2. ALICE'S WONDERLAND(5)


          ☆


《WKWKコーヒー》を貸し切っての即売会は、クリスマスの時期に開催予定だ。十二月中旬、顧客への招待状の発送もすでに済んでおり、帝くんとミキさんは新作のサンプル作りや調整に追われている。

 一方の私はというと、アリスさんを即売会に連れていくというミッションもありつつ、通常の発送作業に加え、セール品の状態確認とリストアップでてんてこ舞いになっていた。

《エブラン》は通常はセールを実施しない方針だが、リアルイベント限定で初の在庫セールを実施するという。

 倉庫となっている一〇三号室の押し入れからは、ウェブサイトにも掲載していない古い商品が続々と出てきて、作業は雪だるま式に増えていく。

 週が明け、気がつけば即売会まであと十日。

 泣き言を口にしていても作業は終わらない。夕食を食べ終えたあとも倉庫に一人こもって作業の続きをしていたが、一向に終わりが見えず心が折れかけた。

 もういっそ今日はさっさとお風呂に入って寝てしまおうかと倉庫から出たところで、帰宅したミキさんが玄関の戸を開けた。


「今日も遅かったですね」


 最近、ミキさんの帰宅は午後十時を回るのが常だ。夕食は職場で簡単に済ませているらしく、帝くんの五百円定食も食べていない。

 化粧は薄くて崩れており、その顔には隠しようもなく疲れが滲んでいた。朝も早いのに大変そうだ。

 ミキさんは「最近忙しくて」と応えながら、穿いていたショートブーツを脱いだ。あいかわらず綺麗な脚だ。


「そういうカナこそ、倉庫で何してたの?」

「セール品の確認が終わらなくて……」


《エブラン》の服はプリント生地を多用していることもあり、古い在庫は一着ずつ広げてプリント部分が剥げたり色落ちしたりしていないか確認する必要があった。

 帝くんいわく、「それなりの堅牢度だと思うけどな」とのこと。

 堅牢度っていうのは、染色した生地の色落ちのしにくさなどを量る指標のことらしい。とはいえ、すべて目視で手作業、辛すぎる。


「そうなんだ。手伝えなくてごめんねー」

「いえいえ、ミキさんもお仕事で忙しいのに」

「あ、キングいる? サンプル持って帰ってきたんだけど」

「ラウンジにいると思いますよ」


 日付が変わるまであと数時間もないが、ラウンジで帝くんとミキさんが新作のサンプルの最終確認をするというので、煮詰まっていた私は少し見学させてもらうことにした。

 残業帰りのミキさんが持って帰ってきたのは、シーチングの白くて薄い生地ではなく、水玉がプリントされた本番生地で作られたサンプルだ。それをミキさんがトルソーに着せ、帝くんと二人で細部を確認している。

 いつものことだけど二人の会話は専門的で、ただでさえ疲れで頭が回っていない私には内容が入ってこない。

 遠目に見る分には目の保養と言えなくもない、帝くんの整った横顔を見ていたら、先日の言葉が脳裏を過ぎった。


 ――俺は《エブラン》でのし上がってビッグになるんだよ。


 帝くん、本気でこのブランドでやってくつもりなんだろうか。

 個人でやっているインディーズブランドとしては、確かにそこそこなんだろう。

 趣味や副業として片手間でやっているハンドメイド作家などとは一線を画し、オリジナルの生地を使い、外部の縫製工場に生産を委託し、品質管理までちゃんとしてる。注文だって少なくないし、固定ファンも多い。

 ミキさんいわく、年間売上は一千万円を超えるくらいとのことだ。個人のブランドとしては確かにそこそこなんだろう。

 でもそれは、事業としてはどれほどのものなのか。

 一千万円とはいえ、生地や糸、ボタンなどの材料費や裁断・縫製費などの製造原価が半分。製造原価を三〇パーセント程度に抑えているブランドも多いなか、《エブラン》の五〇パーセントは高額な方に分類されるとミキさんに聞いた。

 オリジナルのプリント生地をオーダーしており、また個人ブランド故に一度に発注できるロット数が限られているため縫製代もそれなりにかかるのだ。

 現在は自社サイトからの直販がメインなので、売上の残り半分がそのままあらえきとなる。そこから人件費、倉庫分の家賃、通信費、消耗品費、広告・宣伝費などの経費をまかない、それらを引いて残った額が純利益。

 けど、今後販路を増やし、どこかのショップに商品を卸す卸販売をするとなると、今の製造原価のままでは難しいらしい。

 生産量を増やして製造原価を抑え、利益を出すのが今後の課題だそう。小売業やお金のことは詳しくないので、ミキさんに聞いたそんな話はただただ勉強になった。

 そんな懐事情もあり、アリスさんはわからないが、何かと親身にブランドを手伝っているミキさんが手間賃を受け取っていないことも最近知った。

 実家の工場の仕事にもなっているし、その分シェアハウスの家賃をタダにしてもらってるとのことだ。そして、労働力となっている私も借金返済という名目こそあるものの、実質的にはタダ働きに等しい。

 どれだけケチなんだと思っていたけど、数十円の送料をケチるのだって、純粋にそれだけ余裕がないということの裏返し。

 私なんかに心配されたくはないだろうけど、コスパキングの将来が急に心配になってきた。

 そんなコスパキングの野望を知ってか知らずか、アリスさんはあんな感じだし。デザイナーというのはブランドの顔になるようなポジションだろうに、おそらく本人にその気はまったくない。

 そんなアリスさんのこともまた、私にとっては頭痛の種の一つだった。お湯をぶっかけられて以来、今まで以上に避けられていて打開策を見出せない。


 ――即売会にアリスが顔を出さなかったら、お前の借金リセットだからな。


 おまけに帝くんにはそんな脅しまでかけられた。人の心配をしている場合じゃない。

 色んなことでもやもやしているものの、なんの解決策も見つからないまま、私はトルソーに着せられたサンプルを遠巻きに眺めた。春頃に発売開始する夏の新作だそうで、即売会でお披露目、予約も受け付けるのだという。

 ……あのワンピース、『Sunlight forest』が基のイラストかな。

 アリスさんにはお湯をかけられ無視されつつも、イラスト投稿サイトだけは欠かさず見るようにしていた。おかげで、今じゃ主だった作品のタイトルをそらんじてしまっている。

『Sunlight forest』はタイトルのとおり、森に差し込む真昼の日差しに少女が目を細めているイラストだった。

 明暗のはっきりした木漏れ日差す森の中に描かれた少女が着ている水玉のワンピースは、帝くんたちが調整しているものとよく似ている。

 一枚布のストンとしたライン、柔らかいオフホワイトの生地に水色の大きな水玉のプリント、そして膨らんだ半袖や肩にはアクセントになるまっ赤なボタン……。


「あれ?」


 思わず声を上げてしまい、帝くんとミキさんがこっちを向いた。


「なんだ?」

「その……ボタンの色、デザインのときからその色でした?」


 サンプルの袖についているボタンは、赤みがかった濃いブラウンだった。


「よく気づいたね。どこかでデザイン見たの?」


 ミキさんに訊かれて首をふる。


「アリスさんのイラスト見て……」


 すると、面倒そうな顔をしつつも帝くんが教えてくれた。


「アリス指定のボタンがあったんだけど、メーカーに問い合わせたら取り寄せに一ヶ月かかるって言われたんだ。即売会に間に合わないから、サンプルはひとまず別の色で代用することになった」

「なるほど……」


 事情はわかったものの、引っかかりが残る。絵を描く人っていうのは、色に強いこだわりがあるんじゃないだろうか。


「それ、アリスさんは知ってるの?」

「許可は取ってる。納得してない顔だったけど、サンプルだし間に合わないならなんでもいいって」


 やっぱり。サンプルとはいえ、色を変えるのは不服なんだろう。

 どうにかできればいいけど、私にできることなんて……。


「あ!」


 閃くようにある記憶が蘇り、またしても声を上げてしまう。


「今度はなんだよ」

「ちょっと待っててください!」


 ラウンジを駆け出て私が倉庫に取りに行ったのは、以前確認していた古いノベルティの手提げだった。


「この飾りボタン、赤いしイラストによく似てるなって」


 帝くんとミキさんは、私が見せたノベルティのボタンを揃って観察する。先に顔を上げたのはミキさんだった。


「これだよ、アリス指定のボタン。前に使ったことがあるからって、アリスもこのボタン、指定してたんだ」


 帝くんも頷いた。


「このノベルティ、まだ数はあるのか?」

「残り五個。一個につきボタンは二つだから、十個は使えるよ」

「カナってば、お手柄じゃーん」


 ミキさんに頭を撫でられ、これには素直に嬉しい。


「じゃ、残りのノベルティもここに持ってきますね」


 そう踵を返しかけた私の腕を帝くんが掴んだ。


「お前はその足で、アリスの部屋に行ってこい」

「え?」

「ボタンのこと、お前が説明してこい。夏物のワンピースで取り寄せになってたボタンと同じもの見つけたって」

「でも」

「そうだよ、カナのお手柄だもん! 行ってきなって」


 ミキさんにまで背中を押されてしまい、こうして二〇一号室に向かうことになった。

 不安と緊張で身体を固くしつつ、小さく深呼吸してからドアをノックする。


「アリスさん、一宮です。ちょっとお話があるんですけど……」


 返事はないが、アリスさんが部屋にいるのはわかってる。聞いてくれているかはわからないけど、私はボタンについてひととおり説明した。


「というわけなので、もし問題なければ、ノベルティの赤いボタンをサンプルにつけ替えたいなと――」


 小さな音を立ててドアがゆっくりと開き、私は言葉を切った。

 薄く開いたドアの隙間から、白い手がぬっと出される。


「……ノベルティって、どれ?」


 慌てて持っていた手提げをその手に渡した。アリスさんは手を引っ込めてノベルティを確認すると、再び手だけ出して返してくる。


「このボタンなら、問題ない」


 よし、と一人無言でガッツポーズ。


「ボタン取ったら、そのノベルティと在庫のあるボタン、持ってきて。ノベルティに代わりにつけるボタン、選ぶから」

「あ……わかりました! はい、了解です!」


 言うだけ言ってドアを閉めようとしたアリスさんは、最後にひと言だけつけ加える。


「……あんた、いつもうるさい」


 そして、私の鼻先でドアは閉められた。

 寒い廊下にぽつんと残され、しばし呆然とするように立ち尽くしていたが、持っていたノベルティを両手で抱きしめた。


 ……初めてちゃんと話せた、気がする。


 うるさいと言われたばかりだし、上げかけた歓喜の声は辛うじて呑み込み、私はラウンジへと駆け戻った。


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『訳ありブランドで働いています。 ~王様が仕立てる特別な一着~』

大好評発売中&発売記念で毎日連載中!

次回更新は、2019年10月27日(日)予定!

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