が手元にないから詳しい内容は言えないけど……文字の羅列と棒人間の動きからわかる、裕美さんからの『助けて 殺される』というメッセージだったわ」

「“助けて、殺される”だって!? それは穏やかじゃないな」


 裕美さんの彼氏の言葉に、レオナちゃんが頷く。


「ええ、そうなのよ。そういうことがあったから、今日皆さんが裕美さんの名前を連呼しているのを聴いて暗号の事を思い出したワタシは、どうしても気になってこちらにやって来ちゃったってわけ」

「でも、手紙が置いてあったのは一昨日なんだろう? なんでまた、今日になって――」

「恐らくは前々から身に危険を感じていたのよ。それで、この雪像づくりの期間中に何らかのことが起こってもおかしくはないと思ったから、何かが起こってもそれが事故ではないということを周りに知らせたくて、暗号を置いておいたのだと思うわ」

「知らなかった……そんなことが起きていたなんて……」


 愕然とした目付きで美鈴さんがじっと絵美さんを見た。

 しかし、その視線は絵美さんの固まった表情を崩すことはできなかった。絵美さんは、裕美さんが掘り出された雪山のあった場所――その一点をただ見つめ続けている。


「それが、何かのきっかけで裕美さんは犯人と二人で会うことになったのよ。会ったのは、そうね……昨日は夕方まで作業して駅で別れたというし、命を取り留めることができたことを考えればきっと、まだ薄暗い、今日の早朝だったと思うわ。そのとき、事件は起きたのよ」


 ようやく、レオナちゃんが事件の真相――絵美さんが使ったトリックについて話しをする時が来たようだ。


「犯人である絵美さんは、予め、そこの階段状になっている部分の段差の大きいところに塩を撒いて滑り易くなるようにしておいてから、その上に市場とかで使われる箱状の発泡スチロールを置いたのね。つまりは、発泡スチロールの箱を階段の一段のように見せかけたのよ。……えっと、一応説明しておくと、塩、つまり“塩化ナトリウム”は雪に混ざることにより、水の結晶体である雪の凝固点ぎょうこてんを下げて雪を溶かすという融雪剤ゆうせつざいになるの。

 次に、さっき裕美さんが倒れていた部分の雪には水をまいておき、倒れたときに強く頭を打つように、ガチガチに固く凍らせておいたってところだと思うわ」


 ここまで説明を神妙に聞いていた佐藤さんの表情が、急にぱっと明るくなる。


「あ、そうか! どういう風に誘導したのかは判らないけど、裕美ちゃんを発砲スチロールでできた軽くて不安定な階段に上らせ、滑って後ろ向きに倒れさせるように仕向けたんだね。そして、倒れる先が固い氷の床になるようにし、そのまま後頭部をきつく打つように仕組んだ……。なるほど、よく考えたな。でも、随分とまどろっこしい手を使うもんだと思うよ。俺なら、いきなり後頭部を殴って気絶させ、雪を上から被せちゃうけどな」


 自分が付き合っている女性の悲劇を明るく語る男に、女性たちの鋭い視線が突き刺さる。

 それを察知したレオナちゃんは、彼に向かって悲し気な表情で相槌を打った。


「まあ……真相は大体、佐藤さんが言ったとおりだと思うわ。でも、そんなまどろっこしい手を使ったのはきっと、あくまでも事故に見せかけたかったからだと思う。そうしておけば、もしも失敗して裕美さんが意識を取り戻したとしても、「自分が勝手に階段状の足場で滑って転んだ」と証言をしてくれる可能性はあるし……。

 そして、上手いこと転んでくれた裕美さんを雪で覆い隠した犯人は、証拠隠滅のためにスチロールの箱を手で粉々に砕き、周りの雪に紛れ込ませたのよ。まあ確かに細かくしてしまえば、ぱっと見、雪と見分けはつかないからね……。そうでしょ、絵美さん?」

「ふん……。どうかしらね」

「でもね、そこで絵美さんはヘマをしたの。そう、さっき見てもらったとおり、自分の上着の袖にあるマジックテープにスチロールの粒がついてしまったことに気付かなかったことよ」

「くっ……」


 またもや低い声で呻いた絵美さんは、苦虫を噛み潰したような顔とギラギラとした目でレオナちゃんを睨みつけた。


「このトリックの最後の仕上げは、裕美さんの体の上に雪が載ることだったと思う。気を失った彼女の上に雪が積もっていればしばらく誰も気づかないだろうし、ある程度時間が経って彼女が現れないことに業を煮やした仲間が彼女の携帯を鳴らした頃には、このマイナス温度の寒さの中、間近の雪山で埋もれた彼女の命が失われているという可能性は高い――。

 そういう可能性に賭けた犯人だったけど、色々と誤算はあったようね。

 ちょっと雪をふんわりと優しく乗せ過ぎたんじゃないの? 彼女にとって雪山はかまくらのように彼女を守る存在になったのかもしれないわね。あ、もしかして絵美さん、裕美さんが倒れた拍子に近くの雪像から雪が落ちてくるとでも思ったの? でも、それは甘かったわね。それであなたは、仕方なく自分で彼女に雪を被せたってところかしら」


 そのとき、急に下級生の美鈴さんが泣きだし、その感情を爆発させた。


「ひ、ひどい! いくら佐藤先輩を自分から奪ったからといって、裕美さんにそこまでするなんて!」


 絵美さんはちっと舌打ちすると、両手で顔を覆いながら泣く美鈴さんを、まるで夏のキッチンで飛び交う小蝿を見るような目で、睨みつけた。

 それを見たレオナちゃんが、小さな溜息を洩らした後、おもむろに口を開いた。


「でもね、絵美さん。裕美さんは命が助かったの。どこまで彼女が事態を理解しているかはわからないけど、あんな暗号文が置かれていたことを考えれば、誰が犯人なのか、彼女の証言でいずれわかることになると思うわ」


 それを聞いた絵美さんの頬が、急に現実を取り戻したかのように血の通った赤色を取り戻した。


「……そうね。確かに、そう。あなたの言うとおりだわ。

 ……あの娘、こんな私の言うことを信じるなんて、本当にバカなのよ。偽りの階段を跨いで雪像に登った私が、『あなたもここに登ってきたら? 雪の上で思い切り暴れて決着をつけましょうよ』と子どもみたいなこと言ったら、ひょこひょこと登ってきたわ。まんまと騙されたあの娘は、ハリボテのスチロール階段に足を掛けた。そして、私の思惑通り雪に見立てたスチロール箱は安定を失い、ずるりと滑って後ろ向きに倒れ落ちていったのよ」


 それは絵美さんの自白といってよかった。

 しかし、レオナちゃんはその内容に納得がいかなかったのか、大きく首を振った。


「違うわ、絵美さん。裕美さんが既にあなたの仕掛けたトリックに気が付いていた可能性は高いと思う。早朝にあなたからの呼び出しがあれば絶対警戒してると思うし、そういう思いでここに来ていれば、早朝の暗がりとはいえ、雪と発泡スチロールの塊を見分けることはできていたと思うの」

「そんな、バカな……じゃあ、あの娘はそれに気付いていて、この階段を?」

「うーん……。きっとそのときのあなたの出していたオーラというか、雰囲気に負けたのかもしれないわね。それで、気付かない振りをして登った……」


 絵美さんが急に声をあげて泣き出した。

 彼女を慰めようとその肩を抱こうとした佐藤さんの手を、ばしりと勢いよく絵美さんが払いのける。


「ちょっと、気安く触らないでよ! 元をたどれば、みんなアンタが軽い男だからでしょうが!」


 ぐうの音も出ない佐藤さん。

 こんどは美鈴さんが絵美さんへと駆け寄り、震える絵美さんの肩をそっと抱き寄せた。


「佐藤さんのことは……まあ、置いときますか。とにかくこれで事件は解決よね。あとは、皆さんでの話し合いにお任せします。なにせ私は、ただのしがない美形女子高生、美術部員として雪像づくりが残ってるもので――それじゃ!」


 レオナちゃんは「カナちゃーん、今行くぅ!」と声を張りあげたかと思うと、大学生たちには結局名も名乗らずに、隣の美術部の雪像づくりの現場に戻っていった。

 ボクの隣のポケットで誇らしげに笑うなリーバー先輩の姿見えた。

 だが、まだ問題は一つ残っている。

 それは、増々痒くなったボクの体のことだ。でも柱とかに体を擦るとかできないし、とにかくレオナちゃんが家に帰るまでは我慢しなくちゃならないな――。


 その後、すぐだった。

 ようやく警察官数人が現場に到着したのだ。

 レオナちゃんがスコップを武器に雪と格闘しているその横で、警察官が大学生たちに事情聴取。警察官たちは、その他の大学生二人を残し、絵美さんを連行して行ったのである。

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