3.紅茶のブルゴーニュ酒〈祁門紅茶〉②


    ◇◆◇


 ティールーム《渚》の定休日は月曜日だ。

 インドア派の秀二さんは、茶葉の買いつけだのなんだのと出かけていくこともあるが、大抵は部屋にこもっている。おそらくは読書にいそしんでいるのだろう。一方の私はというと、最近のブームはサイクリング。紅葉の季節で景色もいいし、外の空気は気持ちいい。

 その日も私は自転車で《渚》を出発した。

 房総フラワーラインを北上し、館山駅方面へとひた走る。往復で十四キロの距離も、この気候ならほどよい運動に感じる。

 ペダルを漕ぎながら、ここ数日のことを思い出してもんもんとしてしまう。

 秀二さんは冷たいことも言うけど、実際はお人好しだし優しい。あんな風に怒らなくてもいいのにって思わずにはいられない。

 それとも、私が大人じゃないってことなのか。

 私の方が何かと感情的なのは否めないし。年齢的には八つも上の秀二さんから見れば、そんな私ははなれ小僧みたいなものなのかも。だから店のことを訊いても、「余計な心配」としか思われないのでは。

 ここ最近感じていた焦燥感が強くなる。

 せめて大人扱いされたい。

 早々に今日の目的を達成し、ついでに買い出しを済ませて店に戻ったのは午後四時を回った頃だった。店へと続く緩やかな坂道を上っていくと、一人の男性が立っているのに気がついた。

 原井さんかと一瞬思ったものの、男性は黒髪の原井さんとは異なるふんわりとした茶髪の持ち主だ。

 ダークブラウンのパーカーに白と紺のストライプのシャツ、細い足を強調するようなタイトなパンツ姿の瘦身で、古民家を仰ぎ見ている。三十代前半くらいだろうか。

 ブレーキをかけると、自転車は思いのほか甲高い音を上げた。停めた自転車から降りた私に男性の目が向いたので、声をかける。


「何か御用ですか?」


 男性は私を観察するようにその切れ長の目を細めた。まつ毛が長く、鼻筋が通っていてあかけた印象だ。どことなくその目元に見覚えがあるような……?

 答えない男性に気まずいものを覚え、私は言葉を続けた。


「お店、今日は定休日なんですけど……」


 すると、男性はスイッチでも切り替えたように表情を明るくし、人懐こい笑みを浮かべて話しかけてくる。


「君、ここの店で働いてるの?」

「はい」

「秀二、いる?」


 思いもかけない親しげな呼び名に目を瞬いてから駐車場を見ると、スクーターがなかった。珍しくどこかへ出かけていったらしい。


「すみません、丁度出かけてるみたいです。連絡してみますか?」

「君、もしかして秀二の恋人か何か?」


 私の質問を無視して投げかけられたしつけな問いに、どう答えたものかしゆんじゆんする。


「それともただのバイト?」

「えっと──」

「佐山さんの奥さん!」


 そのとき、通りの先から元気よく声をかけられた。

 週に二回は紅茶を飲みに来てくれる常連さん、米寿の富子さんだ。今日はなぜか小さなクーラーボックスを抱えている。


「あら、お客さんがいたの? 邪魔してごめんねぇ」

「いえ……」

「食べ切れないから持ってきたの」


 富子さんがクーラーボックスの蓋を開けて見せてきた。


「これアジですか?」

もりやまさんが今朝釣ったからって持ってきてくれたんだけどねぇ」


 海が近いだけあって釣りも人気のアクティビティの一つだ。

 地元の人たちも食材調達を兼ねてよく釣りをしているようで、秀二さんも誘われて何度か行っている。ちようは思わしくなかったが、「思っていたよりぼうっとできてよかったです」などと感想を述べていた。

 クーラーボックスごとアジを受け取り、「いつもありがとうございます」と礼を言う。


「富子さん、何かお菓子のリクエストありますか? 今度来られるときにお出ししますよ」

「本当? じゃあ、この間食べたシフォンケーキ、しっとりしてて柔らかくてとってもおいしかったの。明日はちょっとお客さんが来るから、あさってはどう?」

「いいですよ、作っておきます。お待ちしてますね」


 白髪をふわふわさせつつ、富子さんはのんびりした足取りで去っていく。

 すると、そんなやり取りを黙って見ていた男性の視線に気がついた。


「『佐山さんの奥さん』?」


 あ、と思うがあまりに遅すぎる。もういっそ逃げだしたい。

 深入りするなという言葉を実践しているのか、秀二さんはあまり家族や友人の話をしない。知り合いが訪ねてくる可能性なんて考えたこともなかった。

 夫婦のフリをしているだけなんです、といっそ本当のことを説明すべきではとも思いつつ、「そうです」と肯定していた。

 ごちゃごちゃ考えるより先に、『本当の夫婦でないことは他言しない』というルールを守る方を取ってしまった。


「あの秀二が、結婚?」

 本当に? なんて念押しされてしまい、やけっぱちな気分で頷く。

 自分で自分を追い詰めている気がしてならない。


「そっか……いやまぁ、おかしくはないけど……本当に? 俺聞いてないし。いや、聞くタイミングもなかったか……でもなぁ、」


 男性は動揺しているのか、その言葉には独り言と質問が混ざっている。

 やがて男性は黙っている私に目をやると、気持ちを落ち着けるように柔らかい茶髪に手ぐしを入れた。


「えっと、秀二の兄のかずです。初めまして」


 最初に覚えた既視感に納得がいった。物腰やまとう雰囲気はまったく異なるものの、男性の面立ちはどことなく秀二さんに似ているのだ。

 驚きのあまり反応できずにいると丁寧に頭を下げられてしまい、慌てて下げ返して「あやめです」と名乗った。


「その、ご挨拶もできておらず、なんというか……」


 やっぱり判断を誤ったかもしれない。ボロが出るのは時間の問題、今からでも本当のことを言うべきだ。


「ごめんなさい。あの、実は──」

「あやめさんが謝ることなんてないから。家に黙ってたのは秀二の判断だろうし、そもそも、俺が聞いてなかっただけかもしれないしね」


 一紀さんの言葉に切り出すタイミングを見失う。

 秀二さんには、家族に連絡しなくても当然だと思われる事情があるのだろうか。

 私はなんにも知らないんだと改めて実感した。

 それでも毎日顔を突き合わせ、一緒に食事を取り、働くことはできる。同居人ならそれで十分だ。


「ここには、秀二さんに聞いて来られたんですか?」

「聞いたのは仕事関係の人づて。秀二が店を始めたっていうから、前から様子を見に行こうと思ってたんだよね。ま、嫁さんもいるなら、それなりに元気にやってるんだろ?」

「はい、元気ですけど……あの、中で待ちませんか? ここで立ち話もなんですし」

「いや、いいよ。秀二が元気で好きなことやってるならそれでいいし」


 一紀さんは足元に置いていた紙袋から、縦長の箱を取り出して私に押しつけてきた。瓶が入っているようで予想外に重い。


「これはお土産。じゃ、もう行くわ」


 ひらりと手をふって去ろうとする一紀さんを、箱を抱えて慌てて追いかけた。


「秀二さんに連絡します! せっかくこんなところまで来られたのに──」

「秀二がどうしてるか知りたかっただけで、別に会いに来たってわけでもないから。俺が来たってのも言わなくていいし」


 何も知らない私には、どんな言葉をかけるのが、そもそも引き留めることが正解なのかもわからない──けど。

 私は自転車に積んだままの荷物からあるものを摑んで取り出した。


「一つ、お願いしてもいいですか?」



【次回更新は、2019年9月1日(日)予定!】

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