4.家族の紅茶〈Christmas Tea〉

4.家族の紅茶〈Christmas Tea〉①


 古民家というのは、夏は暑くて冬は寒い。

 特に冬には隙間風が吹きすさび、夜中に暖房のきいていない廊下を歩こうものなら瞬く間に指先が冷えて身体が縮こまる。

 ここは温暖な気候に恵まれた房総半島の南端ではなかったのか。


「冬の海風がこんなに冷たいなんて思ってませんでした」


 コームを動かしながらそう呟くと、秀二さんは本に目を落としたまま同意する。


「そういうのは、住んでみないとわからないものです」


 水で濡らして慣らした髪を指で挟み、ハサミでカットしていく。新聞紙を広げたダイニングの床に、束になった黒髪がカサリと落ちた。

 十二月になると朝晩はますます冷え込むようになり、昼でも冷たい海風を切って自転車やスクーターを走らせるのはおつくうで自然と腰は重くなる。それは私だけではなかったようで、その日の夕食後、秀二さんに唐突に頼まれた。

 ──髪を切ってもらえませんか?

 アシスタントとして店で働いた期間は一年足らずで、実習や練習以外で人の髪はほとんど切ったことがないしブランクがありすぎる。

 そう断った私に、秀二さんは「少しくらい変になってもかまいません」と譲らず、渋々引き受けた。

 秀二さんの髪はクセがなくてまっすぐだ。扱いやすいようで意外とそうでもない、本人の性格を表しているようにも思える。

 かつての感覚を思い出し、ハサミを動かす速度が徐々に上がってきてホッとした。ブランクがあるから不安なのも噓じゃないけど、こんな風に髪に触れたら平常心を保てるかわからなかったというのも大きい。

 いつものことではあるけど、人の気も知らないで、と思う。

 広げた文庫本に髪が挟まるのが嫌なのか、秀二さんは途中で読書を諦めてページを閉じた。

 メガネがないとクールさが和らぐその目がこちらを見ていてドキリとする。


「美容師の仕事、またやりたいとは思わないんですか?」

「まぁ……」


 最近では、自分が美容室で働いていたことなどすっかり忘れていた。

 あんなに手に職をつけたいと願って資格を取ったはずなのに。

 辞めたきっかけが最悪すぎたせいかもしれないけど、それにしても辞めたところでこんなものかという感覚は自分でもあった。

 私の中にあったモチベーションは、何がなんでもこの仕事をやりたい、という種類のものではなかったのかもしれない。

 答えを濁したまま手を動かす私に、秀二さんは質問を変える。


「年末年始はどこで過ごすつもりですか?」


 今度の質問には手が止まった。


「年末年始?」

「そういう時期は、家族で過ごすために帰省したりなんだりするものでしょう」


 当たり前のことを訊かれているだけなのにひどく動揺している自分に気がつき、静かに深呼吸してからハサミの手を再び動かした。


「そういう秀二さんはどうするんですか?」

「そうですね……」


 結局、秀二さんもその問いには答えず、あとはただただ髪を切る音だけが続く。

 年末年始のことなんて何も考えていなかった。年末だろうが年始だろうが、私の中ではそれらもなんでもない日々のうちの一日でしかない。

 カットし終えた髪を鏡で見ると、秀二さんは満足げに笑んだ。


「ここで済ませられるんだったら、最初からそうしていればよかったです」


 久しぶりだったし変な態度にもならなかったようだしで、ものすごく安堵した。


「じゃあ、次からはお代をいただきましょうか?」

「それでもいいですよ。ルールに追加しますか?」


 髪がすっきりしたおかげか、ご機嫌な口調でそんなことまで言われる。何はともあれ喜んでもらえたならよかった。

 ハサミやコームなどを片づけつつ、「あの」と秀二さんに声をかけた。


「なんです?」


 秀二さんが年末年始もここにいるなら、私もここにいていいですか?

 なんでもない風にさらっとそう訊きたかった、けど。

 絶対に無理だ。


「……やっぱりなんでもないです」


 変に勘ぐられたり重たく思われるようなことは言いたくない。年末年始のことはもう少し考えよう。

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