1. WELL COME TO WONDERLAND(10)
胃の痛くなるような緊張と、わずかばかしの期待も抱いていつもの亀戸のお店へ向かった。
『営業先から直帰した』とのことで、佐々からは早めに店に着いた連絡があった。先日と同様、店のドアを開けるとすぐにテーブル席に通される。
「お待たせ」
佐々はスーツ姿で、声をかけると露骨に嫌そうな顔をした。
「お前、まだそんならしくない格好してんのかよ」
開口一番のそれに、傷つかないと言ったら嘘になる。
けど、顔を上げたまま応えた。
「悪くないと思ったから」
「だから、らしくないって――」
「私は、悪くないと思った。だったら問題ないよね?」
いつもは口答えなんてしない私の言葉に驚いたのか佐々が黙ってしまったので、いつものとおり生中を二つ注文した。
形ばかりの乾杯をして、けど佐々は中ジョッキには口をつけずに訊いてくる。
「色々あって金ないんだろ? 散財してていいのかよ」
「この間の服はもらいものだし、今日の服はまぁ、必要経費?」
「お前もしかして、わざわざ平日に俺のこと呼び出して、服の自慢でもしたかったわけ?」
「佐々こそ、なんで私の服くらいでそんなに不機嫌になるの?」
返事をする代わりに佐々は中ジョッキを傾ける。
わずかに抱いてきた期待はもう捨てた。
やっぱり、って気持ちしかない。
わかってたことだ。
「佐々は、私に男みたいな格好をしててほしかったんだね」
「そういうわけじゃ……そっちの方が一宮らしいだろ」
「私らしいって何? 私、こういう服だって着てみたら悪くないと思った。かわいいものだって女の子らしいものだって、嫌いだなんて言ったことない」
「だから、俺の知ってる一宮はそんなんじゃ――」
「じゃあ、佐々の知ってる私ってどんな?」
佐々はハッとしたように顔を上げた。
「いつでも佐々の言うことを素直に聞く私?」
「それは、」
「私、いつも佐々はすごいって思ってた。あれこれアドバイスしてくれてさ、迷ったらこの人の言うことに従っておけばいいのかなって」
デザインの講義を受講したと話せば、デザインとか向いてないんじゃない? と親身な顔でやる気を削いだ。
かわいい格好の女友だちと私を比べ、一宮はそういうガラじゃない、らしくないことはするなってくり返した。
電話したり二人で呑みに行ったり、その特別扱いに期待しようものなら、「男友だち」って単語で釘を刺した。
好かれたくて、嫌われたくなくて、その言葉すべてを受け入れてきた。
そんなことをしてたって、この人の気持ちが自分に向くわけじゃなかったのに。
応えない佐々に私は続ける。
「佐々は、そんな私が見たかったんだよね? 言うこと聞いて劣等感にまみれてく私を見るの、楽しかったんじゃない?」
「なぁ一宮、怒ってんのか? 何か気に障ったなら――」
「私、佐々のこと好きだった。学生時代からずっと」
思い切ってぶつけた積年の想いだったのに、悲しいまでにその顔には驚きの色はなくて確信する。
「そういうのも全部、わかってたんだね」
牽制して、気づいてないフリで傷つけて。
ちょっと考えればわかることなのに、どれだけ思考停止してたんだろう。
本当の友だちだったら、そんなことは絶対にしないのに。
私は乾杯したまま口をつけていなかった中ジョッキの中身を一気に空けて席を立った。
「佐々といるの楽しかったし、感謝もしてる。でも、もう友だちでいるの、私、無理だわ。私も、もうちょっと自分のこと自分で決められるようにするよ。ごめんね、仕事帰りに呼び出してこんな感じで。これで、もう最後にするから」
込み上げそうになるものを必死にこらえ、早口になりながらも言うだけ言えた。ずっと情けないばかりだった自分だったけど、今だけは褒めてあげたい。
最後に泣くようなみっともない真似はするまいと、あくまで軽い口調で「じゃーね」と言うと。
「……悪い」
喧噪の中でそんな声が聞こえた気がしたけど、私はかまわず店を出た。
胸をはって半ば高揚した気分でひつじ荘に帰ると、すでに夕食の片づけは終わっていてダイニングには誰もおらず、急速に気持ちが萎んでいった。その場に座り込んでしまいたい気持ちを抑え、「何か食べよう」と呟いてみるも、買い置きの食材は何もない。
胃にビールは入ってるしもういいかな、などと不健康なことを考えつつ、ダイニングテーブルに腰かけるやいなや。
視界が歪んでボタボタと涙が落ちた。
幻想だった友だちという存在も、長年抱え続けて腐っていたことにも気づかなかった恋も手放した。
身軽になったと、すっきりしたと喜んでもいいくらいなのに。
「カナー、帰ったー?」
音を聞きつけたらしい、明るく声をかけつつダイニングに顔を出したのはミキさんで、一人泣いている私を見るなり飛んできた。
「どーしたよ? 何かあった?」
心底心配そうな顔をしてくれるミキさんがありがたすぎて、また涙があふれてくる。
違う世界の人だと決めつけて勝手に一線引いていたのに、実際は佐々なんかよりずっと優しいじゃないか。
ティッシュ箱がなかったのか、キッチンペーパーのロールを差し出されたので目元を拭って鼻をかんだ。
「私……」
「何? なんでも話してみ?」
「ミキさんと、友だちになりたいです……」
何も考えずにそんなことを言ってしまい、でもミキさんは迷惑そうな顔をしたり笑ったりしなかった。
「もう友だちみたいなもんじゃん! 改めてどうしたよ? でも嬉しい、友だちなるなる!」
ミキさんの温かい言葉にまた涙しつつ、佐々とのこれまでのことや、さっきの居酒屋での出来事を話した。隣に座ったミキさんは、「そっかー」と相槌を打ちながら真剣に話を聞いてくれる。
「うん、カナは偉かったよ。ちゃんと自分の気持ち、ぶつけたんだしさ! それに、」
ミキさんは私の格好をまじまじと眺める。
「今日の格好、すごくいいじゃん! ――カナ、すぐにいつものモノクロスタイルに戻っちゃったしさ。この間あげたワンピース、気に入らなかったのに押しつけちゃったかなって、ちょっと反省してたんだよね」
「そ、そんなことないです! ただ自信もなかったし、私が着ていいのかなって思っちゃって……」
「自分が着たいもの着たらいいんだよ。もちろんそれが今までのモノクロスタイルならそれでいいし、違うのがいいとかこんな服が着てみたいとかあれば教えてあげるし。――でもこれ、ワンピもブラウスもうちのブランドのでしょ? いい感じの組み合わせで選べてるじゃん」
「あ、それは前園さんが選んでくれて」
「あのキングが? 無料(タダ)で?」
「一万円渡して買ったんですけど」
「このワンピースとブラウスだけで、二万はするけど」
「うぇっ!?」
モノクロスタイルの服ばかり買っていたので、相場というものがわかっていなかった。よくよく考えれば、ウェブサイトにすべてのアイテムの価格があったはずなのに。あのときは頭に血が上ってて、そんなことまったく考えてなかった。
「あの人、意外といい人なんですね」
私が前園さんをちょっと見直していると、「どうだろうねー」とミキさんは答え、そして席を立った。
「居酒屋でビール飲んだだけって言ってたよね? 何か食べたら?」
「でも、買い置きしてる食材とか何もなくて。コンビニでも行こうかな……」
「冷蔵庫の中にあるもの適当に使っちゃえばいーじゃん」
「前園さんに、『俺の食材を勝手に使った奴の命の保証はしない』って前に脅されたんですけど」
「そんなの気にすることないって」
と、ミキさんは野菜ジュースのパックと卵とハムを取り出した。
「ごちゃごちゃ言ってきたら返り討ちにしてやるよ」
とっても頼もしい友だちの存在が嬉しくて、気がついたら顔中で笑ってた。
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