2. ALICE'S WONDERLAND(7)


 ダイニングテーブルに向かい合って座った。アリスさんは私が淹れたお茶をちまちまとすすり、居心地悪そうに視線を落としている。

 蛍光灯の白い光の下で見るアリスさんの肌は、思っていた以上に白かった。透けるような白さ、というか青白いという表現の方がしっくりくる。不規則な生活のせいか、目の下には濃いくまが浮かんでいる。


「……落ち着きました?」


 そっと訊くとアリスさんは小さく頷き、もぞもぞと居すまいを正した。


「さっきは、うちのママが、ごめん」

「なんというかその……強烈なお母さんですね!」

「うちのママ、過保護なの。あたしの面倒見るのが趣味っていうか……」


 諦め顔でため息交じりにそう言って、アリスさんは自嘲気味に笑んだ。


「まぁ、あたしのせいなんだけど」


 それから、アリスさんはポツポツと自分のことを話してくれた。

 高校生の頃に急に学校に馴染めなくなり、引きこもりがちになったこと。

 高校を中退し、過保護な母親の下でますます家から出られなくなったこと。

 父親は逆に自分に無関心で、いないもののように扱われていること。

 趣味で絵を描くぐらいしかできることはなく、色んなことに絶望していたこと。

 そんなとき、帝くんが母親の反対を押し切り家から連れ出してくれたこと。


「このシェアハウス、もともとはあたしと帝のおばあちゃんの家なの。小さい頃、ここでよく帝と遊んでた。あたしが洋服とかドレスの絵を描いて、帝がそれをあたしの人形に合うように縫ってくれて……」


 そういえば、ミキさんから以前、帝くんが子どもの頃から遊び半分で服を作っていた、という話を聞いた。

 なんであのキャラで女性向けのアパレルブランドを作ろうと思ったのかずっと疑問だったけど、幼い頃からお裁縫が好きだったというのなら納得できなくもない。それが《エブラン》の原点なのか。

 どうして幼い帝くんがお裁縫好きになったのか、っていうそもそもの疑問は残るけど。


「帝はお父さんが仕事で不在がちで、ほとんどおばあちゃんが育てたようなものでね。おばあちゃんが遺言で帝にここを遺してくれたの。それで帝に、ここを拠点にブランドを立ち上げるから、デザイナーやれって言われた。デザイン料は払うし、そのお金でここに住めばいいって」

「そうなんですか……」


 アリスさんが話してくれた思いがけない過去話を噛みしめつつ、あることに気がついた。


「『あたしと帝のおばあちゃん』?」


 目をぱちくりとさせると、アリスさんは「そうだ」と顔を上げた。


「あんた、何か勘違いしてるみたいだけど。帝、あたしの彼氏とかじゃないからね。従弟だから」

「従弟?」

「どう考えても、あんなのと付き合うとか無理」


 従姉にまで「あんなの」扱いされる帝くんはさすがだ。あんなコスパキングと付き合える女性などやはりいなかった、という事実を確認できたからか、安堵にも似た感情が胸に広がる。


「あと、ずっと気になってたんだけど。あんた、あたしのこといくつだと思ってんの?」


 高校生、と言いかけて、「大学生くらい?」と答えておいた。


「二十五だから」

「うぇっ!?」


 まさかの私より一つ年上。またしても自分の観察力のなさが露呈した。


「あんた、今いくつなの?」

「二十四です」

「じゃ、あたしの方が年上だね。きちんと敬え」


 こういうことを言う辺りは、帝くんと同じ血が流れているのを感じる。

 色々と話したおかげか、アリスさんは青白いながらもすっきりした顔になっていた。


「お母さん、もう一年以上経つのに、あたしが家を出たこと、いまだに納得してないんだよね。だから、ああやって定期的に連れ戻しに来るの。次に来たときは玄関開けないで」

「話し合って解決したりは……?」

「できるように見える?」

「ですね」


 私はあの母親の勢いにそれなりの衝撃を受けていたが、アリスさんは慣れたものというか、諦め切っている様子だ。家族のことに口は出せないけど、いつか丸く収まればいいなと思う。

 アリスさんのお母さんが言っていたことがふと蘇り、私は言い添えておく。


「あの……さっき言ったこと、嘘じゃないですからね。アリスさんは、私にはできない色んなことができるって思ってます」


 たくさんの洋服や絵を通してではあるけど、それなりにアリスさんのことを知ってきたつもりなのだ。あの場しのぎの言葉だとは思われたくない。

 アリスさんはきょとんとした顔になったのち、照れたように唇を噛んでから「大したことじゃない」と小さく応える。


「あたしができるのなんて、絵を描いて、服のデザインするくらいだし……」

「でもそれ、私にはできないことですよ。私、アリスさんの服を着て、違う自分になれそうって思えたっていうか……すごく勇気もらったんですよ。一歩前に踏み出せたっていうか。そういう人を変える力みたいの、アリスさんのデザインにはあると思います!」


 反応に困った様子のアリスさんを正面から見つめ、私は勢いよく頭を下げた。

 頼むなら今しかない。


「なので、お願いがあるんです! 即売会に、顔を出してもらえませんか?」


 たちまちアリスさんの顔が渋いものに変わってく。


「顔を出すって……会場に行けってこと?」

「そうです! あ、でも会場っていっても、ひつじ荘のすぐ近くのカフェですし!」


 アリスさんは下唇を噛んで視線を落とすと、ポツリと応えた。


「あたし……わかんなくて」

「即売会のことですか?」

「即売会もだけど。帝が、やりたいこと」


 アリスさんは目を伏せ、小さな声で続けた。


「帝には、感謝はしてる。何もできなかったあたしに、デザインって仕事をくれて、デザイン料まで払ってくれる。あたしはそれで十分だし、ここにいられれば満足なのに……即売会とかそういうの、意味わかんない」

「それは、ブランドを大きくするためなんじゃないですか?」


 アリスさんは即座に答える。


「あたしは、そんなの望んでない」

「でも、成長しない事業は、そのうち縮小していつか消えますよ」


 消える、という単語が過剰に効果的だったのか、アリスさんは急に怯えたような表情になってしまった。


「そういうものなの……?」

「そういうものです。――帝くんなりに、色んなものを守るのに必死なんじゃないですかね。そのためにも、ブランドを大きくすることが必要だと思ってるのかなと」


 それに、ケチで横暴なコスパキングながらも、ブランドに対する熱意や思い入れだけは認めざるを得ない。

 商品発送時に添えるカード。

 誰より熱心に働く姿。

 私がブランドの服を着たときに見せた予想外の笑顔。

 それに……。


「就活もしてないみたいだし」

「え、帝、就活してないの?」


 私が首肯すると、アリスさんはポカンとしてから頭を抱えてしまう。


「あたしと違って頭いいのに……なんでそういうとこだけバカなの? こんな、服作りでやってけるもんなの?」

「正直、私もそういうの疎いんでよくわからないんですけど。少なくとも、帝くんは大真面目だと思いますよ。この間、『ビッグになる』とか言ってました」

「ビッグになるって何?」

「さぁ……」


 アリスさんは、あー、うー、と呻き、最後は「あのバカ」と吐き捨てて顔を上げた。


「即売会……あたしなんかが行ったところで、帝の手伝いになるの?」

「もちろん!」


 私は立ち上がり、ダイニングテーブル越しにアリスさんの手を取る。


「少なくとも、帝くんはアリスさんに顔を出してほしいって言ってるんです。来てくれるなら、それだけでまずは十分ですよ!」


 私ががっちりと握った手を見て、アリスさんは顔を赤くする。そして、「あたしなんて、なんにもできないんだからね」と念を押した。



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『訳ありブランドで働いています。 ~王様が仕立てる特別な一着~』

大好評発売中&発売記念で毎日連載中!

次回更新は、2019年10月29日(火)予定!


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