2. ALICE'S WONDERLAND(4)
せっかくの土曜日、がんばって早起きしたのに全身びしょ濡れにさせられ、おまけに逃げ出したアリスさんの代わりに風呂掃除をする羽目にまで陥った。
あまりの理不尽さに、五百円ランチも食べずにひつじ荘を飛び出た私は、気分転換の散歩も兼ねて、久しぶりに《WKWKコーヒー》に行くことにした。
ひつじ荘からは徒歩で二十分ほど、碁盤目状に整備された街の一角にある。上階がアパートの建物の一階にあり、木目調の内装や手作りの照明が橙色の光を落とす温かな雰囲気のお店だ。
正午前、お店はまだ空いていて、ガラスの自動扉をくぐると「いらっしゃいませー」とマスターのコーキさんに迎えられた。
「あ、お久しぶりですね」
コスパキングに雑に扱われてばかりの日々だったので、にこやかに挨拶されただけでささくれ立っていた心が凪いだ。五十歳前後であろうコーキさんは常ににこやかで物腰柔らかく、どこかのコスパキングとはなんたる差。
カウンター席に通されてから、そういえばと思い出す。住むところに困っていたところにひつじ荘を紹介してもらったのに、その後に色々ありすぎて、ちゃんとお礼を言えてなかった。
今さらながら改めて礼を述べてからカフェオレとシフォンケーキを注文し、ポツポツと《エブラン》の手伝いをしている旨を話す。
「え、佳菜さん、帝くんの手伝いしてるの?」
コーキさんは、当然ながら帝くんのブランドのことも知っているようだ。
「流れでそういうことになって……」
帝くんとコーキさんがどういう関係かはわからないが、あまりに外聞が悪いので借金のことは話さずにおく。
温かいカフェオレを飲んでいると気持ちが落ち着く反面、妙に冷静な気分にもなってしまい、ここ最近は積極的に考えないようにしていた疑問が急に首をもたげてきた。
朝からお湯をかけられ、借金返済という名のタダ働きをさせられている私は、転職活動もせずに一体何をやっているのか。
「あ、じゃあ今度の即売会も佳菜さん手伝うの?」
コーキさんの言葉に顔を上げる。
「即売会のこと、知ってるんですか?」
コーキさんはカウンターからこぢんまりした店内を見回した。
「会場、ここだから」
カフェを貸し切ってやる、とは聞いていたけど、まさかその場所が《WKWKコーヒー》だったとは。
あいかわらず、帝くんは私に対する情報開示が少なすぎる。かつ、それを楽しんでいる節があってなおさらタチが悪い。あっちは大学生、こちらは無職とはいえ社会人。借金があるとはいえ、ふり回されてばかりいないで、私は私で真面目に転職も考えるべきだ。このままじゃ、借金もろくに減らないまま少ない貯金がさらに少なくなる一方。
思い立ったが吉日、早速スマホで転職サイトを見ていると、「どんな仕事を考えてるの?」とコーキさんに訊かれて反射的に答えていた。
「ウェブデザイン?」
自分の言葉に驚く。《エブラン》のウェブサイトのリニューアル作業が無事に済んだこともあり、調子に乗ってるのかも。
自分の言葉に背を押されるように、IT系企業でデザインができそうなところを探してみたが、さして心は踊らず結局サイトを閉じた。
大学生の頃はどんな風に就活してたっけと思い出してみるも、カリスマ社長にほだされ乗せられた記憶しか残ってない。
自分探しをするどころか、日々の雑務に追われるわお湯をかけられるわで、考える余裕もなかった。次こそは、自分自身がちゃんとやりたいと思った仕事を、夢中になれる仕事をやりたいと思うのに……。
ふと、身近なところに現役大学生がいることを思い出した。
その日の晩、五百円の鯖の味噌煮定食をいただきつつ、向かいの席に座った帝くんに訊いてみた。
「帝くん、四年生ってことは、もう就活は終わってるんだよね? どこかから内定もらってるの?」
予想どおりたちまち眉間に皺を寄せられ、けど返ってきたのはあまりに予想外の答えだった。
「この俺が就活なんてやるわけないだろ」
悔しいことに、性格に難はあれどその優秀さもわかる帝くんのこと、銀行とか大手商社とかから内定が出ているのでは、と予想していたので愕然とする。
「プータローってこと?」
と訊くなり帝くんの手が伸びてきて、咄嗟に頭を横に逸らしてデコピンを回避した。
「そう簡単にデコピンできると思うなよ!」
高らかに勝利宣言をした直後、容赦ないデコピンを喰らって悶絶する。
「お前みたいなボンクラと一緒にすんな」
涙目の私をスルーして椅子に座り直すと、帝くんは箸を手に取り鯖の骨を綺麗に避けた。それから鯖の身を口に運びつつ、とんでもない抱負を堂々と述べる。
「俺は《エブラン》でのし上がってビッグになるんだよ」
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発売記念で毎日連載はまだ続きます☆
次回更新は、2019年10月26日(土)予定!
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