2. ALICE'S WONDERLAND

2. ALICE'S WONDERLAND(1)


 その日、ミキさんは珍しく日が暮れる前にひつじ荘に帰宅した。


「あれ、キングいないの?」


 ダイニングに顔を覗かせたミキさんは、自分のノートパソコンでウェブサイトの作業をしていた私に訊いてくる。例のごとくで裾にレースを多用したワンピースドレス姿だ。


「大学のゼミだそうです」

「今日だったっけ? せっかくキングにサンプル見せようと思って早く帰ってきたのになー」


 ぶつぶつ言っているミキさんは、大きな紙袋を手にしている。


「サンプルって、もしかして《エブラン》の新作ですか?」

「そう。カナも見る?」


 というわけで、自分の作業は一時中断、ミキさんと一緒にラウンジへ移動した。

 ミキさんがトルソーに着せたのは、白い生地でできたシンプルな形のワンピースだった。白い生地は薄くて飾り気がなく、下着とかシーツのようだ。


「あ、これは本番の生地じゃないから」


 私の疑問を察したらしいミキさんが、早速説明してくれる。


「シーチングっていうんだけど、パターンがちゃんとイメージどおりのフォルムに組み上がるか、仮の生地で縫って確認してるの。本番生地を使うと高いから」


《エブラン》の洋服はそこそこ値がはる。詳しくない私でも、手間がかかっていて質がいいからなんだろう、とは思っていたけど、単純に原材料費が高いということでもあるのか。


「例えば、この間ミキさんにもらった一万円のワンピースだと、材料費ってどれくらいですか?」

「そうだなー……あれは生地を二種類使ってるし、糸とかファスナー込みで三千円しないくらい?」


 一万円から三千円を引いたら残り七千円。

 そこそこ利益がありそうに思えるけど、そこからさらに縫製代や包装代もかかる。前に帝くんが「製造原価が高い」って言ってたのはこういうことなのかも。


「パターンっていうのは、型紙のことですよね?」

「そう。今までもワンピースは出してるんだけど、キングが今回はパターン変えたいって言うから」


 小学生の頃に、家庭科の授業で作ったエプロンを思い出す。エプロン作成キットには、薄い紙でできた型紙が入っていた。


「型紙って、どこかで買うんですか?」

「買えなくはないけど、うちのはキングが作ってるよ」

「え、帝くんが?」

「え、何それ?」


 二人して目を丸くし、思わず顔を見合わせた。


「『帝くん』って何?」


 ミキさんが驚いたのはそこだったらしい。

 年上だと思っていた前園さんが現役大学生の年下だと発覚し、悔しいので「帝くん」と呼んでやることに決めた旨を説明した。


「えー、キング、どう見ても若いじゃん。無駄に偉そうで怖いもの知らずだし、無鉄砲なところとか、若いなーっていつも思うよ。それに肌キレイだし」


 さすがミキさんというよりかは、私がダメすぎるのか。


「私、多分人並み以下の観察力しかないんです……」


 それから、ついミキさんをまじまじと見てしまう。


「あの、言いたくなければ言わなくてもいいんですけど。ミキさんって、おいくつなんですか?」

「いくつに見える?」


 すらりと高い背に、冬らしい雪結晶柄のプリントのワンピース。私よりはずっと頼りになるししっかりしてるし、肌も綺麗だ。


「二十代後半くらい?」


 すると、ミキさんは「嬉しい」とにぱっと笑んだ。


「今年で三十三だよ」

「三十……うぇぇ、こんな三十代アリですか?」


 十歳近くも年上だなんてにわかには信じられず、一歩近づいてミキさんの頬を指先でつついた。


「ミキさんもお肌、超キレイですよね? 手脚もツルツルだし……」

「そりゃもう、並々ならぬ努力の賜物ですよ」


 ひつじ荘(ここ)に来てから、私の中にあった色んな常識が引っくり返っていってる気がする。こんなロリータでカッコかわいい三十代女子が存在する世界で自分が生きていたなんて、思いもしなかった。

 トルソーに着せたサンプルの裾を整え、一歩離れて眺めているミキさんの横顔に訊く。


「ブランドの商品の型紙、帝くんが作ってるんですか?」

「そう。アリスがデザインした服をキングがパターンに起こして、それをうちの工場で引き取って、サンプル制作から縫製まで請け負ってるの。キングはもともとうちの工場に縫製の依頼しに来たのがきっかけで知り合ったんだよ。学生のくせに一人でブランド回してるっつーから、色々アドバイスとかしてるうちに、モデルやるって話になってさ」


 仕事がきっかけとはいえ、今じゃミキさんもひつじ荘の住人。人の縁ってつくづく面白い。


「帝くんって、もしかして服飾系の学校に行ってるんですか?」

「いや、大学は確か経営学部だよ。パターンはもともと独学で、講座受けたりとかそんな感じで学んだって言ってたかな」

「独学? それであんな服が作れるんですか?」

「もともとセンスがいいのもあると思うよ。子どもの頃から遊び半分で服を作ってたって話だし」


 それでしっかりブランドにしてそれなりに回してるんだから、悔しいけど本人の言うとおり、優秀であるということは認めざるを得ない。


「ちなみに、アリスさんは? デザインを学んでる人なんですか?」

「アリスも独学みたいなものだと思うよ。色彩感覚というか、センスみたいなものはずば抜けて高いけど。服自体にはそこまで興味ないのか、デザインしたらあとはキングに丸投げで、具体的なことは口出さない感じだね」


 そこで私は、ミキさんに今朝の午前中の出来事をかい摘まんで話した。


 ――こんな奴、認めないから!


 私を睨みつけたアリスさんは言うだけ言って部屋にこもってしまい、以後、声をかけてもドアをノックしても反応なしで、私は仕方なく引き下がったのだった。こうしている今も二〇一号室の自室にいるはずだ。

 話を聞くなり、「気にしなくていいよ」とミキさんは肩をすくめる。


「いつものことだから。アリスはキング以外とまともに会話しないの。カナのことを認めないって言ったのも、単純に他人がここに住むのは認めないとか、それくらいの意味だよ」

「もしかして、ミキさんとも?」


 その口ぶりから、ミキさんも似たような経験をしたことがあるのを察せられた。


「そう。デザインのことで必要があれば少しは話すけどね。それができるようになるのだって、何ヶ月もかかったよ」


 こんなにかわいくてフレンドリーで、コスパキングの数百倍いい人であるミキさんですらそんな状態なのだ。私なんて、一生口を利いてもらえないかもしれない。


「アリスって、もともと絵師なんだ」

「えし?」

「絵を描く人。ネット上で趣味でイラストをアップしてて、ファンもいっぱいいるの。そのファンの子がブランドの服を買ってくれたりもしてるって事情もあって、まぁキングもアリスにはちょっと甘いよね」


 帝くんが見せてくれた、《エブラン》の顧客からのメールを思い出す。

「アリスさん」と書かれているものがいくつもあった。


「熱心なファンが多いんですね」

「本人はそういうの、まったく気にしてないみたいだけどね」


 なんだかもったいない。

 アリスさんのデザインを気に入ってくれているお客さんがあんなにいるのに、そういうの、どうでもいいんだろうか……。

 待ち針を使ってサンプルを調整していくミキさんを手伝っていたら、いつの間にか日が沈み、やがて帝くんが大学から帰ってきた。サンプルはあとで確認するとのことで、夕飯の支度に取りかかる。


「それ、どうしたの?」


 キッチンを覗くと、透明なビニール袋に入れられた大量のおからがあった。


「どうって、豆腐屋でもらってきたに決まってんだろ」

「もしかして、タダで?」

「豆腐を買ったおまけだ」

「でも、おからはタダ?」

「タダタダうっせーな」


 五百円定食、私が思っている以上に原価は安いのかもしれない。

 そうしてウェブサイトの作業を少しして、午後七時前におからと豆腐のハンバーグの夕食ができ上がった。ミキさんと一緒に配膳を手伝い、帝くんはというと例のごとくで一食分をトレーに載せて二階のアリスさんの部屋まで運んでいく。


「……帝くんって、実は過保護なんですか?」


 こそっとミキさんに訊くと、「まぁねぇ」との返事。


「放っておくとアリスが餓死しそうっていうのもあるけど」


 確かにアリスさんは色白で手脚が細く、強風で飛ばされそうな儚さ漂う痩身だった。見るからに食は細そうだ。

 それにしても、アリスさんと帝くんはどんな関係なんだろう。仮にアリスさんが二十歳前後、帝くんと同じ大学生くらいの年齢だとして――

 もしかして、彼女?

 ついつい不埒な想像をしかけて顔が赤くなった。

 自分が大家のシェアハウスに彼女を住まわせるとか、恋愛初心者かつ失敗歴しかない私には刺激が強すぎる……。

 三人分の配膳が終わった頃に帝くんはダイニングに戻ってきた。私の顔を見るなり近づいてきて、何か用でもあるのかと思った瞬間。

 デコピンをお見舞いされた。

 額を押さえて蹲っていると、謝るどころか舌打ちされる。


「お前のせいでアリスがヘソ曲げたじゃねーか」


 彼女の機嫌を損ねるのは、彼氏としてはそりゃ本望ではないだろう。

 けど。


「私、ここに住んでるってだけで何もしてないし!」


 デコピンのせいで涙目になりつつ反論した。

 初対面の女の子に「認めない」などといきなり言われ、私だってそれなりに傷ついたのだ。

 なのに帝くんは、「存在が気に喰わないんだろ」などと本当かもしれないけどヒドいことを平然とつけ加えてくる。


「即売会、アリスにも顔を出させる予定だったのに、どうしてくれんだよ」

「存在が気に喰わない私をここに住まわせてこき使ってるの、帝くんだと思うけどね?」


 ダイニングテーブルの自分の席に着こうとしていた帝くんは、そんな私の言葉にピタリと動きを止めた。


「……なんだその、『帝くん』とかいう気色悪い呼び名は」

「私の方が年上ってことをわからせるための施策」


 よほどお気に召さないのか、拳でダイニングテーブルを叩かれる。


「二歳くらいでガタガタ言ってんじゃねーよ。今どき年功序列とかどこの化石だ? 優劣つけたいならちゃんと能力で量れ、このボンクラ。お前レベルなら『帝様』って呼んでもいいくらいだろ」

「年功序列とは言わないけど、帝くんには他人に払うべき最低限の敬意ってものが足りてないよね」


 そんな私たちの会話に割り込むように、「ねぇねぇ、『帝くん』!」とミキさんがきゃぴっと手を上げた。


「ミキまで便乗すんじゃねぇ、気色悪い」

「アリスを即売会に出させるつもりだっていうの、ホント? 無理じゃない?」


 帝くんはじと目をミキさんに向け、席に着いて椅子を引く。


「ここに住まわせてても、引きこもってちゃ意味ねーんだよ」


 どうやら帝くんは、アリスさんを部屋から出したいらしい。彼女が引きこもりだったら、さすがの王様も心配くらいするってことか。

 ここで暮らし始めてもうすぐ二週間。

 私には、いまだに隣人たちの関係がよくわからない。


「――そういうことだ」


 何がそういうことなのかわからないけど、帝くんはそうまとめると私に向いた。


「責任を持って、お前がアリスを部屋から出せ」



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