3.紅茶のブルゴーニュ酒〈祁門紅茶〉⑦

 そして原井さんが店を出ていくなり、秀二さんは接客用の笑みを引っ込めた。


「鳥頭もここまでくるとあっぱれですね。それとも二日酔いのせいですか?」


 こうなるのはわかっていたけど。


「別に、言われたことを忘れてたわけじゃないですよ」

「じゃあ、なんであんなことを訊くんです?」

「だって、話してる原井さん、嬉しそうだったじゃないですか」


 一人でここまで来たけど、本当は誰かと思い出を共有したいのかもしれない。話すことで、言葉にすることで気持ちが軽くなることだってある。


「だからってなんでも無遠慮に──」


 入口のベルが鳴って説教は中断された。「こんにちはー」と美沙さんが店の入口から顔を出す。


「いらっしゃいませ」


 さっきまでの険悪な空気を霧散させるように、私は笑顔で迎えた。


「ニルギリティーとシフォンケーキをセットでお願い。あ、あと佐山さん、帰りに茶葉を一パックもらえる? この間買ったダージリン、お客さんにすごく評判よかったの」

「わかりました」


 秀二さんもたちまち接客モードに切り替えて爽やかな笑みでそれに応じる。美沙さんのおかげで説教はすぐには再開されなそうだ。


 ほかにお客さんもいないので、紅茶とシフォンケーキを出し終えてから私は美沙さんの話し相手になった。美沙さんがご近所のことや旦那さんのことを取りとめもなく話すのを聞いてから、思い切って訊いてみる。


「この辺りに、数年前に廃業したペンションってありますか?」


 背中に秀二さんの視線を感じたけど無視した。

 首をかしげた美沙さんに、実は、と簡単に事情を説明する。


「亡くなった恋人の生まれ故郷を見に館山に来たって方がいるんですけど、その恋人のご両親がこの辺りでペンションを営んでいたそうなんですよ。でもご両親は亡くなってて、もうそのペンションも数年前に廃業してしまったって」

「そうなの」


 美沙さんはシフォンケーキをひと切れ口に入れてから考え込む。


「じゃあ……あながわさんのところかな。三年前だったかしら、ご夫婦でペンションを営んでたんだけど、二人ともご病気で相次いで亡くなっちゃって。お世話になってたから私も当時はショックで」

「そのご夫婦にお子さん、いらっしゃったんですか?」

「お一人だけね。小さい頃のことは私も覚えてるけど、進学して東京に出てから帰ってこなくなっちゃって。親戚でも連絡がつかなくて、葬儀にも顔を出さなかったんじゃないかな。私たちも少し遺品の整理を手伝ったんだけど、ご夫婦揃って読書家だったから、大量の本を古書店に引き取ってもらったり……」

「そのお子さんの写真とか思い出の品とか、残ってたりしませんか?」

「うちにはないなぁ。……でも、そっかぁ。エイスケくん、亡くなっちゃったのか。まだ若かったのに……」

「エイスケくん?」

「穴川さんのところの息子さんの名前だけど」


 きょとんとしてしまった。


「ご夫婦のお子さん、男性の方なんですか?」

「そうだけど」

 思わず秀二さんの方を見た。その目が言わんとしていることを悟り、それ以上は訊かずにおいた。




 美沙さんが帰っていってから、やりようのない疑問を秀二さんにぶつけた。


「どういうことなんでしょう……」


 美沙さんはこの辺りで、この数年内に廃業したペンションはほかにないと教えてくれた。でも、穴川夫妻の唯一のお子さんは男性だという。

 原井さんの言う「相方」さんは、仲のいい友人のことだったのだろうか。でも、原井さんの口調はそんな雰囲気じゃなかったし……。


「どういうことでもいいでしょう」


 いらちを隠さない口調でピシャリと言われた。


「興味本位で首を突っ込みすぎです。何度言えばわかるんですか?」

「きょ、興味本位なんかじゃないです! 私は何かできればって──」

「原井さんがあなたに何かしてほしいと頼みましたか?」


 頼まれてない。頼まれてないけど。


「原井さん、滞在期限を決めてないって言ってました。すっきりしない何かがあるんですよ」

「だとしても、他人のあなたが首を突っ込むことじゃないと言ってるんです」


 他人という言葉が引っかかって、考えるよりも先に言葉が飛び出てく。


「そんなこと言うなら、他人の秀二さんが私のやることに口出す理由もないじゃないですか!」


 あっと思ったときには空気が凍りついていた。

 心臓が痛いほどに拍動する。

 そして、頭痛と吐き気をぶり返しそうなくらいはり詰めた間のあと。


「──そうですね」


 自分が言いだしたはずのことなのに、肯定されてショックを受けた。

 ……やっぱり私は秀二さんにとって他人でしかない。

 秀二さんは淡々と言葉を続ける。


「では、この店のオーナーとして従業員のあなたに言います。客の事情に無遠慮に踏み込むようなはやめてください」

「そ、そんな言い方──」


 バイブレーションの音が聞こえ、私は言葉を切った。パンツのポケットに入れていたスマホが振動している。


「出たらどうです? 電話じゃないんですか?」

「でも今は話を──」

「話はもう終わりました」


 秀二さんはこちらに背を向け、私を視界からシャットアウトした。

 ポケットから取り出したスマホのディスプレイに表示されているのは数少ない友人・葵の名前で、私はスマホを手に店の外に出た。


【次回更新は、2019年9月13日(金)予定!】

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