1. WELL COME TO WONDERLAND(8)


          ☆


 前園さんとやる発送作業が辛かったのは前からだけど、少しは面白いと思えていたウェブサイトのリニューアル作業までもが苦痛でしょうがなくなった。


 ――恥ずかしいからやめろよ。

 ――無理しない方がいいって。


 花やトランプ、ケーキ柄といったかわいらしいプリント生地を目にする度に、佐々の言葉が蘇る。

 とはいえ、五百万円の借金がチャラになるわけじゃない。余計なことは考えないよう意識して、ウェブサイトの検討作業を進めてく。

 現在のカート機能や在庫管理システムを新しいものに入れ替えたりする作業自体は、機械的に進められる。デザインそのものについては、もともとアパレル業界には詳しくないのだ。他社のアパレルブランドのサイトを参考にしつつ、せめて使い勝手のいいサイトを目指すことにした。

 こうして気がつけばひつじ荘に入居して一週間、リニューアル案の作成期限を迎えた。

 昼食を食べ終えて早々に前園さんに呼びつけられ、自分のノートパソコンを持ってラウンジへ行き、自前の環境で作っていたウェブサイトを見せてみた。


「カート機能と在庫管理システムの入れ替え自体はそんなに手間もかからずできると思います。それで――」

「却下だ」


 まだ見せて三十秒も経っていない。


「あの、まだなんの説明もしてないんですけど」

「こんなの見りゃわかる。却下だ却下。あんた、うちのブランドなんだと思ってんだ?」

「なんだとって……」


 私には縁のない世界でしかない。けど、これでも一応社会人だ。そんなことを口に出すほど浅はかでもない。


「これなら現状のままの方がマシだ」

「その現状のサイトの使い勝手が悪いって話だったじゃないですか」

「けど、俺はスーパーの特売セールのチラシみたいな安っぽい作りにしろっつった覚えもない」


 スーパーの特売セールのチラシ。

 なるほど、言い得て妙だ。

 確かに、私が目指した使い勝手のいいサイトはそういう種類のものだ。

 カタログのように写真が並び、ボタンはクリックしやすく大きく、文字はくっきりとしたフォントで。背景画像は最低限、余計な効果は一切なし。


「安っぽい、ですか」

「うちの客が求めてるのは〝非日常感〟なんだよ。これじゃ台なしだ」


 吐き捨てるような前園さんの言葉に、何かの許容量が超えた。

 大人なんだし我慢しなきゃという気持ちなんかどこかに行ってしまい、「しょうがないじゃないですか」とポツリと漏らす。


「あ?」

「だって……しょうがないじゃないですか! 私、そもそもウェブデザインだって専門的にやってたわけじゃないし、こういうアパレルとか、かわいいものとか、全然わからないし! できるわけが――」

「じゃあなんで引き受けた?」


 黒縁メガネの奥から鋭く睨まれて押し黙る。


「『できる』っつったのはあんただろ」

「それは……」

「大体、『わからない』って言う前に知る努力したのか? 『できない』って言う前に、できること考えたのか?」


 最初はできると思った。

 でもここ最近は、どうやってやり過ごすかしか考えてなかった。


「向いてないんですよ、こういうの……」


 そしてとうとう、大人としても社会人としても情けないことを口にしてしまう。

 もうこれで勘弁してほしい。五百万円なら分割で払うし。

 なのに、前園さんは許してくれない。


「二日だ」


 ソファから立ち上がり、前園さんはうなだれる私を冷たく見下ろす。


「二日だけ挽回のチャンスをやる。それで俺が納得できなかったら、五百万きっちり用意してここから出てけ」



 ノートパソコンを持ってラウンジを駆け出た。

 逃げ出したいのに逃げ出せない。

 自室に戻ろうかと思ったが、二階だとWi-Fiに繋がりにくいことを思い出し、かといって前園さんのいるラウンジの隣、ダイニングで作業するのも憚られ、しょうがないので一〇三号室の倉庫に向かった。

 電気をつける。ここ数日、視界に入れるだけで苦痛だった色とりどりの生地やプリント柄が目に飛び込んできて、たちまち私の胃を重たくする。

 ブランドコンセプトは、〝毎日の楽しいを思い出す〟。

 そもそも、私に〝楽しい〟なんてあっただろうか。

 丸椅子を引き寄せて座り、机にパソコンを置いて突っ伏した。


 ――昔から、趣味や夢中になれるものがないのが悩みだった。


 興味があるものは少なからずあった。

 ピアノ、バスケ、弓道、書道。

 でも、やってみようかなと思うものには、必ず私よりずっとずっとできる人がいて、今さら私がやったところで、とやりもしないで諦めてしまうのが常だった。

 私は諦めが早く、そして根性がない。

 それでも、何かに夢中になりたいという願望だけはずっと胸の奥で燻り続けていた。そういう人になりたくて、そういう人に憧れてばかりで。

 だから、あの会社に入ったのだ。

 入社説明会で、「私たちと一緒に社会を変えてくれる仲間を強く求めています!」と力強く言い放った社長に痺れた。

 いわゆるベンチャー企業と呼ばれる小さな規模のできたての会社で、でも社長の熱量はとにかくすさまじく、これがカリスマ社長という奴なのかと感心したものだった。

 社長の理念に共感してる、この会社でがんばって働く!

 呆れ顔の佐々に拳をふり回して宣言して一年ちょっと、会社は潰れて社長は消えた。

 ……本当は、私だってわかってる。

 誰かに憧れてついていったところで、その憧れた人に自分がなれるわけじゃないってことくらい。

 自分のブランドに必死になってる前園さんや、好きな格好をして毎日楽しそうなミキさんみたいな人がうらやましい。

 私だって、なれるものなら何かに夢中になりたい。

 やりたいことをやりたいと、好きなものを好きと言えるようになりたい。

 でも、これまでずっとそれができなかった。だって、どうして自分にできるだなんて思えよう――

 

 ――無理しない方がいいって。

 

佐々の言葉が蘇る。


 ――「できる」っつったのはあんただろ。


 前園さんの言葉も蘇る。

 私の心は、佐々が正しいって思いたがってる。これまで佐々の言葉を信じて従ってきた自分を否定したくないからだ。

 けど、前園さんの言葉もまた事実。

「できる」と言ってしまったのは私なのだ。

 丸椅子から立ち上がり、ノートパソコンもそのままに倉庫を飛び出した。音を立てて階段を駆け上り、二〇二号室に戻って財布を掴むと、転げそうな勢いで階段を下りていく。


「あんた、うちの階段踏み抜くつもりか」


 廊下の角から鬼の形相の前園さんが顔を出す。ちょうどよかった。

 私は前園さんの前で足を止め、お財布からなけなしの一万円札を抜き出してその鼻先に突きつけた。


「このお金で買えるだけの服とかなんかそういうの、見繕ってください」

「は?」

「知る努力しろって言ったの、前園さんじゃないですか!」


 前園さんは怪訝な顔になって眉を寄せつつ、突き出された一万円と私の顔を見比べる。


「私……ずっと避けてきたから、自分の感覚じゃ何もわからないんですよ! だからその、どんなお客さんがいるとか、どれが人気の商品だとか、なんかそういうの、色々教えてください! お願いします!」




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