3.紅茶のブルゴーニュ酒〈祁門紅茶〉⑥


 頭痛薬の力も借りて回復し、どうにか時間までに開店準備を終えた。立て看板を外に出し、店に戻ると秀二さんに皮肉交じりに気遣われる。


「どうせ内職できるくらいには暇でしょうし、しばらく奥で休んでいてください」

「いえ、もう大丈夫です! ばっちり働きますので!」

「そのヒドい顔で接客されても迷惑です」


 そしてとうとうフロアに出てくるなと言われてしまい、渋々店の奥に引っ込んだ。

 そんなにヒドい顔だろうかと、洗面所で鏡の前に立ってたちまちヘコむ。

 くまが濃くて顔色が悪いうえ、目蓋もいまだにぼってりしてる。むくんでいるのかもしれないけど、それにしても目元が腫れすぎているような。

 ……もしかして、泣いた?

 泣き上戸の自覚はなかったのに。

 とはいえ、秀二さんに昨日の醜態を確認するのは怖い。秀二さんも気を遣ってくれているのか、はたまた思い出したくないのか、昨日の詳細はあまり話そうとしないし。

 いい歳して情けない。秀二さんのことを知るどころか、これじゃあ私の面倒レベルが上がっただけだ。

 仕方ないので資材棚の整理をしたりゴミをまとめたりして午前中は過ごし、午後二時前に店の方におそるおそる顔を出す。


「お昼、食べますか? 焼きうどん作ったんですけど……」


 昼時にはお客さんがポツポツと来ていたようだが、今は手隙らしく秀二さんは使ったティーポットなどを乾かしているところだった。

 秀二さんは手を止め、こちらに目を移すとまじまじと私の顔を見た。


「では、お客さんが来ましたら呼んでください」

「あの……私、もう店に出てもいいですか?」


 化粧もし直して、少しは見られる顔にしてきたつもりだ。


「……そうですね。朝よりはマシな顔になったようなので」


 秀二さんと入れ違いで店に出て、エプロンを腰に巻いて背筋を伸ばす。少しでも汚名返上できるように働こう。

 そうして店内の掃除に精を出し、ランチで抜けていた秀二さんが店に戻ってきてすぐのことだった。入口のベルが鳴り、現れたお客さんに私は声を上げる。


「また来てくださったんですね!」


 はにかむような笑みを浮かべ、原井さんが現れた。三日ぶりだ。

 この間と同じカウンター席に座った原井さんにお冷やとおしぼりを出しつつ、私は訊いた。


「色々、見て回れましたか?」


 次の瞬間、秀二さんのじとっとした視線に気づき、深入りするなと言われたことを思い出す。けど、原井さんは気にした様子もなく微笑んだ。


「おかげさまで。紅葉の季節で景色も綺麗ですね」


 原井さんはカメラに手を伸ばし、撮った写真を見せてくれる。

 カメラの液晶モニターには見慣れた景色が切り取られていた。

 この近くの海岸をはじめ、ここから房総フラワーラインをさらに行った先にあるすのさき灯台、すのさき神社、漁港、海に面した別荘やリゾートホテル群。写真をさらに送っていくと、今度は館山駅周辺、館山城のある城山公園……。


「お写真、上手なんですね」

「ちゃんと勉強したわけじゃないんですけど、仕事柄自分でもカメラを使うことがあるんで、まぁ、普通の人よりは慣れてます」

「へぇ、すごい。お仕事、何されてるんですか?」

「ライター仕事をちょっと」


 原井さんはポツポツと仕事のことを話してくれた。

 ウェブ媒体やローカル誌に定期的に記事を書いていること、相方さんはその仕事の関係で知り合ったカメラマンであること。


「カメラマンなんてカッコいいですね」


 原井さんは笑んだ。秀二さんは深入りするなって言ったけど、こうやって原井さんが嬉しそうに話してくれるなら、そんなに悪いことじゃない気がする。


「相方さんのご実家がこの辺りなんですよね? ご両親はどうなさってるんですか?」

「──あやめさん」


 強い口調で秀二さんに止められた。秀二さんはカウンターにティーカップを出しつつ、「すみません」と原井さんに謝る。


「立ち入ったことばかり訊いてしまって」

「いえ、いいんですよ。誰かと話すのはこちらも楽しいですし」


 原井さんは笑みを引っ込め、ティーカップを見つめた。


「ご両親に挨拶できればよかったんですけどね。近くでペンションを営んでいたそうなんですが、数年前に二人とも亡くなって廃業されてしまったそうで。家財道具なども残ってないみたいなんですよ」

「それは……残念ですね」


 言わんこっちゃない、と言いたげな目を秀二さんに向けられた。



【次回更新は、2019年9月11日(水)予定!】

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