1. WELL COME TO WONDERLAND(7)
☆
コスパキングに土日なんて関係ないのでは、なんて不安もあったが、翌日の土曜日は働けと言われず、ミキさんとの約束を無事に果たすことができた。
前園さんが朝から不在で五百円ランチがなかったので、インスタントラーメンで昼食を済ませたあと、ミキさんが慣れた様子で一〇三号室の倉庫に案内してくれる。
「で、何が知りたいとかある?」
昨日の発送作業での顛末を話すと、ミキさんは早速、服についている下げ札の説明をしてくれ、アイテムコードと棚の位置関係について教えてくれた。ちなみに、私が「ハンガーラック」だと認識していたものは、正式には「シングルハンガー」という名称らしい。
「この棚とかハンガーの並び順にも規則があってね。入口に近い左側の手前から新しい商品になってるの」
規則性がわかればなんてことはなかった。これなら、次は私にもピッキングができるかも。
「あとは服の畳み方だよね?」
《エブラン》の主力アイテムは、レディースのカットソー、ブラウス、スカート、ワンピース。
ミキさんは近くのラックからカットソーを取ってハンガーから外すと、身体の前に広げて手早く綺麗に畳んでみせた。アパレルショップの店員がよくやってる奴だ。
「簡単でしょ?」
「動きが速すぎてまったく追えなかったんですけど……」
「くるっとやって幅決めて、折って折っておしまいって感じ?」
カットソーを渡され、慣れない手つきで真似てみると横からミキさんが教えてくれる。今日のミキさんは腰まで届く長いロングヘアで、そういえば会う度に髪型が違っているのでウィッグやエクステなんだろう。女性で目線が私より高いのは新鮮で、なんだかちょっとドキドキしてくる。
「あの、ミキさんってもしかして、ハーフとかだったりしますか?」
「まさか。じいちゃんの代から日暮里暮らしだよ。なんで?」
「その、背も高いしなぁって……」
「それほどでもないけど。これくらいの身長なんてよくいるし」
モデルをやってるくらいだし、そういう世界だったら一七〇越えなんて普通なのかもしれない。
私がカットソーとワンピースの畳み方をマスターすると、ミキさんはどこかへ去っていき五分もかからず戻ってきた。前園さんがいつも使っているノートパソコンを持っている。
「週明け分の発送作業、梱包まで一緒にやっちゃおうか? そしたら月曜は配送センターに持ってくだけで、あとは好きに時間使えるよ」
「それすごくありがたいです! 火事で色々燃えちゃって、銀行とか役所とか行かなきゃいけないから困ってたんです」
「住むとこなくなったとは聞いてたけど、それ火事だったの?」
ミキさんとやる発送作業は、女子会のノリでとっても楽しかった。
ミキさんは違う世界の人だって気持ちが私の中にはあったけど、少なくともミキさんの側からそれを感じることはない。仕事とはいえ、楽しんでやるのって大事だなって気持ちになる。前園さんに見習わせたい。
そうして午後四時前にはひととおりの作業が終わり、拝み倒すほどミキさんに礼を述べた。
「わからないことだらけだったので、本当に本当に助かりました! こういう服、普段着ないし……」
ミキさんはそんな私の格好をまじまじと見る。履き古したジーパンに、変なロゴの入った黒の長袖シャツ。前園さんに言われなくても、モノクロ女だって自覚はある。
「着たことないなら、着てみる?」
一度自室に下がり、ミキさんはすぐに一着のワンピースを手に戻ってきた。
「これ、今年の秋のアイテムなんだけど、丈が合わなくてさ。カナの身長ならちょうどいいんじゃない?」
ミキさんにぐいと押しつけられたそれを広げてみる。
ウェストの部分で切り返しになったワンピースで、上は淡いパープルの長袖、下はストンとしたラインのスカート。スカート部分は裏地のあるグレーの生地で、プリントされた黒い花の模様が散っている。よく見ると、柄には花だけでなく女の子やウサギなんかも紛れていた。
「私、こんなに明るい色の服、七五三以来着たことないんですけど……」
「マジで? これ全然明るくないと思うんだけど」
ミキさんは私に押しつけたワンピースを引ったくると、広げて私の身体の前面に当てるようにした。
「カナって肌キレイだしさ、黒じゃなくても似合う色たくさんあると思うよ。このパープルだって映えるし、全然アリだって!」
「でも――」
「キングに『モノクロ女』とか言われて悔しくない? 背も高くてカッコいいし、かわいいものだって似合うよ絶対」
こんな風に強く言われたのは初めてだった。佐々はもちろん、女友だちにすら「一宮が男だったらいいのに」なんて言われることの方が多い。
「カナが着てるとこ、見てみたいなー」
色々よくしてくれたミキさんが、ここまで言ってくれるのなら。
「……わかりました」
試しに着てみるだけだし、こういうのは思い切りが大事だ。私は着ていた長袖シャツを勢いよく脱いで机の上に放った。
「ちょっ……思い切りよすぎだって!」
なぜかミキさんは焦ったように顔を背け、「姿見取ってくる」と倉庫を駆け出ていった。女同士だし別にかまわないのに。
ワンピースは脇にファスナーがあって着慣れず四苦八苦したが、なんとか首を通すことができてファスナーを上げた。それから、スカートの下でもぞもぞとジーパンを脱ぐ。
スカートなんて何年ぶりだろう。
素足に空気が触れる感触があまりに慣れず、落ちつかなさのあまりしゃがみ込む。
と、倉庫のドアがノックされた。
『カナ? 入ってもいい?』
ミキさんだ。「どうぞ」と声をかけると、ドアを押し開けたミキさんは縦に長い鏡を本当に運んできた。
「それ、ミキさんのですか?」
「そう。カナも鏡くらいあるでしょ?」
あるにはあるけど、コンパクトサイズのものしかない。それも用途といったら、目に入ったゴミを取るとかそれくらいだ。
倉庫のドアを閉め、ミキさんは背面のスタンドで鏡を立てつつ訊いてくる。
「なんでしゃがんでんの?」
「脚がスースーして落ち着かなくて……」
私はすぐ近くにあるミキさんのストッキングの脚を見て気がついてしまった。
肌色のストッキング越しでもわかる、その脚の白さと滑らかさ。
そして自分の脚の状態を思い出し、ますます立ち上がれなくなってしまった。パンツスタイルが基本だし、無駄毛処理なんて超適当だ。
「ストッキングとかタイツ……は持ってなさそうだね。ちょっと待ってて」
ミキさんは私の素足の状態を慮ってか、使ってないからと黒のタイツをくれるのだった。ミキさんが再び遠慮して外に出てくれ、いそいそとこれまた慣れないタイツを穿き、ようやく鏡の前に立つ。
一瞬、知らない誰かが立っているようで目を細めた。
化粧気のない顔に飾り気のないボブヘアを見て、私だなと思う。けど首から下は、いかにも街中にいそうな女子そのもの。
「ほらー、かわいいじゃん! 一緒にモデルやろうよ。で、キングに『ほれ見たか!』って言ってやろう!」
「そんなの絶対無理ですから!」
ミキさんに褒められまくって頬が熱くなり、それから小さく頭を下げた。
「あの、ありがとうございました。着てみてその……参考になりました。それじゃ、私、これから飲みに行く約束があるんで着替えますね」
「ちょうどいいじゃん、そのまま着てっちゃいなよ。最初に言ったけど、そのワンピ、着てなかった奴だしさ。カナにあげる」
「でも――」
「あ、上にボレロかカーディガンあった方がいいかな。ちょっと待ってて、貸してあげるから!」
そうして白いカーディガンを羽織らされ、スニーカーしか持っていない私にローヒールのパンプスを貸してくれ(ミキさんとは足のサイズが一つ違いで中敷きを敷いたら履けた)、かわいいチャームつきのバッグまで渡されてしまう。
もう断るに断れず、しょうがないのでやけっぱちな気分でそのまま家を出た。
上にはいつものコートを羽織っているのに、下がパンツじゃないというだけで落ち着かないし緊張するしで、午後六時、亀戸のいつもの居酒屋に着いたときにはすっかり消耗してしまっていた。
……佐々、なんて言うだろう。
『明日飲まない? 火事で大変だろうし奢ってやるよ』
なんてメッセが届いたのは昨晩のことだ。
佐々にとって、私なんて家に泊めてもかまわない男友だちみたいなものでしかない。
けど、それでいいと思ってるわけじゃない。
私だって、ちょっとは意識してもらいたい。
ミキさんがあんなに「かわいい」って言ってくれたんだしと気を取り直し、重たい店の扉を押し開けた。服装が違うだけで周囲の視線が気になって仕方なく、人の話し声で満ちたにぎやかな空気に圧倒されてたちまち不安になる。
こんな格好で目立つかも、なんて思ったのもつかの間、アルバイトらしき男性店員に「いらっしゃいませ」と明るく迎えられてしまってもう逃げられない。
佐々は先に着いていたようで、待ち合わせだと伝えるとすぐにテーブル席に通された。佐々はこちらに背を向けてメニューを広げつつ、片手でスマホをいじっている。
文具メーカーに就職して営業の仕事をしている佐々は、学生の頃は茶色く染めていた髪を今は黒に戻し、ちょっと真面目な印象になった。
前園さんが目鼻立ちのはっきりした濃いめの顔立ちなのに対し、佐々は切れ長の目に薄めの唇と控えめな顔立ちだ。身長は私と同じ、一七〇センチちょうど。本人は「俺は一七一センチだ」と常々主張していて、そういう負けず嫌いなところはちょっとかわいい。
昔から人としゃべるのが得意で、営業の仕事は向いてる、と自分でもよく言っている。
「……お待たせ」
そっと声をかけると、「おう」と返事をして顔を上げた佐々は、ポカンという表現がぴったりの表情になった。
「え、は、一宮?」
緊張しすぎて脈がおかしくなっていたけど、私はなんでもない顔で向かいの席に着く。
「ビール、もう注文した?」
「まだだけど……」
私は近くにいる店員を呼び止め、「生中二つ」と注文して佐々に向き直った。佐々は困惑し切った顔で、「お前どうした?」なんて訊いてくる。
なんのことかはわかっていたけど、「どうって?」と素っ気なく訊き返す。
「そのカッコに決まってんだろ」
「たまにはその、こういうのもいいかなって」
「はぁ?」
ビールはすぐに運ばれてきて、一度会話を切って中ジョッキをぶつけた。佐々はすぐに数口飲み込み、ぷはっと息を吐き出すとこっちを見て笑った。
「最初に見たとき、知らない女が来たと思ったわ」
女、という単語にドキリとしたのもつかの間、佐々は言葉を続ける。
「お前さー、恥ずかしいからやめろよ、そういうの」
「恥ずかしい」という言葉に、中ジョッキを傾けようとしていた手が止まった。
「誰に何言われたかわかんねーけどさ。無理するもんじゃないぞ、そういうのは」
「無理とかそういうんじゃ……ほら、電話で話したでしょ。ウェブサイトのリニューアルやるって。それがこの服作ってる、アパレルブランドでさ」
「あ、もしかして、『すごくお似合いですね』とか言われて買わされた?」
「買わされたわけじゃ――」
「そんなの、アパレル店員の常套句だろ。『お客様によくお似合いだと思いますー』とかそういうのさ」
かわいい、と何度も言ってくれたミキさんのことを思い出す。
アパレル店員の常套句だとは思わないけど、私はすっかり忘れてた。
女子の世界には、似合っていようがいまいが関係なく、「かわいい」と褒め合う文化があることを。
黙ってしまった私に、佐々は声に出してため息をつくと、ふっと表情を緩める。そして、しょーがねーなーとでも言いたそうな半笑いで口を開いた。
「一宮は、そういう女っぽいのが似合うキャラじゃないんだからさ。無理しない方がいいって。ちょっと褒められてその気になるとあとが辛いぞ」
何もかも、佐々の言うとおりだった。ちょっと褒められてその気になって、現在辛くてしょうがない。
その後、佐々は私を気遣うようにいつも以上に明るくしゃべり、「また飲もうな」と私の肩を叩いて去っていった。
亀戸から押上までは直通のバスが出ていて乗車時間は長くなかったけど、生きた心地がしなかった。私のことなんか誰も見てないってわかってても、誰の視界にも映りたくなくて背を丸める。
そしてようやく帰宅して、借りもののパンプスを脱ぎ、タイツの足で何度か滑りそうになりながら狭くて急な階段を駆け上って二〇二号室に到着するなり、下着以外のすべてを脱ぎ捨ててベッドに放った。
古民家は断熱性が低いのか、ものすごく寒い。なのに、顔の表面にはどんどん熱が集まってきて、あふれそうになるものは辛うじて呑み込んだ。
身体を縮こませてジャージに着替え、ガスの元栓を閉められる前にと風呂場へ急いだ。
【次回更新は、2019年10月18日(金)予定!】
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