2. ALICE'S WONDERLAND(2)
☆
引きこもりのアリスさんを即売会に参加させる。
という新たなるミッションを問答無用で与えられてしまった私は、ウェブサイトの更新作業、日々の発送業務、そして即売会の準備もしつつ、仕方ないのでアリスさんの生態を観察することにした。
アリスさんこと、本名は
年齢はわからないけど、見た目から判断するに二十歳前後、十代の可能性もあり。引きこもりで常にひつじ荘におり、おそらく《エブラン》のデザイン以外の仕事はしておらず、趣味でデジタル環境で絵を描いている。
が、こちらは収入にはなっていない。ひつじ荘から出ることは滅多になく、必要物資は基本的に通販で調達している。
ここまでが現在わかっている情報のすべてだ。
さらに踏み込んだ情報が欲しい私は、隣室の音に耳をそばだてる。
壁が薄い木造古民家、隣室の音はそれなりに聞こえ、生活パターンくらいは窺い知れる。他人のプライバシーを覗き見るようで罪悪感はあるものの、背に腹は変えられないと心の内で謝りつつ耳を澄ませる。
アリスさんの生活は時間に不規則で、足音は日中でも深夜でも聞こえてくる。絵を描いたりデザインをしたりと、作業に没入していると時間を忘れるタイプなのかもしれない。人と顔を合わせないためなのか部屋を抜け出すのは深夜が多く、帝くんがガスの元栓を開ける午前六時過ぎにお風呂を使うことが多い。
季節は十二月も初旬、早朝の風呂場はとんでもなく寒そうだけど、彼女にとっては誰かと鉢合わせるよりはマシということなのだろう。
そこまで徹底的に他人を排した生活をしている人を、どうしたら人の集まる即売会に連れていくことなんてできるのか。
即売会は、ネット通販が主体の《エブラン》としては初めてのリアルな場でのイベントなのだという。
カフェを貸し切り、新作のお披露目や在庫セールを行うそうだ。帝くんとしては、彼氏としての心配と、本来ブランドの顔であるデザイナーのアリスさんを引っぱり出したいというところか。
借金がある私には拒否権などない。少しでもアリスさんと打ち解けなければと、その週の半ば、私は帝くんにアリスさんの食事を運ぶ役目を自ら買って出た。
「アリスさーん、隣の部屋の一宮です。夕ご飯、持ってきましたよー」
ドアをノックして声をかけてみるも、予想どおり反応はまったくない。
「今日のご飯、アリスさんが好きだっていうパイシチューですよー。冷めないうちに食べた方がおいしいと思いますよー」
物音一つしない。
「アリスさんのためにって、帝くんががんばって作ってましたよー」
彼氏の名前を出しても変化なし。
立っているだけで足先が冷えていくほど真冬の廊下は寒く、温かいパイシチューは言葉どおり冷めてしまいそう。
私はほどなく、選手交代を求めにダイニングへと一度引き下がった。
「役に立たねーな」
予想どおりのダメ出しをし、私からトレーを受け取った帝くんが二〇一号室へと向かう。その背中についていき、私の気配を察知したらアリスさんが出てこないかもしれないと、階段のところに隠れて様子を窺うことにした。
帝くんはドアを軽くノックし、「アリス」と声をかける。
「食事、冷める前に受け取れ」
その声は、予想外に柔らかいものだった。
こんな帝くんは知らない。
私に対する態度とのこの落差はなんだと憮然とし、やはりアリスさんは彼女なんだという確信を得た。
であれば、借金のカタに使われているボンクラな手足の私と比べるだけバカらしい。コスパキングも所詮は年頃の男子、かわいい彼女にはそれなりにデレるという事実をこんなところで実感した。
私にはずっと無反応だったアリスさんが、ドアの向こうから何か言葉を返したようだ。声が小さくてその内容はわからなかったが、「俺一人だから」と帝くんが返し、ようやくドアが開いて白くて細い手がトレーを受け取った。
再び二〇一号室のドアが閉まり、ため息をつきつつ帝くんが階段の方に戻ってくる。
「アリスさんには優しいんだね」
私がボソッと嫌みを口にすると、「あぁ?」と目を吊り上げられた。この態度の違いといったらない。
帝くんに続いて階段を下りる。ダイニングではミキさんも待っていて、そういえばひつじ荘の住人は女ばかりであることに思い当たる。
帝くんの態度がどうであれ、仮にも彼女であるアリスさんにしてみれば、ほかの住人が女ってだけで十二分に面白くないのかもしれない。ミキさんはともかく、私相手にそれがまったくの杞憂だとしても。
……なんだか嫌われ損な気がしてきた。
ここはぜひとも、私は帝くんにはまったく気がなく、心配ご無用だとアリスさんに理解してもらいたい。そのためには、会話くらいできるようにせねば。
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