1. WELL COME TO WONDERLAND(3)
☆
私に割り当てられた部屋は二階、二〇二号室だった。
ドラムバッグに詰めた少ない荷物を運び入れ、一人になってようやくひと息つく。
部屋は六畳ほど、オレンジ色の吊り照明で照らされた室内は、物の少なさもあって思っていたより広かった。備えつけのベッドと小さな机があり、ひとまず荷物を整理する。
といっても、火事で燃えてしまったので整理という名の開封作業だ。買ったばかりの下着や衣類を袋から取り出し、タグを外しながらベッドの上に放ってく。
ベッドにはマットレスはあるがシーツとかけ布団はないので買う必要がありそうだ。あと、いくら服がないとはいえ、衣装ケースの一つくらいは欲しい。それとスリッパも……。
昼過ぎにここに到着し、花瓶を壊したり前園さんの話を聞いたり仕事の話を聞いたりで、気がつけばもう午後四時を回っていた。小さな窓の外はすっかり暗くなっている。
机に向かって購入が必要なものをメモ帳に書き出していた私はふと思い立ち、パンツのポケットに入れたままにしていた前園さんの名刺を取り出した。
《EVERYDAY WONDERLAND》
それが前園さんのブランドの名前だという。
スマホでブランド名を検索してみるとすぐにヒットした。自社サイトのネット通販が主体だと聞いたが、ほかにもフリマアプリなども使っているようだ。
サイトを開くと、トップにブロンドの長い髪の女の子のイラストが表示された。不思議の国のアリスだろうか。ブランド名に「WONDERLAND」とあるくらいだし。メイド服みたいな前かけのある服を着ている。
トップ画面から先へ進むと、女性向けのトップスやスカート、そしてワンピースなどの写真が表示される。商品単体の写真のほかに、外国人のように背が高くすらりとした女性がモデルになって着用している写真もあり、つい自分のショートボブの髪に手を入れた。
私と同じように背が高くても、かわいい人はかわいいし、綺麗な人は綺麗だ。
自分の背の高さをつい言い訳にしてしまいがちだけど、ちゃんと事実は事実として認めてもいるつもりだ。
要は身長ではなく、私のメンタルの問題なのだと。だからって、別にどうするつもりもないけど。
自分には縁のない世界だって感想を改めて抱きつつ、「CONCEPT」というメニューがあるのでタップする。
ブランドコンセプトは、〝毎日の楽しいを思い出す〟。
今さらながら不安になってきた。ラウンジでいくつか商品を目にはしたけど、あの無駄に偉そうで横柄な前園さんが代表だし、ここまでかわいらしいブランドだなんて予想外にもほどがある。
ウェブサイトの作成自体はできる自信があるものの、デザイン面での不安が徐々に膨れ上がってきた。デザインの勉強を本格的にやったことはない。大学時代にウェブデザイン関連の講義を受講していたことはあるし、興味がないわけじゃなかったが、ほかの受講生のセンスのよさ、そして「デザインとか向いてないんじゃない?」と投げかけられたひと言で、一気にやる気が萎えてしまってそのままだ。
けど、五百万円なんて、よそで借金でもしないと返せないし……。
《EVERYDAY WONDERLAND》のサイトを鬱々とした気持ちで眺めていたら、ふいにスマホが振動してビクついた。
……佐々(ささ)だ。
にわかに速くなる鼓動を押さえつつ、なんでもない風を装って「もしもし?」と着信を取った。
『おー、一宮。生きてるか?』
あくまで明るく、さも男友だち相手のように話し始める佐々に、小さく笑いながら「開口一番で生きてるかってなんだよ」とこちらも最大限の気さくさで返す。聞き慣れた佐々の声に、ここに来てからずっと落ち着かなかった気持ちが少し和んだ。
佐々は高校時代の三年間を同じクラスで過ごし、進学先の大学も同じだったという腐れ縁だ。社会人になった今も、時たま飲みに行ったり電話をしたりする仲。
佐々いわく、私はほかの誰よりも気楽に付き合える男友だち、みたいなものらしい。
『紹介されたシェアハウス、どうだったよ?』
「まぁ、家賃も安いし住むのには悪くない、んだけど……」
五百万円の借金はあまりにインパクトがありすぎる。
花瓶の件は伏せ、色々あってウェブサイトのリニューアル作業をやることになったと説明した。
『シェアハウスに引っ越して早々に再就職できたってこと?』
「それが、あんまり収入にはならなそうで……」
『なんだそりゃ。デザインなんて、一宮、得意じゃないだろ』
ハハッと笑われ、ハハッと返した。
大学時代、「デザインとか向いてないんじゃない?」と私に言ったのは佐々だ。
佐々ははっきりした性格で、思ったことは遠慮せず伝えてくれる。
私に何が向いてそうか、向いてなさそうか。
優柔不断な私は、ついその言葉に頼ってしまいがちだ。佐々にそういうことを言われること自体が嫌じゃないというのもあるけど。
『そんな面倒なことになってんなら、うちに泊まればよかったのに』
先日、火事で焼け出されたと伝えたら、佐々はすぐに『うちに来るか?』と連絡をくれた。
けど。
「いやー、さすがにそれは無理でしょ」
『そんなことないだろ。お前を泊めたところで変な空気になるわけなんてないし』
またハハッと笑われ、ハハッと返した。
「それはそうなんだけどさ。まぁ一応、世間体的に?」
『ま、一応お前、生物学的には女だしなー』
今度はハハッと笑われなかったけど、ハハッと笑っておいた。
『ま、落ち着いたらまた飲むべ。色々大変だろうけど、あんま気落ちすんなよ』
「ありがと。こっちはしばらく無職だし、暇なとき連絡して」
通話を切り、今は待ち受け画面に戻ってしまったスマホの画面を見つめる。
気落ちすんなよ、だってさ。
そんな些細な言葉で浮かれかける自分がたちまち情けなくなる。
生物学的には一応女である男友だち、としか思われてないのに。
不毛だ。そんな佐々を相手にもう何年も片想いしてるなんて、誰にも言えない。
手にしていたスマホの画面を机に伏せ、それから自分も机に突っ伏した。
【次回更新は、2019年10月9日(水)予定!】
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