3.紅茶のブルゴーニュ酒〈祁門紅茶〉⑬


    ◇◆◇


 十一月も下旬、紅葉の見頃も過ぎ、温暖なこの土地でも朝晩に冬の訪れを感じられるようになった頃のこと。

 店を閉めて片づけも終えた午後六時過ぎ、重たい段ボール箱が届いた。


『気持ちばかりですが、お世話になったお礼です。俺たちがよく飲んでいたお気に入りです。よかったらお二人でぜひ!』


 そんな一筆箋と共に原井さんから送られてきたのは、ワインのボトルだ。


「……見なかったことにしましょう」


 開けたばかりの箱の蓋を閉めようとする秀二さんを止める。


「なんでですか! せっかく原井さんがお気に入りを送ってくれたんですよ! 一緒に飲みましょうよ!」

「あんな潰れ方しておいて、まだ凝りてないんですか? 弱いくせに飲みたがらないでください」

「あの日はその……ちょっと調子がよくなかったんです。今日は大丈夫な気がします!」

「……やむを得ませんね」


 晩酌を許されたのかと思いきや、秀二さんは自分の二つ折りの携帯電話を取り出した。


「私は慈悲深いので、この手はできれば使いたくなかったのですが」


 そして、携帯電話に録音してあった音声データを再生する。

 雑音に混じり、女性の嗚咽と泣き声が流れてギョッとした。


「なんですか、これ?」

「黙って聞いててください」


 携帯電話を突き出してくるので、しょうがないので耳を近づけた。


『……わ、私だって……何かしたいのに……すぐバカにしてくるし……心配してるんですっ! なのに……子ども扱いするしぃぃ……』


 ヒックヒック嗚咽を漏らし、ぐずぐず泣きながら管を巻いているのはどう考えても私だ。たちまち頭のてっぺんまで血が上って熱くなる。


「な、なな、なんでこんなもの……っていうか、これなんですか!?」

「酔っ払いの醜態を録音したものです」


 酔い潰れた翌日のことを思い出した。だからあんなに目が腫れてたのか!


「今すぐ消してくださいー!」


 携帯電話に手を伸ばすも、ひょいとかわされてくうを摑む。二つ折りの端末からはまだ私の泣き声が垂れ流されている。


「こんなに愉快な録音、消すなんてもったいないじゃないですか」


 聞こえてくる泣き声が号泣に変わって私は懇願した。


「お願いします、消してください! 恥ずかしすぎて心臓が止まりそうです!」

「これくらいで心臓が止まるようなタマじゃないでしょう。醜態を晒した自分を呪うんですね」

「鬼ー!」


 顔を赤くしてえていたら、パンツのポケットに入れていたスマホが振動した。


「……もしかして、音声データ、私のスマホに送りました?」

「自分の泣き声を聞きたいって言うなら送りますけど」


 秀二さんじゃなかったらしい。スマホを見て、あ、と声を上げる。


「原井さんからメールですよ」


 メールには、ワインを送った旨と、とあるURLが記載されていた。URLをクリックすると飲食店の紹介サイトらしい記事が表示され、ようやく私の醜態の再生を止めてくれた秀二さんにそれを見せる。


『素敵な夫婦が営む隠れ家、海のそばの紅茶専門店』


 最後に店を訪れたあの日、原井さんは店の写真を何枚か撮っていった。

 ──機会があったら、どこかでこのお店のこと、紹介してもいいですか?

 と訊かれ、秀二さんも快諾していたものの。


「これ、いいんですか?」


 記事の最後には、カウンターに立っている秀二さんと私の写真も掲載されていた。

 お二人の写真も、と撮られたもので、後日データを送りますとは言われていたけど。まさかこんな形で送られてくるとは思ってもみなかった。


「いいも何も、今さらしょうがないでしょう。一度ネットに載った情報は二度と消えないと思った方がいいらしいですし」


 パソコンも携帯電話もろくに使えないくせに、秀二さんはそういうことだけは知っている。

 それから、秀二さんはふいに訊いてきた。


「一つ、あなたが知りたがっていることを教えましょうか?」

「音声データ消してくれます?」

「消しません。──言う必要も感じていなかったので言っていませんでしたが、私はこのカフェ以外でも、茶葉の販売業をやっています」

「え?」

「こんな小さな店だけで、アルバイトを雇う余裕なんてあるわけないっていうのは、まぁ正しいです。収入の割合で言えば半々か、今の季節ならそちらの方が多いくらいになりますね。というわけで、そこまで資金繰りには困っていませんし、あなたが泣いて心配する必要もないってことです」

「そ、そんな副業いつやってるんですか?」

「主に夜とオフの日です。まぁ、そちらは別の人間がメインでやっているのを手伝っている形にはなるのですが」


 あまりに唐突な話にポカンとしてから、思わず訊いた。


「私のこと雇うの、経費の無駄じゃありません?」

「無駄にならないように働くって考えにはなりませんか?」

「……そうですね! 家電の修理とか、私にしかできないこともありますし!」


 やれやれとでも言いたげな秀二さんに、だけど私はつけ加える。


「でも、私にできることがあればそのときは言ってください。内職でもなんでも」

 それから、私は秀二さんが閉めた段ボール箱の蓋を再び開けた。

「今日はやっぱり晩酌しましょう!」

「あなたはまた……醜態コレクションが増える結果になるとは思わないんですか?」

「大丈夫です、今日は泣き上戸にならない自信があります! それに、カクテルティーを飲んでみたいです!」

「やっぱりニワトリですね」


 私が差し出したボトルを秀二さんは不承不承受け取った。

 ボトルを手にダイニングに向かう秀二さんを横目に、私は原井さんから送られてきた記事をもう一度見る。

 写真の中の秀二さんはあいかわらずすらりとしていて、控えめではあるが柔らかい笑みをカメラに向けていた。

 とっても貴重ないい表情だ。

 一方の私はというと、カメラを前に身がまえてしまっていて表情が硬い。せっかく二人で映ってる写真なのにもったいない……。

 スマホを親指で素早く操作して画像を保存した。

 もったいない、などと考えてしまった自分をごまかすつもりはもうない。あの事故のとき、病院に駆けつけてくれた秀二さんに私はとっくに観念してる。


「何やってるんですか?」

「なんでもないです!」


 緩みそうになる頰に力を入れ、スマホをパンツのポケットにしまうと秀二さんの元に向かった。


【次回更新は、2019年9月27日(金)予定!】

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