1. WELL COME TO WONDERLAND(11)


          ☆


 そして二日後。


「――ま、これならギリギリ合格ってことにしてやる」


 ウェブサイトの修正版のデザインを前園さんに見せ、ようやくOKをもらえた私はラウンジのソファで伸びた。

 歓喜のあまり声にならない。


「これくらいで喜んでんじゃねーよ。基本デザインはこれでいいが、これから細かいところ確認するからな。あと、ミキにも一応見せとくか」

「了解です」


 特売セールのチラシのようだと言われたデザインはゼロから作り直し、縦スクロールの構成にした。

 デザイナーの「アリス」という名前がヒントになった。『不思議の国のアリス』の物語で、不思議の国に迷い込んだアリスが穴の中に落ちていくシーンをモチーフにしたのだ。もちろん、使い勝手も落とさないよう、メニューなども工夫した。


「これ、本番環境に移行するにはどれくらいかかる?」

「そんなにかからないと思いますけど……在庫管理システムは先にテストしてみた方がいいかもしれません。リニューアル作業は深夜とかにします?」

「客層は二、三十代の女性で夜の注文がほとんどだ。やるなら平日の午前中がいい」


 リニューアルのスケジュールを決めると、まだ残作業はあるものの、ようやくひと区切りついた気持ちになった。

 ギリギリの合格ではあったけど、私にだってできた。

 スマホでカレンダーを眺めながらぶつぶつ言っている前園さんの横顔を見て、自分の着ている服に目を落とす。二日前に前園さんが私に選んでくれたワンピースとブラウスだ。

 服を変えたくらいで、何かが変わるわけなんてないと今でも思ってはいる。

 でも、服を変えることで、何かを変えるちょっとした勇気くらいは出るものだってことは学んだ。今日だって、前園さんにダメ出しされてもへこたれないつもりでこの服を着てきたわけだし。

 そしてこの人は、そんな特別な一着を作るために日々奔走している。自分たちが作った服で、こんな風に誰かの気持ちが上向くのであれば、それは楽しくやりがいがあることなのかもしれない。


「なんだ?」


 視線に気づかれたので、私はずっと訊こうと思っていた質問をした。


「平日は毎日五時間はこき使われてますし、サイトのリニューアルもがんばったんですけど……借金、いくら減らしてもらえます?」


 前園さんはしばしの沈黙ののち、私が着ているブラウスを指差した。


「そのワンピースとブラウス、一万じゃ半額にも足りてないからな。それを相殺しにして……ま、三万ってところだな」

「三万……って、私の労働対価低すぎません!?」

「そういうのはもっと使えるようになってから言え。俺の講師代も差し引いたらそれでも高いくらいだろ」

「ろくに教えてくれないくせに……」


 けど、文句はいったん置いておいて。

 ちょっと姿勢を正し、「なんか、色々ありがとうございました」と頭を下げる。


「服を選んでもらったとき、色々言ってもらえて、自分がやりたいこととかやれることとか、そういうの、改めて考えてみようって思いました」


 私の言葉に前園さんはさして表情も変えず、「その歳で自分探しかよ」と呟いた。


「でも、失業した今こそ自分探し、いいと思うんですよね。次こそ誰かの影響じゃなくて、自分で考えて決めたいっていうか……」


 決意をみなぎらせる私に面倒そうな一瞥をくれてから、前園さんはスマホを見て「そろそろ時間だな」と立ち上がった。


「どこか行くんですか?」

「ゼミ」

「ゼミ……? もしかして、どこかの大学のお手伝いでもしてるんですか?」

「なんだよ手伝いって。普通にゼミに参加してるだけだ」

「参加? もしかして、その歳で助教授とか?」

「お前、俺のこといくつだと思ってんだよ」


 黒縁メガネの向こうで目を細められ、その均衡の取れた顔を見返した。

 肌は綺麗で小皺もなく、二重目蓋の目元ははっきりしている。態度が大きく偉そうな雰囲気から受ける印象よりは、若そうだとは思ってた。


「二十代、後半くらい?」


 すると。

 前園さんはぶはっと吹き出し、そのまま腹を抱えて笑いだした。


「ウケる……これだからボンクラは……ふざけんな、笑うと体力の無駄だろうが」

「なんなんですか、一体!」


 前園さんは頬を引きつらせたまま、私に答えた。


「二十一だ」

「二十……はいぃ?」

「現役の大学四年生だ。悪かったな、年相応に見えないくらい優秀で」

「現役って……は、え、なんですかそれ!? っていうか、敬語使うのももはや忌々しい! 年下とか聞いてな――」


 油断してた。

 突如デコピンをお見舞いされ、私は額を押さえてしゃがみ込む。


「さっきから歳ぐらいでうっせーんだよ。ま、お前より優秀なことには違いない。これまで以上に敬え」

「信じらんない……」


 二歳も下とか、もはやわけがわからない。

 あまりの事実に呆然だし額は痛いしで言葉が続かない。そんな私に、前園さんは容赦なく指示を出す。


「夕飯の準備までには帰ってくる。暇ならさっき入った注文の発送作業しておけ。あと、ウェブサイトも目途が立ったし、明日から新しい仕事もあるからそのつもりでいろ」

「新しい仕事?」

「即売会の準備」


 なんだかよくわからないけど。


「嫌な予感しかしない……」

「ごちゃごちゃうっせーな。これからゼミだっつってんだろ」

「そっちが情報小出しにするから不安になるんじゃないですか! っていうか敬語なんてもう使いませんからね! じゃなくて使わないし!」


 そんなやり取りをしていたせいで、ラウンジのドアが開いていたことに二人とも気づいていなかった。


「――聞いてないんだけど」


 そんな低い声が聞こえてきて、私と前園さんは揃ってラウンジの入口を見た。

 倉庫で見た覚えのある、《エブラン》の淡い水色の七分袖のワンピースを着た小柄な女性が立っていた。

 日本人形のような長い黒髪を下ろし、肌は透けるほどに白くて大きな眼ばかりが小さな顔の中で目立つ。

 手脚は細く、脚には白のニーハイソックス。少女趣味な格好も相まってか、幼さの残る雰囲気だ。大学生、はたまた高校生くらいか……。


「アリス?」


 と、目を瞬いた前園さんの呟きにハッとした。

 私の隣人、二〇一号室のデザイナーのアリスさん?

 この少女が?


「即売会なんて聞いてない」


 アリスさんはそう呟き、「それに」とその指先を私に向けた。


「こんな奴、認めないから!」


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『訳ありブランドで働いています。 ~王様が仕立てる特別な一着~』

発売まであと4日!

発売カウントダウン記念で、1週間毎日更新!

次回更新は、2019年10月22日(火)予定!



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