2. ALICE'S WONDERLAND(6)


          ☆


 アリスさんとの仲も少しだけ前進したし、これならもしかしたらなんとかなるのでは。なんて思いかけていた、即売会まで一週間を切ったある平日の正午過ぎのことだった。

 ミキさんはいつもどおりお仕事で、帝くんも「仕事サボったら罰金だからな」と言い置いて大学の用事でひつじ荘を空けていた。

 帝くんがいないと五百円ランチにありつけず、お昼ご飯どうしよう、帝くんがいないときはアリスさんは食事をどうしてるんだろう、などと考えていた、そんなとき。

 ひつじ荘の玄関、ガラス戸を無遠慮に叩く音がした。

 呼び鈴を鳴らせばいいのに、と不審に思ったものの、呼び鈴が壊れていることをすぐに思い出す。

 小包を配送センターに運び終え、発送完了メールを送信していた私は、「今開けまーす」と応えつつ廊下に出、健康サンダルをつっかけ玄関の戸を開けた。

 おんぼろ古民家にはあまりに不似合いな、ファーのついた高価そうな黒いコートを羽織った中年女性が立っていた。

 厚く塗られたファンデーションのおかげか、マネキンのように白い肌の中で、アイラインで強調された目とまっ赤なルージュの口紅が浮いている。


「どちらさまで――」

「あなた、ここの住人?」


 私の言葉を遮り、女性は押し入るように中に入ると、買ったばかりの私のスリッパに勝手に足を通した。


「アリスちゃんは?」


「ちゃん」づけの呼称が気になったものの、「部屋にいると思いますけど」とつい答えてしまった。女性は鼻息荒く、足音を立てて階段を上っていく。


「あの……ちょっと待ってください」


 私が女性に追いついたときには、女性は二〇一号室のドアに手をかけていた。


「アリスちゃん、いるんでしょう? 開けてちょうだい! ママがわざわざ迎えに来たのよ? 今日こそ一緒に帰りましょう!」

「ママ?」


 ドアには鍵がかかっていたらしい。女性はドアを叩き、再び手をかけてドアノブをガチャガチャ鳴らしている。


「もしかして、アリスさんのお母さんですか?」

「ほかのなんに見えるってのよ!」


 私の質問が悪かったのかもしれない。アリスさんの母親を名乗るその女性は、ドアを壊しそうな勢いで、今度はドアノブを上下左右に揺すり始める。


「そ、そんな風にしたらドアが壊れて大家さんに怒られちゃいますよ!」


 目を吊り上げる帝くんの顔が脳裏に浮かんで必死に止めた。

 けど、女性はそんなものにはまったく動じない。


「大家って、どうせ帝くんでしょう? ドアの一枚や二枚くらい、壊してやればいいんだわ」


 娘の彼氏だからか帝くんは嫌われているようで、ドアを揺するスピードがアップしてしまった。

 けど、思っていたよりドアノブも鍵もしっかりしている。ドアが開く様子はなく、女性は歯ぎしりしそうな顔で再度ドアに拳をぶつけると、ヒステリックな声を上げた。


「家に帰れば、綺麗で広いお部屋もあるし、おいしいお菓子もお洋服も用意してあるの、わかってるでしょう? いつまで意地はってるの? 家出ごっこはもういいでしょ? どうせなんにもできないんだから!」


 私には、事情はまるでわからない。

 わからないけど、いくら娘とはいえ、その言い草はないんじゃないかと、咄嗟にドアを叩く女性の手首を掴んでいた。


「何、あなた」

「アリスさんは……わ、私なんかより、ずっと色んなことができます!」


 勢いに任せてそんなことを言ってしまい、女性は鼻で笑った。


「何言ってるの?」

「あの、ちょっと待っててください!」


 私はすぐ隣の自室に駆けて、ミキさんにもらったものと帝くんに見繕ってもらったものの二着のワンピースを手に廊下に戻り、女性の鼻先に突きつけた。


「この服、どっちもアリスさんのデザインなんです! ほかにも、うちのブランドには山ほどアリスさんのデザインの服があります! もし見たいんだったら、倉庫にご案内してもいいです。そんな……そんな、『なんにもできない』だなんて言わないでください!」

「〝ブランド〟だなんて、大げさな」

「わ、私も最初はそう思ってました! でも、実際は思ってたより、ずっとちゃんとしてるというか――」

「帝くんのままごとでしょ?」


 そのときだった。

 音を立てて二〇一号室のドアが開き、顔を赤くしたアリスさんが現れた。


「アリスちゃん!」


 どう見ても怒りで身体を震わせているアリスさんに対し、女性は歓喜に満ちた笑顔を浮かべる。


「元気だった? 寂しかったでしょう? もう大丈夫だから」


 女性は満面の笑みで一方的にアリスさんに話しかけた。

 けど、アリスさんはそれには応えず、そんな女性の腕を無言で掴んで引っぱり、ずんずんと廊下を進んでいく。


「ねぇ、アリスちゃん。ゆっくり話を――」


 アリスさんは話し続ける女性を完全に無視し、見ているこちらがハラハラする勢いで階段を下りていって。

 最後は玄関から、女性をひつじ荘の外に追い出した。

 私のスリッパを履いたままよろめいてひつじ荘の外に出た女性に、アリスさんは容赦なく三和土に揃えて脱いであった高そうなパンプスを投げつける。


「……帝の悪口は許さない」


 玄関に仁王立ちになったアリスさんは全身に怒りをみなぎらせて呟くと、大きく息を吸って叫ぶように声を上げた。


「二度と来ないで!」


 音を立ててガラス戸を閉め、鍵をかけるとアリスさんはその場にへたり込む。

 しばらく外から戸を叩く音が続いていたが、人目を気にしてかそう長くは続かず、やがて静かになった。けど、アリスさんは膝を抱えたまま動かない。


「……アリスさん、大丈夫ですか?」


 私が手を差し出すと、アリスさんは赤い顔をわずかに上げ、その大きな目でまっすぐに私を見据えた。


「ねぇ、さっき言ってたこと、ホント?」

「さっき?」

「だから……あたしに色んなことができるだなんて、本気で思ってるの?」



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『訳ありブランドで働いています。 ~王様が仕立てる特別な一着~』

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次回更新は、2019年10月28日(月)予定!

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