2. ALICE'S WONDERLAND(3)
アリスさんの生活パターンは掴めてきたものの、アリスさん本人のことを何も知らないことに気がついた。そういうわけで、次に私はアリスさんが描いているというイラストを見てみることにした。
ミキさんに教えてもらい、早速イラスト投稿サイトに会員登録して目的のページを開く。アリスさんのページはフォロワーが数万人、投稿されているイラストは数百に及んでいた。
イラストの投稿日を見ると先週のものもあり、定期的に、それもわりと高頻度にアップしていることがわかる。
油絵のような塗りの厚いタッチ、明るい色使いでかわいらしくファンシーな雰囲気。ざっと見た限り、『不思議の国のアリス』のモチーフが多そうだった。金髪の少女のイラスト、ティーパーティ、トランプ兵に白ウサギ……。
投稿されたイラストを遡っていって、あ、と私は画面をスクロールする手を止めた。
私が帝くんに選んでもらった、ロングブラウスの花柄にそっくりなイラストを発見した。
『rain shower』というタイトルのつけられたそのイラストは、雨降りの花園を描いたものだった。湿った土の匂いがノートパソコンの画面越しに立ち上るような臨場感がありながら、薄暗い空の下で水滴を弾く花弁の色は鮮やかだ。
そこで私は、一〇三号室の倉庫にある在庫を思い出しながらイラストを見ていくことにした。
どうやらアリスさんは、自分のイラストのモチーフの一部や、イラストそのままを服のデザインに活かしているようだ。
デザインの出自がわかると、ブランドの商品を見る目が以前と変わった。
そうして数日後、発送作業を終えた私は、倉庫の奥にしまってあった小さな手提げのノベルティの確認をしていた。《エブラン》では小さな手提げやポーチなどのノベルティを作り、時々おまけとして商品につけているのだという。状態に問題がなければ、これも即売会に持っていくそうだ。
「ノベルティ作るのも、お金かかるんじゃないの?」
小さなおまけとはいえタダで作るなんて、帝くんもお客さんにはサービスするってことなのかな。
私の質問に、倉庫のすみでノートパソコンをいじっていた帝くんは露骨に面倒そうな顔をした。
この人は、何を訊いてもこういう顔をする。造りだけはいい顔が台なしだ。
「余った生地とか材料使ってるし、俺の人件費以外はかからん」
「え、これ帝くんが作ってんの?」
「それくらい作れんだろ」
作れるわけないし。
不覚にも感心させられてしまった。手提げについている赤いボタンや生地の状態を一点ずつ目視で確認しつつ、続けて帝くんに訊いてみる。
「服のデザインってどんな風に決めるの?」
また嫌そうな顔をされた。
「なんで、んなこと知りたいんだよ。つーか、黙って働けねーのかお前は」
「アリスさんと仲よくなるために知りたいんだけど」
アリスさんの名前を出したからか、帝くんの態度があからさまに軟化してその目がこちらを向いた。鬼のコスパキングがこんなにわかりやすい生き物だとは思わなかった。
「どんな風にっつっても、基本はアイテムの種類と点数を指定して任せてるだけだ。パステル系のワンピース四パターンとか、そんな感じで。出された案の中から相談して選んだり微調整してもらったりはする」
「アリスさんがネットに投稿してるイラストからは、選んだりはしてないの?」
「イラスト?」
例えば、と私は近くにあった冬物のワンピースを指差した。
スカート部分に、クッキーやマカロンといったお菓子の柄が控えめにプリントされているものだ。
「このワンピースの柄、今年の春に投稿された『afternoon tea』ってイラストが基になってるよ」
「それから」と私は手にしていた古いノベルティを見せた。
「この手提げの生地の柄、このトランプの部分は『Last trump』っていうイラストの一部」
帝くんは黒縁メガネの奥で目を瞬いたあと、意外にも「そうなのか?」と呆けたように訊いてきた。
「そんなの聞いてない」
「え、そうなの?」
「まぁ、聞いたところで『だから?』って感じだけどな」
帝くんはそれだけ言って、自分のノートパソコンに目を戻した。これ以上帝くんとこの話を続ける意味はなさそうで、私も自分の作業に戻る。
イラスト投稿サイトでは、各イラストの「お気に入り」登録数が表示される仕組みになっている。
お気に入りが多いイラストは、つまりはサイトのユーザーに多く支持されたものということ。そして、アリスさんが服のデザインに流用しているイラストは、特にこの「お気に入り」登録数の多いイラストに集中しているのだ。
アリスさんはデザインしっ放しでサンプルの確認もまったくしないと聞いていたし、究極的には服には興味がないのではと私は訝っていた。
けど、帝くんすら知らないところで、アリスさんはアリスさんなりに考えてデザインしているのかもしれない。イラスト投稿サイトで反応のよかった作品を流用するという形で、人の評価を気にしている。
アリスさんというデザイナーに一気に興味がわいた。ミッションもさることながら、一度個人としても話をしてみたい。
そうして私は、一つの作戦を実行することにした。
ひつじ荘には、大家の帝くんが決めたいくつかのルールがある。
私が入居翌日にさせられた掃除当番もその一つ。玄関、廊下、階段、キッチン、ダイニング、お風呂場といった共有スペースの掃除を、持ち回りで毎日誰かがやることになっている。
そして、そこは手厳しいコスパキングの決めたルール。引きこもりだろうがなんだろうが容赦はない。アリスさんにもきちんと掃除当番は回ってくるし、やらなければ罰金というルールも適用されている。
かくして、アリスさんが深夜に部屋を抜け出すのは、大概がこの掃除のためらしかった。明るいときに済ませればいいのに、徹底した人嫌いにもほどがある。
けど、一個所だけ住人たちが起きている時間帯でないと済ませられない場所があった。
お風呂場。
帝くんがガスの元栓を締めてしまうので、夜の十一時から午前六時まではお湯が使えない。そして、お湯で掃除した方が汚れが落ちやすい、カビ予防になる、と潔癖症の大家のこだわりがあり、水での掃除は許されていないのだ。
かくして十二月も中旬に差しかかろうとしていたとある土曜日。
私は午前六時前に目覚ましをセットして起床し、そそくさと着替えた。
シンプルなVネックの淡い水色のセーターとジーパンだが、今までのもさっとしたモノクロスタイルの百倍はスマートな雰囲気になったと思う。先週末、ミキさんと一緒にひつじ荘から徒歩で行ける、東京スカイツリー併設の商業施設・東京ソラマチに行ってお手頃価格の普段着を見繕ってもらったのだ。
《エブラン》の服は特別な一着、普段使いには少々値がはる。
そんな普段着に着替えて簡単に身支度を整え、壁に耳を当てて隣室の気配を窺った。やはりアリスさんは不在、風呂掃除に違いない。
警戒して逃げられないよう、足音を殺して一階に下り、デッキブラシがタイルの上を往復する音を確認してから浴室のドアをノックした。
「アリスさん、おはようございます」
ドアの向こうが途端に静かになった。浴場は共有スペース、ルール上は私が入っても問題ない。ここは思い切ってドアを開けた。
上半身はモコモコした白いフリース、下は裾まくりをしたジャージのパンツとバススリッパという格好で、デッキブラシに手をかけたアリスさんがいた。長い黒髪はシュシュで結わえられている。
「お掃除中すみません。私、どうしてもアリスさんと話がしたくて」
アリスさんは見る間に表情を強ばらせ、浴室の奥に一歩下がった。けどせっかくのチャンス、私は洗濯機のある脱衣所に一歩踏み込んだ。
「ちゃんと話すの、初めてですよね。二〇二号室の一宮佳菜です。あ、ちょっと前から《エブラン》の事務とか雑用もやってます!」
アリスさんがまた一歩下がり、私は一歩前に出る。
「アリスさんのイラスト見ました! 細部までこだわってて、いつまででも見てられるって感じで……私、絵なんてまったく描けないしデザインも詳しくないんですけど、ホント、そういうのすごいなって思ったというか……」
アリスさんは表情を強ばらせたまま、さらに一歩下がってしまう。一人でしゃべり続けている私は、怖がるアリスさんを追いつめているような気持ちになってきて、次第に焦り始めてきた。
「だからその、私、アリスさんのイラストや服のデザイン、すごくいいなと思ってて……」
あ、あとこれだけは言わなくては!
「それと、私と帝くんの間にはなんにもないので、心配とかもちろん無用です!」
じり、とさらに下がったアリスさんの手が、壁際のシャワーヘッドに触れた。
直後、私の言葉も視界もすべて、浴びせかけられたお湯で封ぜられた。
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